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2010年4月

2010年4月30日 (金)

今、足りないもの

世の中はいよいよゴールデンウイークだ。
不況ではあるものの、それでもどこかへ出掛けたり、旅行をしたりと少し無理をしてでも家族サービスや日頃のフラストレーションを払拭するような休日をとる人は多いと思う。もちろん私を含めてゴールデンウイークなど無い!全部仕事という人も多いかと思う。特に小売業は普段よりも大幅にお客様の数が増え、短期の繁忙期となるため休んではいられないといったところだろう。

今日、成田空港を見ようと出掛けてみた。昔から私にとって空港はどこかへ行けるような想像ができる楽しみの場だ。また色々な人間観察が出来る場でもあり、とにかく癒される場所なのである。特に今日からGWという人も多く、空港は予想通りごった返していた。噴火の影響で心配されていたヨーロッパ便もほとんどが平常通りのようで、その方面に旅行する人も今まで帰れなかった人達もとりあえずはひと安心であろうと思う。

旅行会社の調べで3月の日本出国者数は9%増の155万人だそうだ。大手旅行会社の1つであるHISは3月の海外旅行扱い高は13ヶ月ぶりのプラスであったそうだ。こういうニュースを聞くと何か希望らしき気持ちが湧いてくる。
必ずしも「景気回復」の実感は誰にも無いが、やはりこの動きは期待感が否が応でも高まる。

海外旅行は本当に手軽になった。
私の年代ではないが、昔は「あこがれのハワイ航路」なる唄に始まり、海外旅行はとっておきの旅だった。その旅費も給料を遥かに超えるような高額なものであった。当然のごとく富裕層といわれる人達だけの楽しみであったのは言うまでもない。

それが、格安航空券の出現によって格安なパック旅行が実現し年代を問わず、多くの人が気軽に海外旅行を楽しめるようになった。またプランの細分化によるホテルグレードや食事のランク、様々なオプションという選択幅の充実が個々の希望や欲求に合わせた自分だけのプランによってより充実した旅行が出来るようになった。


「国内旅行は安い」、「海外旅行は高い」という概念が、両者の価格差がなくなったことで、海外旅行自体の絶対数が増加したのだ。そしてその増加によって今度はクオリティを求めるようになってきた。飛行機はビジネスクラスでホテルは三ツ星級、レストランも二つ星以上などのハイグレードな旅も増えてきた。航空会社がファーストクラスやビジネスクラス、その他プレミアムエコノミーなどのハイグレードなシートのPRに拘るのもわかる。

もちろん国内旅行も同様だ。安上がりで行く国内旅行も依然として人気だが、その実ハイグレードな国内旅行プランがこの不況下の中でも人気だそうだ。

何故この不況下において国内、海外のハイグレードな旅が以前より売上増となっているかを考えると、単純に格安国内旅行や格安海外旅行の出現によって絶対数が増えたのである。絶対数というハードが増えることによってその中から質を求めるソフトがうまれる。より多くの利用者を増やすことは、ハイグレードを望む利用者も増やすことに繋がる。最初からビジネスクラスやファーストクラスを選択する人もいれば、エコノミーからのステップアップをする人もいる。これはやはり絶対数があって波及していくのである。

では、これを着物に置き換えて考えるとどうか?

いま、リサイクル着物やネットショップなどでかなり格安の着物が手に入るようになり、特にカジュアルきものを中心として動いている。また実店舗でもポリエステル、綿物、麻物なども動きを示している。まだ大幅に売上が増えているという状況には遠いが、少なくとも以前よりは動きを見せている。ある意味価格が熟れており、いうなれば「国内旅行」である。これに関してはやり方次第でまだまだ伸びる可能性があり、大いに期待したいところだ。

ただまだ足りないものがある。
「新品の正絹きもの」のエコノミークラス的な着物だ。
アイテムとしてはフォーマルでもカジュアルでもどちらでもいいのだが、上記の「国内旅行」的着物に価格的に肩を並べる正絹きものが絶対的に足りないのだ。ある意味ちょうど穴の空いたプライスゾーンだ。もっと端的にいえば、3〜5万円で作れる正絹着物。同じく帯。そして小物。要は10万円以内で仕立て上がって、しかも一式で着られる新品の正絹着物が足りないのだ。ここであえて「足りない」と表現しているのは、企業努力でそういった一式価格の正絹着物を展開しているところは実際にある。しかしながら絶対数としてなければ、「量というハード」が作り出せないのだ。

以前にもこのブログの中で考え方として述べたが、一式十万円以内という商品を10人にお買い上げ頂いたら100万円である。そしてそれ以上に着物をお買い上げ頂けたお客様が10人も創出できるのだ。これは小売店にとって何より大きい。その購入者がリピーターであれば更なる顧客深化が出来るし、新規であれば、新規顧客の創造が出来るのである。この部分が増えていけば、新規購入客は増え、裾野は広がり、やがてその中から更なる高みの着物を望むお客様が増えていくのだ。

しかしながら、この部分である「格安海外旅行」が絶対的にないのである。当然低価格設定は収益率を圧迫するだけでなく、大きな在庫リスクの可能性がある。また流通の問題があるので、具体策がないのに商品要望はし難いことは確かである。
しかし、エコノミークラスで旅をしている人が増えれば増えるほど、ビジネスクラスやファーストクラスに憧れを持つようになるのと同じで、いつかは良いものをと憧れるようになるのだ。

それぞれの段階で、厳しい中、各呉服企業が必死の努力をしているのは間違いない。ただ、できるものなら正絹のハイグレードも動かすためにも、是非とも様々なマーケティングした上で、仕立て上げて10万以内で一式揃うエコノミークラスの正絹商品を供給できるよう考えてもらいたいものだ。そうすれば、間違いなく絶対数という「量」が増える。収益率は厳しいかもしれないが、それは後で間違いなく取り返すことができる。なんとか検討して欲しい。

今、最も足りないものはそれだ。


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2010年4月29日 (木)

そうはいってもフォーマル

先日打合せでとある都心のホテルのロビーラウンジにいった。
日が良かったのか結婚式のために粧し込んだ素敵な女性たちがドレスを身にまとっていた。そうなると仕事柄着物姿を探してしまうのだが、その日は残念ながらたった1人。濃い縹色のシンプルな草花模様の訪問着にこれまたシンプルな糸錦の品のいい袷の帯。振りから見える長襦袢はすこし浅い紺。おそらく30代前後のスラッとした女性。しかもセンスが良かった。

着物の仕事をしているから少し贔屓目に見ているのかもしれないが、どんな高そうで凝ったデザインのドレスでもそれが霞んで見えるほど、美しく見えた。当然男性の私としても目を奪われたことは言うまでもない。

「粧し込む」を辞書で引くと「身なりを飾りたてる。入念におしゃれをする」とある。たしかにフォーマルの席は洋服にしろ着物にしろ、入念におしゃれをする。結婚式やホテル等で行われる会社絡みのレセプションなどに呼ばれるとかなり前から何を着ようか?美容院にいかないと・・となる。そしてクローゼットを物色し、お気に入りの洋服があっても、せっかくだから新調しようか、なんて考えたりもする。

着物を着ようと思っている人は、「せっかくだから新調しようか」などとは思わない。1つでもフォーマルを持っていたら、どの帯を合わせようか?小物はどうしよう?重ね衿は?それとも半襟で飾ろうか?などと組み合せを考える。

洋服にしろ、着物にしろ、フォーマルなお呼ばれは事前にスケジュールがわかっているから、それまでに色々悩む。それが女性にとって楽しいことであり、だからこそ、当日完成度の高い装いを披露してくれる。

着物でのフォーマルは「晴れ着」だ。結婚式なら親族で既婚者だと黒留袖や色留袖を着る場合もあるし、訪問着の場合もある。未婚者であれば振袖もあるかもしれない。晴れ着はマナーとしてのT.P.Oという多少の制約はあるものの、自分がどう楽しんできるかという面ではどんな着物でも変わらないと思っている。ただフォーマルは人からどう見られるかも少しだけ考えた方が良いとは思うが。ただ私は礼法の専門家でもないし、そもそも「こうでなくてはいけない」という発想は好きではないので、その辺については賛否が分かれるのであまり触れないでおく。

私はかつて小売にいた時、お客様にフォーマルとカジュアルの違いを「着飾るもの」と「着こなすもの」と表現していた。フォーマルは不祝儀を抜かせば、やはり華やかな席が多く「自分を着飾る楽しさと美しさ」があると思っている。豪華な華やかさでもいい、シンプルでもいい、粋でもいい、それによって普段じゃないもうひとりの自分を楽しみ、またそれを誰かに見てもらうという、なかなか無い機会だ。いつもと違う自分になるということは女性にとって、そう頻繁にはない特別な時間なのだ。だから「着飾るもの」だと私は思う。

よく「フォーマルの着物は着る機会が無い」と言われる。全くその通りだ。逆にいつもと違う自分を楽しむ時間が頻繁にあってはつまらない。だから、フォーマルは「とっておきの1枚」があれば楽しめるのだ。もちろん余裕があれば色々揃えるのも楽しいかもしれないが、そういう面では洋服を揃える価値観とは違う。また、フォーマルはどうしても値段が高い印象がある。たしかに本当にいい物はそれだけ手が掛かっているからそれなりの値段はする。でもそれが大切なのではない。

自分にとって「いいもの」とは自分が心から気に入っていて、しかもとっておきの時に自分を変身させてくれるものが「いいもの」なのだと私は思う。そこには高い安いという市場の原理は関係ないのだ。

このようにフォーマルにはフォーマルの楽しみがあり、カジュアルにはカジュアルの楽しみがある。どちらが良いかとかどちらが着るかという基準で考えるものではない。着るシーンが違うのだから比較対象ではないのだ。

呉服店の販売員もこういう背景を深く考えながら、接客すべきなのだ。商品紹介のキッカケが「作家物」とか「滅多に見れない」とか「技法がどう」とかそんなことは先に持ってくる話ではない。そんな紹介しか出来ないから、お客様が不審に思ってしまう。フォーマルの着物をお見立てしたり、ご提案したりすることは、そのお客様の大切な人を祝ったり、仕事上大切な役割を果たすときだったりとそう頻繁になく、そして特別な時間のお手伝いをすることと同じなのだ。そういう想いを基本に持てば、接客も変わってくる。それだけフォーマルの着物を提案するということは大変なことなのだ。

