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2010年3月24日 (水)

礼装のススメ(喪装編)

彼岸である。
ご存知の通り春分と秋分の2回彼岸は訪れる。その春分と秋分を中日として前後3日を足した7日間がそう呼ばれる日本オリジナルの仏事だ。
そんな中、今日は父の墓参に行ってきた。連休明けとあって墓参に来ている人は少なかったが、回りの献花の多さを見ると連休中はかなり賑わったのではと推測出来る。

日本の仏事はとてもよく考えられている。法要をみると命日を基準として一周忌、月命日もあるが、一般的には一周忌以降は三回忌、七回忌などの法事やお盆(盂蘭盆会)、春と秋の彼岸など。もちろん細かく言えば更に沢山の法要があるが、私は仏教にはあまり詳しくないので一般的なものだけを例に挙げさせてもらった。

よく考えられているといったのは、法要毎に家族や親族などが顔を合わせる機会になるということだ。故人を偲びながら墓参や位牌に対しての供養を行い、久しぶりに集まった親族と会話を交わす。もちろん仏事としてこれらは発展したとはいえ、結果的に親族の絆を確認し深める機会になることには変わらない。私自身は無宗教ではあるが、宗教の奥深さを感じる。

現代の日本人が仏教に接する時はこの法要や葬儀等の祭礼が多いのではと感じる。そしてそこに参列する場合、ほとんどの人が洋装、和装に関わらず喪装である。これは当然セレモニーというフォーマルな場所であり、礼装という形で仏前または霊前に敬意を表する服装である。ここで「喪装」と表現するのは、着物の場合に限り、いわゆる喪服は黒紋付が一般的だが、黒紋付は正式には慶弔両用の礼装であり、昭和の中期までは黒紋付に比翼重ねをし、錦帯を合わせることで晴れ着(祝着)として着られていたので、喪服という表現は正しくないためである。

では日本の喪装はいつからなのか?
葬儀自体は古墳時代より行われており、様々な形式で葬儀が行われていたことが出土品からわかっている。増田美子著「日本喪服史【古代編】」によれば、記録としては存在しないが、祭礼用の衣装は巫女が存在していた頃から、間違いなくあったと考えられているという。喪装というものが正式に法律で決められたのは奈良時代718年に制定された養老喪葬令に記されているのが最初だろう。

養老喪葬令は天皇の喪服についてこう書かれている
「凡天皇、本服二等以上の親喪の為には、錫紵を服す。三等以下及び諸臣の喪の為には、帛衣を除く外雑色を通用せよ」
錫紵は錫色の紵服ということで、ここでいう錫色は墨色の浅い色である。紵服は麻素材の衣服。すなわち天皇は二親等以上の喪に対しては墨色の服を着用するよう定められていた。また三等親以下の場合は帛衣=絹の衣服を除き、また黒以外の衣服を着用するということに定められていた。

この制度は平安中期まで続いており、源氏物語で光源氏は妻である葵の上の喪に対して薄墨色の喪服を着用している
「にばめる御衣たてまつれるも、夢の心地して、「われさきだたましかば、深くぞ染め給はまし」と思すさえ、かぎりあれば、薄墨衣あさけれど、涙ぞ袖をふちとなしけるとて・・・」

しかしこれらの喪装は天皇や貴族の話であり、庶民はどうだったかというと、そのほとんどが白装束であったという。その歴史的背景はあまり記録に残っていないものの、現に昭和50年代まで特定の地域で白装束は存在した。
日本国民が慶弔両用として礼装に黒紋付を用いたのは、明治後期の皇室令がキッカケという説が有力だ。富国烈強の考え方から、洋装、和装を含め礼装を黒色と定めたことが庶民にも浸透していったという。それいらい、祝儀、不祝儀を問わず黒紋付が一般化していったと言われている。

現代の和服の礼装は、祝儀は留袖(江戸褄)、不祝儀は黒紋付(黒無地)となっており、白装束は死者以外は着ていない。また当然礼装に対しての決まり事は存在せず、その場に対する個々のモラルに任せている。また、喪主を含め親族が和服の喪装をすることが極端に減り、いまでは男女とも洋服の喪装となっている場合が圧倒的に多い。これは着物に関わる人間としては残念である。


ここで、呉服に関わる人間として皆さんに礼装のススメをしたい。
万が一ご不幸があり、その主たる立場になった時は是非和服の喪装をして欲しい。確かに今は略式礼装が一般的な時代であり、和服の喪装をしなくても後ろ指を指されることはない。だが唯一、略していない人がいる。故人である。故人は白装束に身を包み、祭壇にある沢山の献花に囲まれ安らかに眠っている。是非ともご家族の方に関しては、送る側として略さず面倒でも和服の喪装をして欲しい。それが最後のお別れであるからこその礼儀と思って欲しいと願う。

また参列する側は、黒紋付を着る必要はない。弔問の装いとして、1つ紋の色無地に黒共帯や同じく1つ紋入りの江戸小紋などで黒共帯を合わせたものなので十分御霊前に礼を尽くすことが出来る。とにかく親族側も弔問する側も、「略式でないきちんとした装いの故人」に対して最後に服装としての礼儀を尽くすことは日本人として非常に意味あることである。

また黒紋付は5つ紋であるが、これもそれぞれ意味がある。紋の位置としては背中の「背紋」、胸の「抱き紋」、外袖の「袖紋」である。背紋は厄よけの意味があり、邪悪なものは目の届かない背から入ってくると言われている。それを守る為のものである。抱き紋は両親を表すといわれている。袖紋は一族を表すそうだ。いかにも日本人らしい考え方で家紋の配置を決めている。

そうはいっても現実的に喪の席での親族は忙しい。大きな悲しみの中で葬儀の準備、弔問客への立ち振る舞いなどなどやることが山ほどある。その中で和服の喪装は正直大変であろう。昔は各家で葬儀を行ったので割合に和服でも支障は少なかったが、今はセレモニーホールなどが多く、様式も変わってきているから仕方がない。
とはいえ、愛する家族の最後のお別れであり、心からの感謝と敬意を込めたいものである。だからこそ日本人としての礼装である黒紋付での喪の装いをして欲しいと心から想う。

かぎりあれば、薄墨衣あさけれど、涙ぞ袖をふちとなしけるとて・・・


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コメント

2010-03-29 08:50:20
「過去現在未来塾」発足記念講演会

■日時
4月10日午後2~6時
開場:午後1時より
■場所日比谷公園野外音楽堂
■登壇者
中山成彬、西尾幹二、土屋たかゆき、戸井田とおる、他多数
■司会西川京子
■入場料 無料
■主催: 過去現在未来塾

http://blog.goo.ne.jp/mizumajyoukou/e/f3acde687957190fa1faa4f27ae2c928
会の趣旨をご覧ください。一緒に皇室をお護りしましょう

投稿: yu | 2010年3月29日 (月) 09時05分

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