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2010年3月31日 (水)

西陣の大恩人

春の京都。
みやこおどりの頃、一年中美しい町並みに更に色とりどりの花々が加わる。冬の京都も美しいが、春の京都はやはり格別だ。

私は会社勤めの頃はバイヤーとして京都には週に1回は訪れていた。あくまでも仕事であったため、問屋やメーカーの場所は目をつぶってでも行けたが、いわゆる観光スポットといわれる所はほとんど解らない。だから清水寺はどういけばいいのかと聞かれても答えられないのだ。今思えば何とも勿体ないことである。

そんな私でも堀川通りを上へあがる途中の二条城の桜だけは毎年観ることが出来た。もちろんタクシーの窓越しではあるが。その二条城を過ぎると丸太町通があり、この通りを境に上と下にわかれる。丸太町通は京都御所の正面の通りであり京都御所より南が下、北が上と表現され、それは今でも変わらない。

丸太町通を過ぎれば住所も「上京区」いわゆる「西陣」だ。ただし西陣という住所はない。応仁の乱の時に、西軍の総大将である山名宗全が堀川より西に陣を敷いたことから西陣と呼ばれるようなったのである。観光客が西陣を知るのなら西陣織会館が良いだろう。西陣の歴史から、「帯」「ネクタイ」「西陣お召し」「テキスタイル」などたくさんの織物見本や各製品の製作工程などが詳しく知ることが出来る。着物に関心があって京都旅行に来た際は是非来館するといい。

私はバイヤーになりたての時に帯担当の見習いとして始まった。帯の世界も染物と同様難しい世界であり、特にオリジナル商品製作が主としていたため素材から帯が出来るまでの仕組み、帯の見方、機の仕組み、流通構造など全てを知る必要があった。もちろん帯には丸帯から袋帯、名古屋帯、袋名古屋帯、半幅帯などの種類があり、その組織も錦、つづれ、紋綴れ、糸錦、唐織、ふくれ、などその他も多種多様な組織が存在する。オリジナルを作る場合、合わせる着物の種類、色、柄、ターゲット、販売価格などを深く考えてどういう素材にするか、組織はどうするか、意匠は?見え方は?と細部に至るまでメーカーと詰めに詰める。これは通常のバイヤーとは全く違う点だ。


西陣はとても暖かい人達が多いが、その反面その人物をきっちりとみられる雰囲気がある。信用されない限りは仕事としてやっていけない。特にオリジナル製作はそれほど相互の信頼関係が必要だ。当時まだ見習いの自分は西陣の神様と称される大先輩に付き、各メーカーを回っていたが、ひと言もしゃべれなかった。躾も厳しく、バイヤーたるもの取引先には常に謙虚で礼節を重んじなくては行けないと言われていた。

メーカーについたらキチンと頭を下げて挨拶し、靴をキチンと揃え、売場についたらまず正座をして深々と頭を下げて「いつもお世話になっております」と挨拶することが義務であった。見習いの私は座布団には座れない。出されても足には敷かないで正座をしていた。ちょっとでも知った口を叩けばその先輩から「おまえは黙ってろ!」と怒鳴られたものだ。それだけまずは基礎を叩き込まないとメーカーと一緒にモノ作りは出来ないのである。

そんな私をいつもフォローしてくれ、帯の何たるかを教えてくれたあるメーカーの社長がいる。私の約8つ年上で自分の兄と同い年。しかもそのメーカーは西陣織証紙番号もひと桁台の老舗で、過去には尾形光琳の紅白梅図を3連という3本の帯を横に並べると柄が繋がっているという素晴らしい帯や美しい束ね熨斗の引き箔の帯を製作したメーカーでもある。それ以上にその社長はリヨンやイタリア、インドなどにも出かけ、モノ作りの勉強を今でもなさっており、そのセンスも超一流だ。この3月まで西陣織工業組合の理事も務められた。

社長は、糸染め屋、綜こう屋、箔屋、紋紙屋などに私を連れて行ってくれて、各工程がどのような形で形成されているのかなどを時間をかけてじっくり教えてくれた。また図案の作成の仕方も織物の特性やジャガード織機の特性から考えてこうしたらいい、ああしたらいいなど本当に惜しげもなく指導してくれた。お陰でほとんどの帯の組織や作り方はマスター出来た。

そして2年近く経った頃、先輩から社長とのモノ作りを任された。大島紬に合わせるオリジナルのおしゃれ袋帯だ。おしゃれ袋帯はヒット商品が出ず苦しんでいた。なんとかおしゃれで締め易く、そして他にはない価値あるものをという意欲で考えた。そして当時紗素材を利用した袷の訪問着をどこかで見たことがあり、それを利用して透かし絵のようなおしゃれな帯が出来ないかどうかを社長に提案し、そこからスタートした。

ある程度の紋ができると試しに紋丈分だけ試織して確認する。この試織した布を「目だし」というが、その目だしの段階で色々改善を図った。そして時間をかけて出来上がったのが紗ベースで織が三重組織のしっかりとした帯で、紗の透けた部分を残し、その透けた部分の下から室町時代に使われたウサギの跳ねる様の柄が見えるという凝ったものだった。

結果、大ヒットし「美しいきもの」と「きものサロン」の裏表紙になった。やはりこれは社長のセンスと二人で試行錯誤した消費者が喜んでくれるモノ作りが結果となったと言える。そのネーミングも「透影織」と名付けた。


今、西陣は室町同様、呉服売上の低迷でモノ作りがし難く苦しんでいる。しかしながら、あの時のようなモノ作りをすれば必ずや活路が見出せると思うのは私の成功体験ゆえの甘さだろうか。しかし、あの時でさえ、あんなに手間をかけて作った帯でさえ売価98000円仕立付で出来たのだから今でも十分可能性はあるはずと思う。もちろん中々仕入れにならないなどの条件面でメーカーだけがリスク追うことは非常に厳しいが、やっぱりいいものは売れる。これは間違いない。


私はこの社長のお陰で道が開けた。何故なら、会社を退社した時に直ぐに連絡をくれたのも社長であったからだ。私にとっては大恩人だ。いまでも京都に出張に出た時はほんの少しの時間でも挨拶に伺うようにしている。そしてきものビジネスコンサルタントになった私に対しても様々な指導をしてくれる。こういう人がいる限りは今は厳しくても西陣は大丈夫だ。

京都の春のように1つ1つ花を咲かせて、彩りのある西陣を夢に見たい。


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