私はもう直接お客様に着物をお勧めすることはないが、仕事上、呉服店を指導する時にはいつも店員にいうことがある。

「お客様が着物というものに出会うことによって、今まで知らなかった自分に気付いて頂ける。そうすることで少しでも人生は楽しいと思って頂ける。そんな素晴らしい仕事なんだという誇りをまず持って下さい」

店にとって売ることは重要だ。しかし売るだけになっている心の無いお店に出会ったお客様は不幸だ。そういう呉服店になってはいけないと私は常に思っている。

いまはリアルクローズの着物が元気だ。着物を着る楽しさがどんどん広がりつつある。カジュアルの波がどんどん大きくなってきている。それはとても素晴らしいことだ。もっともっと楽しんで欲しいし、きものファンがもっと増えて欲しい。気軽にそして着こなす楽しさのあるカジュアルを呉服店は適正価格でもっと増やすべきだ。

しかし、あえていう。「そうはいってもフォーマル着物」も素晴らしいのだ。


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2010年4月27日 (火)

ホースの水

低価格の波はいまだ止まらない。
イトーヨーカドー、ジャスコ、西友のSCから、ユニクロ、H&M、GAPなどのアパレル、その他様々なカテゴリーで未だ低価格戦略が目立つ。しかしそれと平行して内容もレベルアップしているので基本的に悪いことではない。たしかにデフレなのかもしれないが、結果的に身の丈にあった消費がなされているような感じでもある。

着物にも当然その波がきている。
不況による消費の冷え込みが呉服業界売上に大打撃を与えたことはいうまでもないが、それが価格に対する意識度の高さへ変化してきているように感じられる。着物は製作時点でも様々な手間が掛かり、それがいくつかの流通を経ることによって価格が膨らんでいく。これが今までは暗黙の了解的なものであった。

ところがここへ来て、フォーマル着物の縮小のスピードが増し、ゆっくりとカジュアルが押し上がってきている。当初インターネットショップでは着物は売れないと言われていたが、価格の安さや自分で時間を掛けてゆっくり見て楽しめるというメリットもあり、また無数にある店舗との比較による買い回り的なことも自由に自分の意志で出来る。それらによって今、着物のネットでの購入はごく普通のことになり、市場も約500億円くらいまで成長している。

こういったネット市場の成長は着物の価格に大きな変化をもたらす。これによって実店舗での小売価格の見直しもされていく。着物という商材は同じ商品でも取引条件や流通ルートなどで小売価格が多様であり、「一物二価」が当然のようにある。かといってメーカーでの希望小売価格の設定は消費動向とのギャップを招く可能性がある他、手形決済か現金決済かで原価率が変動したり、仮に買い取りだったとしても、値下げや二重価格の問題に拍車をかける可能性があり小規模小売店の真面目な値付けが逆に不利となる事もあるが故に非常に難しい。

いずれにせよ、消費動向が短期間で大きく変動している呉服業界において、今以上に小売価格について消費者は敏感になっていくであろう。なぜならインターネットで手軽にしかも詳しく情報をとれるため、適正と見なされない価格のものは購入されなくなるからだ。

そして大手小売チェーンは客単価主義から客数主義へどんどん変化してきている。そうなれば価格は下げながらも粗利益率の確保をするという考え方になる。経営上は当然の原理だ。ただし、販管費を下げるのも限界がある。各店舗の年間予算も損益分岐点ギリギリか、逆に予算を達成しても赤字という場合もある。1つ1つの商品粗利益率を交渉によって上げるのも限界がある。

そこでそれを改善するために今1つの流れが出来つつある。それが「仕入れ先の絞り込み」だ。いままでは店頭でも催事でも幅広くまた特色ある品揃え、をするために仕入れ先をどんどん拡大してきた。それによって仕入れ先の特色を活かして使い分けてきた。しかし、ここまで売上が縮小するとそれ自体が意味が無くなってくる。そして多品種小ロットが当たり前となったこの時代に買取と委託の原価率が変わらなくなってきた。

それを改善する方法が「仕入れ先の絞り込み」をし、1社あたりの扱い高を増加させ、年間取引高を増やすことで原価率を大きく下げるという手法になってきているのだ。たしかにそうすることによって取引のある企業は扱い高が増えるという大きなメリットとなり、多少厳しい値段を要求されるが、充分取り戻せる可能性がある。

ただし、その一方では絞り込みによって取引から溢れてしまったところは当然厳しい。扱い高が激減し、下手をすると存続の危機にもなりかねないような状況になるかもしれないのも事実だ。そして大手チェーンの売上規模を失うことは、何件もの取引先をいっぺんに失うことと同じことになるので、死活問題だ。

しかし、これからこういうことが中規模、小規模の小売まで及んでくることが予想される。そしてそうなったときにメーカーとして、または問屋としてどう対応していくかが、大きな課題となってくる。恐らく非常に早いスピードでそういった形の絞り込みを実施することになっていくはずであると考えている。


庭に水をやるときに、だいたいホースを使う。そして弱々しい水の流れでもそのホースの口をつまむだけで、水はかなりの勢いとなり何m先までも水が飛んでいく。まさにこの原理こそ取引の絞り込みなのである。

蛇口を閉め、水の量を少なくし、ホースの口を絞って勢いを増す。それによって収益率の向上を図る。その考え方が正しいのか間違いなのかは、別としてもメーカーなら特色を活かし、差別化されたモノ作りを続け、販路拡大を続けるべきだと思う。


ホースの水は庭の木や花に潤いを与え、そして活かす。呉服業界の中に表れたホースの水は、果たして潤いを与えてくれるのだろうか?

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2010年4月26日 (月)

人の力と心の力

ツイッターのお陰で、沢山の人との出会いと繋がりが生まれており、まだまだ増え続けている。フォロワーさんは570人とツイッターを日々やっている人から比べれば少ないが、普通に日々を送っていて短期間でそうそう570人は出会えない。そして驚きなのはツイート数が3700回で570人と出会えているのだ。

普通に考えても、たった3700回話したり、呟いただけではそんなに多くの人とはとても出会えない。スゴイことだと常々思う。そしてまた、ツイッターで広がった人の輪はビジネスとして、コミュニティへの参加としてなど、互いの気持ち次第でいくらでもリアルに会うことが出来る。これも今までには無いことだ。

ネット上でもリアルでも人の力という物を最近とても感じる。同じ志を持つ人達がネット上でいっしょに何かをやろうと共感する。そして実際に何かが始まる。きものファンが着物を着るイベントで東西のリーダーが交流する。その他地域活性など様々な形でリアルな形の出会いでより深い繋がりができ、そこからすごい力が発せられる。本当に人の力とはすごいものだ。

そしてもう1つ感じるのは心の力だ。
私が以前ある厳しい業績の小売店の立て直しに取り組んだ時に、どう考えても難しいと思っていた。何故なら完全に各人が信頼関係を失い、見事なまでにバラバラだったからだ。ひと組でも仲の良い塊があるだけで、そこから突破口になるのだが、それがない。一体どうなったらこういう風になるのかが不思議なくらいだった。

まず最初に試みたのが個人ミーティング。一人一人と面談し、その人が仕事をする目的やこの店の良いところと問題だなと感じるところを1つずつ出してもらう。そうすることによってその人のものの見方や価値観が何となくわかるからだ。ところが、そこまで蝕まれているのかまともな答えが返ってこない。正確には明らかに優等生の答えしか返ってこないのだ。そういう時は「なぜそう思うのか?」という質問をその都度投げかけ掘り下げていくのだが、その店のメンバーはモノの見事に仮面をかぶっていた。


次に取り組むのは店方針だ。
これに関して私はとことん追求する。以前ブログでも触れたが、営業店にとって店方針はいかなる事態や状況においても揺るがない大切な指標であり、そこから答えを導きだす大基本であるからだ。その時も店長と約2週間強かけて徹底的に詰めながら方針を決めた。そしてそれを店長が店メンバーに説明していく。当然のことながら無反応だ。

そこで私が店長への質問の口火を切る。店で起こる現実的な問題をシュレーションした質問、いわゆる「この場合どうする?」という質問をいくつか投げかけた。店長はそれに対し、方針とはブレないようにきちんとわかり易く答える。
そして再度店メンバーに質問を呼びかける。まだ出ない。そうしたら私が別の質問を店長に投げかける。それが解決したら再度店メンバーへ質問を出すよう呼びかける。その繰り返しだ。

そうすると3回目くらいで店メンバー同士でもにょもにょと話しだす。これが出てくると良い兆候である。そしてやがて質問が出てくる。そうすることで、ここからが本来のミーティングになるのである。これによってだんだんと「店」、または「店で働く自分」というものが見えてくる。特にこの店にとっては良い傾向であるし、やっと芽を出したというような感じであった。

ただそれだけではダメだ。組織は縦のつながりと横の繋がりが必要だからだ。だから店メンバー同士の信頼関係構築は横の繋がりとして絶対に必要なのだ。しかしながらこの店の難攻不落なところはここでいう横の繋がりないということである。こればかりはデータ分析や論理ではどうしようもないのだ。

そして八方ふさがりのまま、思いついて実施したのが、「いいところミーティング」だった。やり方は簡単。一人一人が自分以外のメンバーのいいところを言っていく。マイナスな事は一切言わない。ただどうぞ言って下さい!と言ってもすぐには出てこないので、店長から口火をきってもらった。

これがこの店を180度変えるキッカケとなってしまった。今まで表面上でしか相手のことを捉えていないし、信頼関係がないから相手の良いところなんて考えてもいなかったからだ。ところが改めて冷静に考えてみると、悪いところを探すよりも良いところを探す方が気持ちいいことにメンバーは気付くのである。そして自分のことをそんな風に思ってくれていたんだと気付くことで和が出来てくるのである。

