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2010年3月 9日 (火)

絶対に超えられない人

今日はビジネスの話からは少し離れる。
私は仕事や人生において尊敬する人は沢山存在する。特に長年お世話になった株式会社やまとの矢嶋孝敏社長。死ぬほど恐ろしかったが、常にその考え方は最先端をいっていた。また、お会いしたことはまだないが、数々の繊維ビジネスや中国ビジネスについて解りやすく興味深いレポートをかじり付くようにいつも見させてもらっている日本テキスタイルデザイン協会の副理事長で東レ経営研究所の中国ビジネス研究会の主幹をなさっている坂口昌章さん。坂口さんにはツイッターで色々とご指導頂いている。

しかし、絶対に超えられない人が1人だけ存在する。石崎忠司。実の父だ。
私の父は昭和30年代から50年代に活躍した日本を代表する服飾研究家であった。約50年前現在もある季刊「美しいきもの」の創刊メンバーでもあり、全日本きものコンサルタント協会の理事、じゅらく染織研究所顧問、文化服装学院講師などほかにも数えきれないほどの業界の機関で仕事をしていた。

また当時NHKの昼のプレゼントという番組ではきもののコーナーがありその解説員としてもおなじみだった。またじゅらく染織研究所では世界の染織を研究し、メキシコや南米の少数民族の衣装を研究し指導した。そのメンバーに今ではきもの研究家としておなじみの市田ひろみさんも研究員として現地に同行したそうだ。また世界の染織の研究のため、写真家秋山庄太郎とともに世界を転々とした。

私は小さい頃の父の思い出はほとんど無いに等しい。私が生まれてすぐにメキシコの染織を研究すべくメキシコへ旅立ち、数日間現地のインディオと生活をしていた。私はもちろん記憶はないが、父の著書のひとつ「メキシコの染織」の冒頭にそのことが書かれている。

小学生の頃は父から機織りを習った。覚えておいても損はないとの理由で機の仕掛け方から綜こう、筬通し、織り、修正などを教えられた。今その知識は活かされているが、当時は嫌で仕方がなかった。
そしてまた、世界のどこかに出かけて行ってしまう。だから兄も私も授業参観や学芸会、運動会、学校の入卒などの行事で父親がくることは一度もなかった。


父の後はきっと兄が継ぐのであろうとなんとなく子供心に思っていたが、結局兄は児童書の作家になり今はなんと児童書の人気作家になってしまった。
(兄の名は石崎洋司で代表作は「黒魔女さんが通るシリーズ」)
そして結局私は誰からも奨められた訳ではなく父と同じ呉服の世界に入ってしまった。

父は呉服業界に色々なスタンダードを築いた。例えば「絹芭蕉」これは沖縄の平良敏子さんが戦後復活させた芭蕉布の素晴らしさを絹で表現できないかと小千谷縮の職人と研究しその製品を「絹芭蕉」と名付けた。いまではスタンダードな商品である。また著書である「雪の中のきれ」。これは十日町の染織を題材にした風土記的な物語だが、これがやまだ織の塩沢絣(本塩沢)のヒットブランドとなった。そのほか、桐生での八丁撚糸によるお召しの復興、南部紫紺、茜染め、広瀬絣の復興、etc…全国の織物産地の研究や指導などを行った。

また、販売面でも初めて「試着」というスタイルを作った。それまでの呉服店はお客様の要望に応じて棚から商品をだし、反物を広げてみせる、或は肩にかけるという見せ方で、帯や小物は平面で合わせて見ていた。それを洋服と同じように試着して見せるというコーディネイト販売をはじめて指導した。このときも当時はきものが傷む、呉服屋として品がないと批判が多かったようだ。しかし今では当たり前の行為である。

きものや服飾について様々な研究と開発、そして営業方法まで全てにおいてきものの発展に死ぬまで従事した。
そんな父は最後まで現役だった。ある日会社で吐血し倒れた。診察の結果、末期の骨癌であったため延命治療を避け、痛みを感じないように最後を迎えられるようモルヒネによる鎮痛だけにした。
意識が朦朧としながらモルヒネの幻覚作用によって昔の記憶が戻ってきたのだろう、「撚りがちがうんじゃないのか?」「野蚕糸は伸度があるからこんな紡ぎ方じゃ織物にならないよ!」などと病床でしゃべっていた。

私が父と最後にあったのは、私が京都出張に行く前日だ。自分の死期を悟っていたのか私に向け朦朧とした口調で「お前はもう大丈夫だよ。いいか。とにかく何でもいいから皆に着物を着てもらいなさい。いいか。なんでもいいから。」
それが私に向けた最後の言葉となった。


そして翌日の2003年10月8日。偶然にも私が京都駅に降りた瞬間に亡くなった。享年76歳であった。父が活躍した京都。不思議な感覚だった。

今私は独立し、父と似たような道を歩きつつある。しかし父との差は天と地の差以上だ。父が呉服業界でしてきたことは私の憧れであり誇りである。
父は戦後の呉服業界の黎明期に新しい風を巻き起こした。そして沢山のスタンダードを作り上げた。当時も新しい流れを受け入れない人達の非難を浴びたというが己の理想を貫いたそうだ。

私が今いるこの呉服業界もまた変革を余儀なくされている時期である。しかしながら私にはまだ何の力もない。業界を変えるなど夢のまた夢だ。でも私なりのやり方で信念を持って進んでいきたい。何も出来ずに終わるかもしれないが「何かをやった」という自負だけは持てるような生き方をしたい。

いま父と同じ世界にいるという実感だけはやっと持てるようになった。

しかし、服飾研究家石崎忠司は絶対に超えられない人である。

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