そしてその結果、この店のメンバーは横の繋がりがしっかりと出来てしまったのである。

こうなると店は強い。しっかりとした店方針に加え、メンバーが1つの輪になっているのでどんどんやり方や考え方を吸収するようになる。そしてメンバーが意欲的になり、なにより店が明るくなったのである。そういう店にはお客様は必ず来てくれる。

お陰さまでその店は半年で前年売上をクリアした。私としても本当に大切なことが見えた良い経験であった。

いま改めて思う。人の力と心の力はあらゆる困難をもプラスに変える。

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2010年4月25日 (日)

未来創造能力

最近は草食系だの肉食系だのと男性の傾向を指して言われている。
草食系は弱々しいからモテないのかと思いきや、結構この系統はモテるらしい。やはり女性にとって「優しい」というのは非常に大切なキーワードのようだ。
私は体系も性格も完全に肉食系であり、見た目もそんな感じであるため、多分「モテる」という表現は全く当てはまらないが。

ただ、女性の男性に対する判断基準というのは非常にシビアであり、男性に対して頼りない、彼氏にするにはちょっと考えてしまうという理由の多くは「優柔不断」であることだそうだ。デートに行った時の第一声が「どこに行きたい?」「どこ行く?」だと多くの女性がガッカリするそうだ。前から決まっていた約束なのに何も考えずに来たのか?という気持ちもあるし、その都度「どうする?」と聞いてくるのは「自分が無い」と思われるようだ。

男性からしてみれば、彼女の意見や気持ちを尊重している場合も多々あるようだが、女性からすればそこで引っ張っていって欲しいのかもしれない。これからどんどん女性の要求レベルは上がっていくのかもしれない。

仕事の世界でもそうだ。自分の意見を持たない人は意外に多いのかもしれない。もちろんそれが会社組織の中での自分のポジションというものも関係してくるので、逆に自分の意見を主張しすぎるのも大きなマイナスとなる。ただこの場合の自分の意見を持たない人は、「批判ばかりで自分の意見がない」「なにも考えてない」「ふたことめにはそれでいいですを繰り返す人」「仕事が増えると思っている人」などに多く見られる。これも困ったものだ。

呉服業界でもこの傾向はかなりある。「そうはいっても」のオンパレードだ。確かに事業や業務改善に対する提案や営業企画、商品企画提案は現状の問題点を深く掘り下げ、様々な分析や調査をして出した提案でなければ、到底受け入れることは出来ない。なぜならそこに経営資源を分配する必要があるからだ。それに対しての基準は厳しい方がいい。しかしそういった提案や意見を訳も無く頭から否定をしてしまうのは疑問だ。


また、消費者調査結果に対しても「こうしてほしい」という要望をすべてにおいて理由を付けて「難しい」で片付けてしまう。これでは何も解決しないし、なにも進展しない。それでいて「お客様視点」とか「マーケットイン」などと自信を持って発するのだからタチが悪い。

またどうしても呉服業界は色々と言われやすい。販売方法、流通構造、取引の問題、職人などの賃金の問題や後継者の問題などなど、悪い言い方をすればネタは尽きない。お陰で問題点の抽出という意味では充分すぎるほど出ているはずだ。

いま、一番大切なのはそれぞれの問題に対して「じゃあどうするのか」である。病気治療でいえば、経過観察なのか?処方箋治療なのか?入院治療なのか?手術治療なのか?リハビリ治療なのか?その具体策を問われる時を迎えているのである。

当然「どうする」を考えるのはとても大変だ。「どこ?」がいけないのかを的確に捉えて、「なぜ?」を深く掘り下げて考える。私の場合、この「なぜ」は「なぜのなぜのなぜ」というところまで考える。そして初めて「どうする」が出てくるのである。ただここで終わりではない。やっと出た「どうする」という治療方法を実際にどのようにして行動と伝達をし、結果を出せるようにするかをひたすら考える。
もちろんそれが私の仕事であるから当然の話である。

松下幸之助翁も事の進め方についてこういっている。
「まず“できない”という考えを捨てることだ、そして一から新しい方法を生み出してみることだ」

様々な問題点に対処するときに「できない」という考えを捨てると本当にできるような気がするから不思議だ。そして「できる」という気持ちの土台が出来ると「どこ」「なぜ」「どう」の考え方が完全にポジティブになる。それによって生まれた「こうする」は相手にポジティブに伝わるので、早い段階での効果が出てくる。これは本当に不思議である。


今の呉服業界は消費者から見れば、まだまだ「ダメだし」ばかりかもしれない。それはやはり「じゃあどうする」が絶対的に足りないし、見えないからだ。問題点は皆気付いているし、明確であるからこそ「じゃあこうしていく」「ウチの会社はこうしていこう」というそれぞれの強い「じゃあどうする」が出てくることで初めて業界の活性化と業界不信の払拭に繋がる。そして私はそういう仕事を中心にしている以上は「じゃあこうしてみよう」を常に発信していきたいと思う。

私が尊敬している野村克也氏の言葉の中で好きな言葉を挙げたい

「仕事をする上で必要な三つの能力がある。「問題分析能力」「人間関係能力」そして最後が「未来創造能力」である

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2010年4月24日 (土)

小物は大物

今、市場には様々な和雑貨系小物店やショッピングセンターでの和テイストコーナーが多く目立つようになってきた。
それは過去のようなお土産物的なものではなく、しっかりとした作りで、なおかつセンスもあり、その物だけでも充分楽しめるようなものばかりである。

今や和物は流行ではなく、完全なライフスタイルグッズになっている。そのお店を実店舗、ネットショップ、カタログ通販等などで分類してみても、恐ろしいほど無数に存在する。これほど和物が消費者に自然に受け入れられており、愛されているのだから、衣服としての和の象徴である着物も同じくらいに広がってくれるといいのだが、中々そこまでのレベルには達しないのが残念である。

ただ、呉服店も当然こういった小物類を扱っているのだが、なかなか小物専門店のような品揃えは難しい。それにどうしても呉服店で小物というと、帯締めや帯揚げ、草履や和装バッグ、肌着や腰紐などの和装用小物が中心となってしまう。いわゆる実用和装品だ。しかもお決まりのパターンとして、だいたい店先のワゴンにそれが入れられている。そしてその後ろにサイズ別種類別におかれた足袋などが陳列されている。意図としては非常にわかるのだが、ビジュアル的には厳しいところだ。

実用和装品を見たり、買われたりするお客様は、頼まれもの以外は自分が使う。なぜ使うかは当然きものを着る為だ。そういうお客様がキッカケは実用小物であったとしても、その目的を果たした後は少しだけでも良いから、店内を見てもらいたい。お客様としても本当は見てみたいのだけれども、呉服屋にはどうしても警戒してしまう。ここには大きなギャップがあるのだ。でも呉服店で働く方々はどうか小物を買って、それをレジで処理している間のお客様の表情を見て欲しい。大半のお客様が店内の着物を見渡しているはずだ。小物を買うという目的を果たしたお客様は、無目的にかわり素直な目できものを見て下さっているのだ。そういうお客様には是非とももっとじっくり見せてあげたい。

そういった意味で呉服店にとって小物の持つ役割は非常に大きい。小物コーナーはお客様との出会いのコーナーでもあるからだ。だから実店舗の呉服店の小物の品揃えはもっと幅広く、もっと美しく、もっと楽しく構成して欲しいものだ。

「小物のお客様はきものを買って頂けない。小物は小物」

そう思っている小売関係者は意外にまだまだ多い。それがモロに商品陳列に表れている。それではあまりにも不親切であるし、第一そのほとんどが新規来店客であるのだから勿体ない話だ。
和装小物は種類が多く、肌着ひとつとっても様々なタイプがある。それらをプライスカードなどで使い方や選び方を書いてそれぞれをわかり易くすることでお客様には和装小物といえども選ぶ楽しさが出てくる。そうなれば販売員も自然とお客様と接するキッカケが出来る。

これはどんな業種でも言えることだが、「売れない店=わかり難い店」であり、「売れる店=わかり易い店」という単純な方程式が大基本なのである。
メインの商品はもちろんのこと小物や雑貨に至るまでそれはすべてに当てはまるのだ。

人との出会いはほんの些細なことがきっかけとなる。それは仕事も恋愛も、人とのつながりすべてにおいてそうだ。そして商品との出会いもほんの些細なキッカケから始まる。そしてそのキッカケの多くは着物以上に小物から始まっていることが実に多いのだ。

そしてその小物を見に来たことがキッカケで、着物と出会うことは非常に多いのだ。私の経験では新規客の半分は小物を買いに来た、あるいは見に来た方である。先に述べたように呉服店で小物を見る方はきものを着る予定のある方が多いから、きものに少なくとも興味のある方である。そういう方と、小物選びのお手伝いをし、きちんとお客様が納得し、喜んでもらえるお勧めをすることで、コミュニケーションがとれ、信頼も頂ける。そうやって着物をご紹介するキッカケにもなり、買う買わないは別としてご縁ができるのである。

どうかもう一度考え、確認して欲しい。小物を買いに来た或は探しているお客様をないがしろにしていないか?せっかくの出会いを何の印象もなく終わっていないか?お客様がわかり易い陳列をしているか?和装小物以外の和雑貨等、少しでも多くの幅広いお客様に見て頂けるような商品構成ができているか?

小物は着物を楽しく着る為に無くてはならないアイテムだ。

そして改めて思う。小物は大物だ。

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2010年4月23日 (金)

自分の仕事とは?

何かに没頭することは、何とも言えない幸福感と高揚感を感じるものだ。仕事を依頼されるということは、自分を信用してもらい、期待をして頂き、そして報酬という責任を持つことになる。だからそれらを全うする責任があるし、最大限の努力をする。これは当たり前のことであるが、自分を必要してくれる喜びは計り知れない。

自分の仕事は「きものビジネスコンサルタント」である。そして私がこの仕事をする目的は「呉服業界への恩返し」だ。これは私を生まれたときから育ててくれたこの業界に様々な形で貢献し恩返ししたいという想いが原点になっている。これも胡散臭く聞こえるかもしれないが、私にとっての原点だ。

しかも呉服業界すべてにおいてのコンサルティングを手掛ける。特にこの業界では非常に少ない職種であるし、他から見るとその内容が非常に曖昧であるが故に、胡散臭さを感じられたり、色々な受け取られ方をされる。なかなか理解を得るまでは苦労する。私がクライアントの立場であったら同じことを感じる。

今、呉服業界でコンサルティングをしている方々で圧倒的に多いのが催事営業支援だ。その多くが大手チェーンの営業畑で活躍なされた方々で、私の先輩たちも数多くそのような仕事をしている。これに関しては現状、なんとか小売店が継続していく為に催事を実施し、大きな成果をあげるためには非常に効果的であるし、一時的には小売店も元気になる。だから超短期的な営業支援としては大きな有効手段であることは間違いない。

ただ、これを続けていくと新規客が増えないどころか、現顧客がいつか枯渇してしまう。だから私はこれだけを依頼されても結果的に「恩返し」ならないので単発では受けない。もちろん長いスパンで見た小売店さんの店頭営業のコンサルティングの中での催事であるなら喜んでするが、催事だけを目的としたものに関しては本意ではない。もちろんこの形で実際に取り組みをさせて頂いている。

またその一方で、これからの業界を作っていく人材育成にも注力している。これはもちろん「恩返し」という発想であり、むしろ今後の呉服業界にとって一番大切なことであると考える。できればこれはもっと広げていきたいし、様々な業界の方達が関与して欲しい部分である。

その他に関してもそうだ。生産者、流通業者、小売、悉皆などももちろんだが、異業種の呉服業界とのジョイントなども行う。ネット事業への取り組みも、新しい情報発信の形や新しい小売の形も突き詰めていく。結果的にこれは取引の清浄化という意味で非常に現実的な手段の一つであるからだ。これからネットと実店舗の融合という面も含めて消費の変化に対応する形を作っていきたいと考えている。すでに取り組みも始まっている。

こうして呉服業界に関わる多くのことに取り組もうとするのはすべて「呉服業界へ恩返し」であり、絶対にブレないようにしている。これがブレてしまうと自分の根本が崩れてしまうからだ。

きものファンが着物を着て楽しむことは何より大切なことであり、業界にとっても大きな励みになる。それと同じくらい業界にとって「売る」「売れる」ということは大切なことであるのだ。ただし、それはただ売るのではなく「正しく売る」または「正しく売れる」ことが大切だ。小売として「売る」「売れる」ことであらゆる可能性が生まれ、小売が売れることで流通も動く。流通が動けば生産が動く。これはこの業界に限らずすべてのビジネスにとって「売る」は重要なのだ。

私は、ツイッターで時々「営業とブログで自分の利益を得ようとしている」と批判されることがある。そういわれてもやむを得ない。現にツイッターによって驚くほどの人脈が出来、そこから仕事になったことも多い。だからそれについては否定しない。ただ、自分の利益を得るなら私ならもっと効率のいいやり方を選ぶ。それだけの人脈と営業ノウハウは持っているつもりだ。それにツイッターとブログで仕事がどんどん舞い込むほど呉服関連企業の経営者たちがいる訳でもない。ましてや私のようなわかり難い職種は特にである。

ただ個人であるが故か自分の利益重視というよりも自分の目的意識の延長線上に報酬という利益があれば良いという考え方である。やはりこれは「呉服業界への恩返し」ということが基本であるからだ。やはり自分の指針を明確にすることで自分の仕事とは?が明快になる。そういう明快さが深い信用を生むと確信している。だから私は絶対にこのスタンスから離れないのである。

やはり何といってもその想いの奥の原点は父かもしれない。父は産地、流通、小売、人材育成、メディア、教育機関などすべての分野で戦後の呉服の発展に注力し大きな貢献をしてきた。それをどこかで目指しているのかもしれない。

自分にそんな力は到底ないのに、それでもどこかで憧れ、尊敬してきたからこそ、企業を離れフリーランスになった今、はじめてそれを強く意識して行動しているのかもしれない。だから「恩返し」という名の目的に拘っているのだと思う。

今日は内容が少し支離滅裂になったが、ブログを書いているうちに若い頃父に叱られたことを思い出した。自分の同期が先に役職についたときに愚痴を言った時にこういわれた。

「人を妬むな。それに自分の評価は自分でするものではない。そんなことを気にする暇があるなら、少しでも他人の利益になるような仕事をしなさい。そうすれば信頼という一番大きな利益が得られるのだから」

この言葉は今になってやっとわかったような気がする。

そして私の仕事とは「きものビジネスコンサルタント」だ。


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2010年4月22日 (木)

伝統的工芸品について考える

以前仕事で鹿児島の本場大島紬織物協同組合に行った時に、入口に貼ってあった伝統工芸士試験のお知らせを目にして改めて伝統工芸士のすごさを理解したことがあった。

経済産業省指定の伝統的工芸品は現在210品目あり、それに付随する産地組合は211組合である。そしてそれに従事する伝統工芸士の数は4568名である。
伝統工芸士の役割としては、伝統工芸士会の「伝統工芸士の役割」の中でこう書かれている。

「伝統工芸士は、伝統的工芸品の貴重な担い手として産地固有の技術・技法の研鑽に努め、その技を次代へ継承していくための中核の人材として期待されている」

また伝統工芸士は「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」の第24条の8項の中で定められた伝統工芸の技術を後進に伝える高い技術を持った社会的地位のある技術者なのである。その伝統工芸士になる為には、経済産業省指定の伝統的工芸品に12年以上従事しており、現在もその製作に関わっている人だけに受験資格があるのだ。

様々な分野の伝統工芸品があるが、私が専門である呉服に関わる分野においては「織物」「染色品」「その他繊維製品」の3つが該当するが、品目数は48品目と全体の約23%を占める伝統工芸を代表する分野であるといえる。私は呉服業界に従事しているので、ここでの話はどうしても上記の3つの品目中心に述べることになるが、他の指定伝統工芸品もどれも非常に素晴らしく、またかけがえないものであることはいうまでもない。

さて皆さんは全国にはかなりの織物や染物、小物などが存在することをご存知のことと思うが、伝統的工芸品に指定されているものは先述したように48品目しかない。これは何故かというと伝統的工芸品に指定される為の条件が法律で決まっており、各組合の申請によって審査されるからであり、それを通らない限りは伝統的工芸品として指定されないのである。


伝統工芸品指定の要件は
1、 主として日常生活の用に共されるものであること
2、 その製造過程の主要部分が手工業的であること
3、 伝統的な技術または技法により製造されるものであること
4、 伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるものであること
5、 一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているものであること。

としている。またその他も組合やその構成員についてなどの規定が細々とあり、そう簡単には指定されないのがよくわかる。

平成20年度実施の生産基盤と供給実態についてのアンケート調査で、今実際に大きな問題とされたのは、「後継者不足」と「生産基盤の問題」である。

「後継者不足」という面では、なにも伝統工芸品指定になっている者だけではないが、先に述べた伝統工芸士自体がすでにいなくなり、技術の継承が困難になっている物が存在する。これも呉服関連のみ挙げるが、「読谷山ミンサー」「喜如嘉の芭蕉布」などが伝統工芸士が既にいないものである。ただし芭蕉布に関しては平良敏子さんが文化庁指定の重要無形文化財技術保持者として認定されているため、伝統工芸士としては数に入らないので0人となっている。

また数人しか居なくなってしまったものが「宮崎本場大島紬」が2人、「宮古上布」が3人、「八重山ミンサー」が3人と非常に厳しい状況であることがわかる。また織物が多いこと、琉球染織が特に厳しいことが伺える。これは戦争が関連しているとのことと原料調達とその技法の難しさの両面も関与しているとのことである。

続いて生産基盤の問題としては織物、染色品ともに大きな問題となっている。特に原材料については調達コストの増の問題と材料品質の低下、人材の確保が同じ割合で挙げられている。また、生産用具についても調達が困難とされている物が多い。琉球産地で最も多い回答は「竹筬」であり、これは私が以前ブログの中で竹筬を取り上げたが、竹筬の生産自体が消滅の危機に直面しており、大きな問題となっている。その他、織機自体の調達、修理、シャトルなども入手が困難になっているとのことである。また染色品では「刷毛」という答えが非常に多く、刷毛には主に鹿毛などの獣毛が使用されるが、様々問題から調達が非常に困難になってきている模様である。また原油高による染料コスト増も大きく影響している。

もちろんその他にも販路の拡大が困難、売上の絶対数の低下、なども大きい要因となっているのは誰もが承知していることである。

一口に産地を守ろうといっても様々な問題があり、それらをしっかりと認識した上で考えていかなければならないと考える。現在、この伝統的工芸品産業振興協会が認定する「伝統工芸品産地プロデューサー」なる方々が185名いるが、少なくとも織物や染色品の分野でその方が活躍しているという話は全く聞かない。またそのプロデューサーと言われる方々もほとんどが大変失礼ではあるが高齢で評論家的な方々が多い為、なかなか行動できないのではないかと感じる。

私も今後取り組んでいきたい仕事は「産地ブランディング」である。非常に難しいことではあるが、今以上により深く産地の特色や現状、数値的なものまできちんと把握した上で、産地の活性化をライフワークとして取り組めたらと思っている。

伝統工芸や産地に関しては「こうすべきだ」などと軽々しく言える問題ではない。しかしながら、何かをしていかないとどんどん厳しくなる。とくに和装分野での伝統工芸は特にである。

そのために私に何が出来るか?をもっと突き詰めていきたいと思う。なぜなら日本の伝統工芸は絶対に世界に誇れるからである。それだけは間違いない。

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2010年4月21日 (水)

長襦袢のおはなし

今年は天候不順であり、4月でありながら雪が降ったり異常なまでの低温だと思いきや夏日のように暑い日もあったりと体を気温に合わせていくのが非常に難しい。この気温差によって体調を崩した方も多いのではないかと思う、

日本には四季があり、その季節によって色とりどりの豊かな自然の表情を見せてくれる。それを日本人は春色、夏色、秋色、冬色と季節のイメージカラーを独自の文化で築いてきた。たとえば春を連想させる色は桜色であったり、ヒワ色であったり、夏は藍色であったり、秋は茶色、冬においては白色やにび色であったりと巧みに表現している。

現在のきものの色柄表現は盛夏のものを除いて出来るだけ季節感を感じさせないような表現をしたものが多い。一番多い吉祥紋様や御所解などはその代表例であり、そのほか草花、幾何学などもできるだけ季節感を避けている。これに関しては頻繁に着ることが少なくなった現代で、出来るだけ袷の時期全般で着れるように配慮してのことである。昔であれば逆に季節を意識した色柄のきものを着ていたのだから、いまの常識で考えると非常に贅沢である。

もうひとつ色を意識したものがある。それが長襦袢だ。

日本の美しい比喩表現に「こぼれ色」という言葉がある。小さな隙間から色がかすかに垣間見える様を例えた言葉だが、これは長襦袢が振りから見え隠れする様を例えたことが由来といわれている。

私も長いこと長襦袢の担当バイヤーもしていたので、商品企画の為に様々な研究をした。長襦袢は1582年(桃山時代)キリシタン大名の名を受けた4人の少年使節団がローマ派遣の帰路の際、インドに立ち寄り持ち帰った袖無しの肌着である「ジバオ(Giba~o)」が名前の由来と言われている。

それが江戸時代に入り、江戸中期に奢侈禁止令によって表立ったおしゃれが出来なくなったことで見えにくい重ねに凝ったことが現在の長襦袢に発展となったと言われている。

長襦袢の素材の多くは紋綸子が多く肌触りの良い地風のものが一般的だが、友禅や型染めといった凝った染めを施す場合は地紋のない精華ちりめんの軽めを試用したりもする。そのほか、軽めの三越ちりめんなどもごく稀にある。

目方は軽めの方が着易いのだが、あまり軽すぎると生地の耐久性が悪くなり、俗にいう「スリップ」という専門用語で引けという現象が起きる。これは縫い目が引っ張られることにより生地が裂けてしまうのである。逆に重めのものだと着難くなるので考えものだ。ちょうど良い目方は140匁〜150匁(約520g〜560g)とも言われている。

隠れたおしゃれの長襦袢は明治後期から昭和初期頃まで様々なおしゃれな柄が誕生した。「早慶戦」「キューピー」「ピエロ」「クラシックカー」「水玉」などのモダンな柄から「浮世絵」「鯉」「軍鶏」「四十八手」などの古典でありながらパンチの利いた派手なものなど、今見てもかなりのインパクトがありそして自由だ。

池田重子氏の「日本のおしゃれ展」でもわかる通り、昔の着物は非常に大胆で、フォーマルであろうがカジュアルであろうがかなりのおしゃれをした。そして見えないところのおしゃれを粋としたため、羽裏、長襦袢、胴裏や裾回しにまで気を遣ったのだ。それがまた最高の贅沢であり通のおしゃれの仕方でもあった。

だから、現代においてはどんなに思い切った着方をしても、殆どが表立った部分が強調されているため、実は昔に比べたら全然大人しいのかもしれない。もっともっと表以上に目立たない所まで拘っても楽しいし、そうそうは奇抜にはならないと感じる。だからこそもっと見えない所のおしゃれも注目して欲しいところである。

それにも増して近年は長襦袢自体を省略して着る状況になってきた。袖だけ柄のある通称「ウソツキ」と呼ばれる二部式のものや、美容衿なる半襟だけのものが出てきて、本来の長襦袢自体を着ない場合も増えてきた。これは特に普段着の場合が多いようだ。

普段着こそ、大胆な長襦袢でおしゃれをして欲しいところだが、煩わしさや動き易さもあるので無理にはいえないのが辛いところである。

しかし、是非こういった一面があることを思い出して欲しい。
きものを着付けするときに、和装下着を抜かし一番最初に着るものが長襦袢である。長襦袢を袖に通したときに、これから起こることへのワクワク感や今日一日どんな自分でありたいかなどの想いを巡らせるかもしれない。

長襦袢はそのほとんどが見えないにも関わらず、様々な色や柄がある。それはただ単に着物に合わせる為ではなく、女性の内に秘めた想いを表すメッセージでもあると少なくともそう私は思う。

振りから見えるこぼれ色。今日のその人はどんな気持ちでその色を選んだのだろうか?

もちろん男性としても気になるところである。

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2010年4月20日 (火)

シフトする

4月から新社会人としてスタートした方々は、それぞれの職場で頑張っていることだと思う。また3ヶ月間は試用期間と定めている企業も多いことから、研修や職場でのOJT教育等様々な形で仕事を教えられていると思う。社会人として頑張っていかねばという決意のような気持ちとどこかまだ学生気分が抜けきれないでいるようなそんな状態の人もいるかもしれない。それはある意味仕方のないことでもある。

なにも新社会人だけではない。この春から転勤して新たな部署に配属された方や転職や久しぶりに働くことになった方もそれぞれ背景は異なるにしろ、新社会人とどこか共通するような気持ちであると思う。このように新しい仕事、新しい環境、新しい取り組みなど新しいものへシフトすると、様々な苦労やその状態に慣れるまでに時間を要するものだ。

そしてそういう時に限ってトラブル等の何かしらの問題が起こったり、職場の中で困ったことがあったり、気を遣いすぎて体調を崩したりと色々と降り掛かってくる。当然ながら、それを乗り越えながらその環境の一員になっていくのである。新しいことへのシフトとはそういうものだ。

そう考えると呉服業界も今は新しい段階へシフトしている最中なのかもしれないとも思える。

終戦後、日本は高度成長時代を向かえ、生活リズムが考えられないほどスピードが増した。きものを着るとわかる通り、早歩きはキツい。激しい動作も出来にくい。生活の中の衣服はライフスタイルに影響されるので、やはり着物が生活着であった時代はかなりのスローライフであったのだろう。もちろん明治期にはすでに洋装は入ってきているので終戦後に急に変わったわけではないが、高度成長という時代は所得倍増計画なる政府の宣言が時間のスピードも倍増させたのは間違いない。

それによって生活リズムのスピードが増し、普段着きものの生活がみるみるうちに減少していった。その一方で結婚式や結納、入卒の付き添い。お葬式に法事などいわゆるフォーマルの席にはきちんとしなければいけないという意識だけはまだ多く残っていた。そこで呉服業界は戦後のビジネスモデルの再構築としてフォーマルに賭けたのである。振袖、留袖、訪問着、黒紋付、色無地、付け下げ訪問着、そしてそれに付随する丸帯、袋帯、長襦袢や小物に至るまで、フォーマル商品製作の黄金時代を迎えた。まさに小売から生産者まで一体となった流通構造が出来上がったのである。

そしてその時代の主役であった団塊の世代が親となりそして定年によって引退する今日までその売り方と業界体質までが残ってしまった。

そしていま、消費者が主役の時代である。きものファンたちが着るイベントやおしゃれなスタイリングを工夫して楽しみ、ツイッターやミクシー、ブログなどのソーシャルメディアを使って情報交換や共有をし、一種のムーブメントを起こし始めている。

生産者もメーカーも問屋もそして小売も同様だ。フォーマル販売のビジネスモデルからシフトし始めている。フォーマルがいけないわけではない。フォーマルも必要であるが、今、きものファンたちは、もっと楽しく、もっと自由に、そしてもっと手軽に着物を楽しみたいのである。

そして業界もやっとそこへシフトし始めているのではないかと思う。それでも変われない企業は淘汰されていくだろうが、前向きに考えるならば今の大きな変化に対応すべくシフトしている最中なのかもしれないと考えたい。

新社会人や、新天地で新たな道を進もうとする人達と同じで、呉服業界も新しい道を進み始めたのではないかと考えたい。そしてその新しいビジネスモデルが確立するまでに様々な試練が訪れる。思うように売れなかったり、試行錯誤を繰り返すうちに新しいビジネスモデルが確立していくのではないかと考えたい。

きものファンたちが様々なシーンで店を使い分け、「借りる」「買う」「着る」「直す」を繰り返す。初めての人は「借りる」でもいい。あるいは古着や合繊、綿など比較的手頃なきものをネットショップやリサイクル店、専門店等で求める。そしてワンランク上の楽しみをしたくなったら、専門店や百貨店で求める。もうすでにそういう流れになってきているのだ。これはフォーマル販売時代は非常に少数派ではあったが、いまはそういう人が確実に多くなってきている。まさにシフトしているのだ。

新たな出発には困難が付き物である。困難故に疑心暗鬼になったり、批判の対象になったりする。しかし、「シフトする」ということは前に進もうとしていることだ。

今確かに、「不況」「嫌消費」「デフレ」などの状況がどっしりと停滞している状態だ。長い長い梅雨の真只中なのかもしれない。至る所で洪水や土砂崩れといったことが呉服業界を襲っている。対処のしようがないのかもしれない。

それでも志あるものが雨風を工夫によって防ぎ、堤防を築き、崩れた土砂を泥まみれになってならし固めようとしているかもしれない。

そして雨が上がった時、もしかしたら何かが変わっているかもしれない。全く新しい何かがそこに出来上がっているかもしれない。少なくとも私はそう考えたい。そしてその志あるものの1人でいたい。

呉服業界は今、新たなる道へシフトしているのかもしれない。


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2010年4月19日 (月)

教育を通しての未来創造

私は中学1年から高校3年まで週1回家庭教師に来てもらっていた。
小学校1年から始めた剣道にあまりに没頭しすぎて、勉強自体を全くしてなかったから親が心配してそうしてくれたのだ。お陰で大学も辛うじていくことが出来、好きな剣道も体育会でしっかりと4年間することが出来た。本当にありがたいことだ。

その当時大学生だった家庭教師が、今テレビや多数の著書で有名な脳科学者の篠原菊紀氏だった。テレビ朝日のガリレオ脳研や日本テレビのおもいっきりDONなどでもおなじみなのでご存知の方もいると思う。

その篠原氏のブログで教育はそうややこしい話しではないと言っている。そのなかで学力向上以上に必要なこととして
* いやなことは、いやとはっきり言える
* 人の為に何かしてあげるのが好きだ
* 先を見通して自分で計画を立てられる
* 暑さや寒さに負けない
* 花や風景などの美しいものに感動できる
* 人の話しをきちんと聞くことが出来る
* 自分のことが大好きである
* ナイフ・包丁などの刃物を上手に使える
* 自分からすすんで何でもやる
* 早寝早起きである
* 自分勝手なわがままを言わない
* 小さな失敗を恐れない
* 人の心の痛みがわかる
* だれにでもあいさつができる

まだまだあるのだが、これくらいにする。

キャンプ活動や長期自然体験、などでこの力は伸びるそうだ。とくに自然体験は長ければ長いほど、過酷であれば過酷であるほど伸びるそうだ。今盛んに行われている自立学習も急速な伸びを示しているようである。


私もこの6月からある著名なきもの専門学校にて月1回ペースで講師をすることになった。いままでもスポットで講師をしたが、非常勤とはいえこのような定期的にしっかりと授業できるのは、人材育成に力を入れている私としては嬉しい限りである。

その理事長は若くしてその立場になり、非常に志の高い想いをお持ちだが、業界の状況を憂いており、技能だけでなく幅広く自分を活かす為の考え方や観点を身につけて欲しいと考えていたという。まさに熱血理事長だ。現に先日ご挨拶に伺った時にも熱いお話を伺い深く感動したくらいだ。

また、以前より私がブログや業界の方々に言っていた「技能」とそれをプロフェッショナルとして活かす為のビジネス感覚が必要であるという私の考え方に非常に共感して頂いた。そしてまた、理事長は実践の中でそれを身につけさせたいと常々思っており、これまでにたんす屋さんとのコラボレートによるコーディネイト提案や、百貨店とのジョイント等を行ってきたようだ。それによってお客様が気に入ってご購入頂いたり、ご意見を頂いたりと生の声をもらうことがなによりの実践教育となるという素晴らしい考え方をもってこれまで取り組んできたそうだ。

今回、私が依頼されたのは、商品企画及びそれに関連したマーケティングだ。これに関しては、実際私が企業バイヤーとしてやってきたことをそのまま学生さんに教えていく。内容としてはまず業界の仕組みを理解してもらうこと。これは流通構造やどういう業者が存在するかなどを知っておかないと、いざモノ作りを行う場合にどこへ何を持ちかけたら良いかわからないからだ。

そしてテーマだ。なにを作りたいのか?これもその前の市場はどんなものを望んでいるのか?望んでいるのに市場に無いモノは何か?そして誰に何をどのように提案するのかを考えた上で自分自身で1つのテーマを決める。これが一番時間がかかるのだ。それまでにはマーケットリサーチをしたり、様々なものを調べたり等時間を要する。

そしてテーマが決まったら計画表だ。いつ、或はいつまでにをキチンと計画をする。そして実行し確認することによって修正が必要となる。そういったことに自ら気付いていくことによって、マーチャンダイジングの基礎が身に付いていくのだ。

そういったことを理事長は実践を通して今後訪れる様々なことに対処できる技能と同じくらい大切な「自立学習」を目的としているのであろう。このようなことを学生のうちに体験できる学校はそうそうない。まさにその名の通り専門学校である。若き理事長の学生への想いが伝わるカリキュラムであり、私としても非常に責任を感じる次第である。

先に述べた脳学者の篠原氏も自然体験等の自立学習の場で人格形成など学力以上の人間としての対人力や対応力が身に付くといっているが、このきもの専門学校の取り組みならば、着付けや和裁、染織などの技術もさることながら、それを消費者に「欲しい」あるいは「着たい」と言って頂けるための大切なプロセスなどが実践を通して身につけられる貴重な自立学習である。

こういう学校の出現によって呉服業界の「教育を通しての未来創造」の可能性がぐんと広がるのである。今後もこういう学校が増えて欲しいし、私もまずこのカリキュラムを責任を持って全うしたい。

まさに「かわいい子には旅をさせろ」である。


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2010年4月18日 (日)

なぜのなぜのなぜ

犬の散歩をしながら空を見上げると、久しぶりの星空になっていた。沢山の星が輝いているが、ふと思うとそのほとんどが数年前に発せられた光であり、過去の光を見ているのである。もし44光年先にある星を見ているのであれば、私が生まれた時の光である。中には北極星のように600光年、いわゆる600年前の光を見ていることになる。やはりロマンを感じざるを得ない。

先日、宇宙が誕生したのち暗闇から星がどのようにして生まれたかを計算上解明した1人の日本人天文学者がクローズアップされていた。その学者はビッグバンで宇宙が形成されたといわれる約137億年前に何も存在しない暗黒の状態からどのようにして星が誕生したかを、地球上に存在する方程式をすべて繋ぎ合わせ、PC上でそこにデータを入れこんでいくという気の遠くなる作業を続けなんと7年後についに星の誕生のプロセスを計算上解き明かしたという。

なぜ私達は存在するのか?なぜ地球という生命が宿る天体が誕生出来たのか?そしてなぜ太陽系の中で地球だけそういう星になったのか?1つの疑問をどんどん突き詰めていくと、その疑問の答えは1つではなく、むしろどんどん広がっていく。それをとことん考え、突き詰めて今回の星の誕生のプロセスが解明出来たのではないかと感じる。やはり答えはそう簡単に出ないし、出してはいけないのかもしれない。

私も企業バイヤーだった頃、とことん「なぜ?」を求められた。半期毎、そして年間毎の担当商品の売上実績総括はとにかく深く深く追求された。たとえ実績が良くても悪くてもだ。トップである社長から直接突っ込まれる。これが中々の難所であり、毎回関所のように自分に立ちはだかっていた。

分析自体は当然まず数字からはじまる。その分析項目も非常に細かく出さないと「なぜ?」をとことん追求することは出来ない。また分析は絶対に感覚であってはいけない。数字という冷酷な事実を深く掘り下げていかなければならない。それは別に当たり前のことであり、どの企業でもごく普通のことなのだが、そこからがキツい。


「なぜ?そういう結果になったのか?」「その結果をそう分析したのはなぜか?」「そのなぜのなぜはなぜなのか?」なぜが続いていく。しかしこれは決して考え過ぎではない。1つの結果を分析する場合、「なぜ?」を多方面から突き詰めていかないと「主観」で分析をしてしまう。そういう状態で分析を完了すると次の対策がその主観を元にしたものとなり、結局改善出来ないのだ。

例えば、ある商品が目標を割ってしまった。一品単価は変化はない、客単価は上がっている。客層も変動はない。客数は減っている。売価に変更はない。この場合、購入客数が減ったことで目標を割っていることは間違いない。ではなぜ購入客数が減ったのか?この例の場合その要因の殆どを商品内容にもっていってしまう。確かにそこに大きな要因はあるかもしれないが、もっと「なぜ?」を突き詰めることによって、様々な要因が出てくる。扱い店舗の売れ筋動向、店頭での陳列の変化、気候の変化によるそれを取り巻く他の商品動向の変化、またはコーディネイト商品の品揃えや動向の変化、などなどより広く捉えていくことによって、本当の理由が見えてくる。

様々な要因と言う点を線で結んでみて、一番根拠のあるラインを再分析し、結論を出すことが、次に繋げる為に最も必要なことであることをこの「なぜのなぜのなぜ?」という突き詰める総括で学んだ。当時は「理屈はわかるけどそこまでなぜを考えなくても」という気持ちでいたことは正直あった。しかしながら今考えるとそうしないと次のステップが踏めないということがよくわかる。

「考える」ということとそれによって「わかる」ということは、「なぜ?」という疑問を突き詰めていくことにある。それによって最初に思う「きっとこうだ」という憶測を払拭し、本当の根拠ある要因や理由を出すことができるのである。これが真の総括なのである。だからそこから出る対策が大きな改善と結果をもたらすことが出来る。

果たして呉服業界の各段階はここまで考えているだろうか?小売、問屋、メーカー。世情のせいにしてないだろうか?お客様や取引先の状況のせいにしていないだろうか?まさか不況だから仕方ないという全くナンセンスな分析とは言わない分析をしていないだろうか?

呉服市場全体が縮小している中で、黒字の企業も実はたくさんある。細かくそして多方面から突き詰めると実は気付けるはずなのに気付いていない、出来るはずなのに、出来ていないことが山ほどあるはずだ。それをなぜのなぜのなぜで見つけて欲しい。

神秘なる宇宙は全くの暗黒にある状態から輝く星を作り出した。そこには明確な根拠があったからだ。鶏が先か?卵が先か?などと漠然とした疑問で片付けていたことを1人の学者が気の遠くなるような「なぜ?」の繰り返しで、その答えを導き出した。

呉服業界はなぜ?考えるだけでは足りない。今こそ「なぜのなぜのなぜ」が絶対的に必要であると心から思う。もちろん自分も含めてである。


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2010年4月17日 (土)

初めて見た染色

染色家の仁平幸春氏とは普段から親しくさせて頂いており、飲み友達である他、自社のロゴデザインや現在制作中のホームページの件でもご夫妻で色々とお世話になっている。

彼のデザインは感性というひと言ではとても語れない秀でたものであり、草木染で表現する絶妙でそれでいて奥深い色も鋭さと懐かしさを合わせもつ不思議な魅力を感じる構図も染色でありながら造形美を感じる。

彼の技法の1つに「臈纈(ロウケツ)」がある。彼が最も得意とする技法の1つであるが、最初に彼の工房に訪れた時に見た時の新鮮さが、私が14歳の時に初めて見た染色であるバティックであることと重なった。仁平氏ともバティックの話をしたのもそれが理由である。

私が14歳のとき、父がバティックと地元民族の文化の研究のためインドネシアに行くことになり、年末ということもありでどうせなら家族で行こうということで初の家族海外旅行となった。当時英語を勉強していた兄も勉強の成果を試すチャンスと意気込み、私はとにかく自分の中の未開の地を見ることが嬉しくて兄弟共にワクワクしていたのを憶えている。

当時私たち兄弟も母も父の研究にはあまり興味がなく、父には仕事をしてもらい、その他は思い切り海外を楽しもうと思っていた。もうリゾートへ行くような感覚で盛り上がっていた。すばらしい年末年始の海外旅行!のはずだった。

当時出来たばかりの成田空港から、シンガポール経由ジャカルタ行きのJAL。当時はCAさんが機内サービスの時間にきものを着ていた時代だ。日常と違う雰囲気に家族全員気分上々。たしか父はインドネシアの歴史について私たちに語っていたようだったが、馬耳東風というか当然右から左へと抜けていく。頭の中はリゾート。赤道直下だし南十字星が見えるかななどと兄と話していたことは思い出される。

インドネシアのジャカルタ空港に到着したのは夕方であった。当時はボーディングブリッジではなくタラップであり、機外に出た瞬間鼻をつままずにはいられない異臭をいまでも克明に憶えている。そしていい加減な入国審査を終え、父はいとも簡単に白タクと交渉しホテルへ。当時のジャカルタは近代的なのは中心部の一角のみ。あとはおそろしく廃れていた。リゾートをイメージしていた私達は一瞬にしてテンションダウン。頭の中に父に騙されたという思い出いっぱいだった。

ホテルに入り、兄が私にぼそっと言った。「もう二度とアジアには行かない。」これがキッカケだったのか、兄は今でも絶対にアジア圏には旅行に行かない。

そしていうまでもなく、別行動はとても無理と判断した家族は父の研究に同行することとなった。兄は英語の話せるガイド兼運転手を捜し、父特有の強引な旅が始まった。

そしてバティック工場へ。
バティックは「サロン」といわれる腰巻きや「スレンダン」と呼ばれる現地の女性がよくつかう肩掛け、インドネシア人特有の「カイン・クパラ」といわれる帽子などとにかく日常で布を使う。その他にも色々あるが、その日常使われる布にバティック染色が使われている。

歴史はそう古いわけではなく18世紀頃から作られているようで、王侯貴族の布から庶民へ広がっていったインドネシアの文化である。その柄はスマトラ島の各地で違っており、柄を見るだけでどこの産地かわかるものである。その種類も多彩で東インド会社の影響によるヨーロッパ、インドなどからの影響や一般庶民が使用するようになってからは、イスラムやヒンズー、仏教といった宗教装飾などの影響を受けた柄が現代のバティックを作り上げていった。もちろん日本の更紗の影響も受けている。

染色方法はひと言で言えばロウケツ染めである。手描きはチャンティンという溶けた蝋をいれる細長い金属製の容器に先の細い管が付いている道具をつかうのだが、繊細な表現が出来るがロウを伏せるだけで数ヶ月も掛かる。また型ロウ染めはチャップという判のような金型を使いロウを伏せていくのだが、これもサラの生地に何の目安もなくこの型を押していき、そのつなぎ目がキチンと合うように押すのがバティック職人の腕の見せ所である。これもまた型とはいえ非常に難しい技法である。そして手描きであるチャンティンと型染めであるチャップとの併用である「コンビナシ」もある。

現代のバティックはもっと簡素化されており、輸出もので非常に多いのは
「サブロナン」といわれるプリントだ。手軽で輸出先でも安価に取引され一般的になっている。

染料はスマトラ島の各地によって違うのだが、藍、茜、ソガ染とわれる樹皮を使用したものと色々ある。いまは化学染料が多くなったが、地方によっては天然染料を今でも使用している。工場では井戸水をつかうため割とキレイ目に染め上がるが、原住民が作るバティックは川であらうため、基本泥まじりのにごった水で洗われたバティックは泥染のように染料と軽い反応を起こし沈んだ色目になる。これがまたなんとも味わい深い。

こうして私が初めて見た染色は日本の伝統技法ではなく、インドネシアという他国の染色文化であったため、逆に日本文化の技術力の高さにあとで気付くことになったのは非常に幸運であった。

父いわく、世界の染色の中で宗教文化の影響をうけている数少ない染色であるという。仏教、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教、など絵画、建築において宗教文化の影響は多大であるが、染色の文化は権力文化と関わりが深く、宗教文化による染色の発展は史上ではほとんど見られないのだそうだ。これは本当に意外である。

素人考えでは更紗と曼荼羅の関連などを考えがちだが、その実関連はほとんどない。更紗は中東のメソポタミア文明の流れから発祥した柄がアジアに伝わったのが更紗といわれ、ヨーロッパに伝わったのがペーズリーとなったと言われている。その後更紗は日本に伝わりアレンジされ名物裂などにみられる金襴系の柄になったり、そのまま和更紗のような草花文様となるが、そこには宗教的なものは見られない。

逆にバティックはイスラムに見られる祈りの儀式の敷物に使用されたり、モスクの柄から影響を受けたりと比較的新しい文化であるからこその宗教文化の影響が柄に出ているものと推測する。私は学者ではないのであくまで憶測であるが。


そんな初めて見た染色の思い出を仁平氏の作品に垣間みたからこその懐古的印象もあるかと思うが、そう考えると仁平氏は無宗教でありながら思想的な宗教観を持っているが、その影響は作品には見られない。見られないのではなく私だけが感じられないのかもしれないが。

芸術が宗教に影響されるのは一見芸術の発展を促しそうだが、ラファエロやダビンチの絵画にみられるような思想的支配の観はどうしても拭えない。恐らく当時の画家は食べるために無理矢理自分の思想とは別に描いていたのだろう。
しかし仁平氏の作品にそれを感じないということは、宗教観はもっていても作品はまったく別次元にあるのだと思う。それが彼の作品に「無」を感じる部分であろう。

バティックも基本は王侯貴族の装飾から始まっている。宗教文化の影響は庶民に広がってからだ。他宗教国家でありながら1枚の布にそれらが凝縮して表現されている素晴らしさは他と比較出来ない美しさがある。

私が初めて見た染色は父によってもたらされた比較の原点にもなっている。


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2010年4月16日 (金)

新しい芽

去る3月10日、関東地方に春一番などとは言い難い強風が猛威を振るい、関東地方の交通機関が麻痺し、街ではケガ人などが多く出る中、樹齢800年から1000年とも言われる鎌倉鶴岡八幡宮の象徴といわれていた「大銀杏」が倒れた

この大銀杏は調べてみると建保7年(1219年)源頼家の子である公暁がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せし、源実朝を殺害したことから別名「隠れ銀杏」とも呼ばれた歴史の生証人であった。それがたった1日の強風で倒れてしまったのである。ところが懸命な保存活動が身を結び、先日なんと新芽が出てきたのである。恐るべき生命力だ。

今週の私の出張は本当に有意義であり、これからの業界の可能性を感じた3日間であった。京都2日と奈良1日という言葉だけみればまるで修学旅行のような日程であったが、その実、卸業でのコンサルティングやプレゼン、メーカーでのミーティングやコンサルティング、悉皆のコンサルティング、きもの専門学校での教育プログラムについての理事長との打合せ、西陣テキスタイルメーカーとの交流、全く新しいネットショッププロジェクト、琉球織物生産者達の展示会と交流など、小売業以外の呉服産業に関わる企業や人との仕事や出会いを通した意見交換などをしてきた。

そこで感じたのは厳しい現実を受け止めながらも新しい活路を見出そうとする情熱と努力、そして具体的な考えと行動、そして若さと新しさである。とにかくそのすべてに熱く、ポジティブでしかも自分の仕事に誇り高い。なおかつ志が高い。これは決して大げさではなく、今の大河ドラマではないが「幕末の志士たち」のような変えたいという強い意欲である。

その人たちの誰もが、ただの理想論を掲げているだけではなく、すでに行動しているところがよりこの先の大きな期待を膨らませるのくらい、理想と現実のギャップを縮めている。これはすごいパワーだ。

特に私が嬉しかったのはこれからいっしょに取り組むある大手卸業の社長の姿勢である。今、問屋に対しては様々なことが言われているが、私が以前より主張してきたことを数字を元に再度ご説明したい。

日本繊維新聞掲載の2011年予測によると、小売店規模は4150億円。これは2009年度小売店規模が3210億円と言われているのでいささか楽観視されている予測であるが、そのままの数字を述べるとその内訳が大手チェーン(1400億円)、百貨店(500億円)、量販店その他(160億円)、インターネット(500億円)、訪問・催事販売(280億円)、そして専門店(1300億円)となっている。ちなみにリサイクルの予測は350億円でレンタルは800億円とすでに百貨店を大きく上回る予測だ。しかしこれらはあくまで来年予測であり、正確ではなく多少楽観的な数字であることは認識して頂きたい。

ネット売上は百貨店と同額予測であり、これは今後大きく逆転していくことは確実視されている。そして何といっても専門店売上である。これは大手チェーンとほぼ並んでいるが、大手チェーンは大苦戦が続いており、小規模小売である専門店は厳しいながらもなんとか持ちこたえているという印象だ。

上記の数的予測の根拠から、大型チェーンの売上規模の縮小はやや現実的な話しであり、来期予測額である1300億円は下回るだろうと感じる。そこで業界にとって大切なのは孤軍奮闘している専門店である。

ここで、私の主張をいうと問屋の衰退は小規模小売業の衰退を意味するということである。何故なら小規模小売は例外を除きその多くが、問屋の商品供給に頼っているからである。大手チェーンやある程度資金のある中規模の小売店はメーカーなどとの直接取引は普通にやっているが、小規模小売はそうはいかない。何故なら小規模小売の販売量では委託中心の取引は与信枠など存在しないのと同じであり、そのリスクを考慮するとメーカー側も残念ながらなかなか対応が難しいのである。

それを一手に引き受けていたのが前売問屋である。しかしながら売上低迷の中での手段が催事偏重となり、店頭での新規顧客開拓ノウハウもないので、度重なる催事導入よって結果、小売店の顧客を枯渇してしまったという状況なのである。それによって問屋の存在意義さえ指摘されていた。


しかしながら、私はその問屋が衰退してしまったら小規模小売も淘汰されてしまうと述べてきた。そして今こそ問屋と小規模小売が協力してもう一度地道に店頭で新規顧客の創造をすべきと主張してきた。そしてそれに共感してくれた大手問屋が現れたのだ。これは時間がかかることであるがそれを受け入れるのはまさに英断である。

もちろんこの考え方は賛否両論で一部の小売店からは批判も出るだろう。ただ、現実多くの小売店から助けて欲しいといわれているのも確かだ。だからこの考え方が必要のない小売店は自助努力で何とかするだろうし、是非とも今まで以上に頑張って頂きたい。その一方、店頭で新しいお客様を増やすために助けを求めてきている多数の小売店の手助けを問屋がいっしょになって協力するというのはまさに今までの流れを考えると画期的である。それも営業も商品もノウハウもである。

問屋の営業がどうすれば店頭営業での集客が出来、どうすればキチンとした顧客管理ができ、そして店頭でお客様が買いやすい価格を改めて考え、それを問屋の商品部がそれに合うように努力する。これを問屋の営業も商品担当も一緒に悩み、考える。そして取引のある小規模小売店が永続出来るように協力するのである。

再度いっておくが、これは催事ではない。店頭である。毎日繰り返される最も厳しい店頭のことである。

もちろん目先の売上が出来ないことからほとんどの問屋はこんな効率の悪いことは未だ受け入れない。ところがそれを全社を挙げてやろうという問屋が現れたのはものすごいことである。当然私も全面的に手伝い、取り組んでいく。

今回の出張で確信した。小売の店頭を甦らせ永続出来る為のバックアップをするという卸業の熱き経営者。厳しい中でも何とかより良い商品を企画制作し、消費者に発信しようと努力しているメーカー。染み抜きなら絶対にすべて落としてみせると日々努力し、また新しいチャレンジをし続ける若き染色補正業の社長。全く新しい形のネットショップを構築してきものをそして日本を元気にしたいという志高いIT企業社長。今後の呉服業界の為に総合力のある人材育成をしたいというきもの専門学校の熱き思いを持つ理事長。自分が出来る限りの努力をし、素晴らしい物を日々作り続けている生産者たち。高い伝統技術を利用し、テキスタイルという形で世界に発信し成功している老舗メーカーの若き社長。その誰もが本当に厳しい状況の中で高い志とひたむきで前向きな姿勢でそのすべてに取り組んでいる。そして何よりそういう人達は明るい。そしてすべてを受け入れている。

その一方で未だ不満をまき散らし、ネガティブで後ろ向きで、それでいて行動も起こさない。すべてを自分以外のせいにし変わる努力をせず、変わろうとしている人達にまで水を差すような批判をする人も残念がなら非常に多い。

確信したのは、前者は間違いなく最低でも生き残る。そしてきっと何かを変えていく。そして後者は間違いなく消える。これは絶対に間違いない。

しかし、今からでも前だけは向ける。志を持つことは出来る。そうすればまだまだやれることは沢山ある。たとえ資金が厳しく新しいものは生み出せなくても、どんなに苦しくても志と前向きな姿勢であれば、絶対に道は開ける。私もかつてその中の1人だったのだから間違いない。

1000年の歴史が一瞬に消えたが、その土台から新しい芽が誕生したのである。
今の呉服業界も長い歴史によって作られたものが強風によって危険状態であり、大銀杏と同様倒れてしまうかもしれない。もしかしたら実は倒れてしまったのかもしれない。しかしその中で強い生命力で新しい道を開拓し、勇気を持って踏み出している「新しい芽」」という名の熱く若き人達が出てきたのは、この業界に新たな可能性を心から感じた。

私たちは誰でもこの「新しい芽」になれる。なぜなら、もうそうなっている人達がいるからだ

そしてその「新しい芽」が大きな木になるスピードは絶対的に早い。

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2010年4月13日 (火)

人に会う大切さ

最近になってどんどん自分の人脈が広がりつつある。
もちろん呉服業界の人脈もより広がってきているのだが、最近は異業種の方々も多くなってきた。これは大きな財産である。仕事繋がりもあれば、色々な話で共感出来た、趣味が同じなどなど知り合いになるキッカケは様々であるが、沢山の人と知り合えるということは、沢山の目を持ったような気分になる。
その方を通して、色々な見方を出来るようになるということは、本当に人間としての幅も広がってくる。

会社に属していた頃は、もちろん営業店では「お客様」という出会いは無数にあったのだが、それはあくまでお客様であり、接客するという接し方であった。もちろん様々なお客様との出会いはかけがえのない財産ではあるが、そこには売り手と買い手という立場の見えないラインは当然のごとくあった。

また、バイヤー時代では多くの業界の人達と知り合うことが出来た。その数は全く見当もつかないくらいである。取引があってもなくても、非常に大切な出会いばかりであった。そのお陰で独立してからも、変わらずお付き合いが出来ている。これも自分にとって20年かけて積み上げることが出来た大きな財産だ。

ただ、一方で不思議なのは、今いっしょに仕事をさせて頂いている方々は、すべて新しい出会いによってもたらされたものだ。もちろんそのほとんどが呉服業界であるから、以前より名前は存じていたが面識自体はなかった。きっかけは、ブログをみてメールでのアポイントメント、ツイッターでの出会い、紹介、仕事先での出会いなどなど様々である。フリーでの活動故に仕事を頂く為には通常は営業が必要なのだが、一切の営業を私はしていない。逆に以前誰からも相手にしてもらえなかった時は、こちらからどんどん営業に行ったが全く仕事を貰えなかったから不思議だ。

私がフリーになってから、いや最近になってからといった方が正しいかもしれないが、とにかく会いたいと言ってくれる人には出来るだけ会うようにしている。もちろん最近はスケジュールの関係上、すぐにお会い出来ないこともあるのだが、会いたいといってくれた人には絶対に会う。これは仕事に繋がる繋がらないは全く関係がない。

なぜそういう自分になれたか?これに関しては独特の理由であり、賛否両論かもしれないが、「人に会うことで自分自身がわかる」のである。客観的な自分像というのはわかっているようでわかっていない。相手からもたれる印象や、持ちかけられる話題、自分では思ってもみなかったような会話の仕方、共感部分、などなど、どんどん新しい自分が生まれ、今まで自分でもわからなかった自分が会う人によって引き出されていくのである。これは自分にとって大きな意味があることである。

もちろん様々な人に会うことは、考え方の幅が広がるし、視野も広がる、交友関係も広がり、もちろんその中から仕事という取り組みも生まれる。人を大切にし、会って話し、共感し合うことで人脈という財産が大きくなっていくが、それと同時に自分を客観的に見られるいいチャンスなのである

もうひとつ人と会うことで自分が自然と変わったことがある。
相手の意見や考え方を全部理解しようとする自分が出来たことである。これも無意識のうちにそうなったのだが、今まではおかしいなと思うと相手の話しを遮って「それは違う!」「私はそうは思わない!」と言っていたのだが、人と積極的に会うことにしてからは自然と「なるほどそういう考えがあるのか」というような捉え方が出来るようになっているのだ。これも不思議である。

格好良くいえば相手をまず尊重するということに当てはまるのかもしれないが、意識的には全くそういうこともなく、自然と受け入れられる自分になっているのだ。これも成長といえばそれまでだが、多くの人と積極的に会うことで色々な目を持てるということが本当に心地よいのだ。

会いたいと思う人に労を惜しまず会いにいき、会いたいと言ってくれる人にも何の先入観も持たず会う。

これを続けることで自分は誰なのか?そして何なのか?を知ることが出来る。
そして沢山の目を持ち、幅のある人間になりたいと切に思う。

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2010年4月11日 (日)

ぶらっと着物「神楽坂」に参加して

今日、4月11日、ツイッターやミクシーで発信し、参加を募った第2回ぶらっと着物「神楽坂」に参加させて頂いた。心配されていた天気も予報の嬉しい裏切りにあい、暑いくらいの快晴。そして参加人数も35名を超す大賑わいの素晴らしいイベントなった。

今日のブログは私らしからぬ、写真で綴りたいと思う。

Img_0153
飯田橋西口に集合!早々と多くの着物姿が!!


Img_0155
いざ神楽坂へ!着物姿での大移動が始まる。圧巻でした!

Img_0169
朝日新聞の記者さんも取材で同行してくれています!


Img_0160
神楽坂らしい小径を散策!


Img_0165
白地のとってもおしゃれな羽織です!すごく映えて可愛いですね!


Img_0172_2
名物裂のおしゃれなバッグです!おしゃれな男性が持っていました!僕も欲しい!

Img_0175
レース長羽織です!すごくセンスを感じますし、今日のような陽気にぴったりですね!


Img_0176
とっても可愛い帯です!遊び心を感じます!


Img_0170
なんとご夫婦とも大吉を引き当てました!とっても仲の良い素敵なご夫妻でした!


Img_0180
色々な工夫とアイディアがいっぱいのコーディネイト!本当に参考になりました!そして可愛いです!


このぶらっと着物を企画なさっている方はツイッターアカウント名「denkihituji1970」さんと「kinutaya」さんのお二人。このお二人はイベント前に入念な下見をしたり、HPでわかり易く告知したり、ぶらっと地図を作成したり、そして驚いたのは何か起きた時の為や皆さんが気持ち良く楽しむ為の注意事項などの詳細まできちんと作成、説明していたことである。

自由でゆるく着物を楽しむ会のその裏には、全員が心から楽しんでもらう為の努力の結晶が強く感じられた。そしてそれを参加した皆さん全員が理解しており、本当に素晴らしいイベントであった。

今回参加して私が強く感じたことは「和」である。
それはきものという「和」ときものを着ることを共有、共感して初めて会う人達が何のためらいもなく打ち解ける「和」。そして主催者のお二人をサポートする参加者たちの「和」。

「和」という言葉はこの仕事をしていると当たり前のようになっている言葉ではあるが、様々な意味でこんなにも「和」を感じられた日は生まれて始めてであった。

これからも全国の着物ファンが、色々な着物イベントを通してこの「和」感じて頂けたらと思う。

そしていつの日か「和」の「輪」が全国に大きく広がっていくことを心から望みたい。

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2010年4月10日 (土)

きものファンはアイディアの宝庫

「手作り」「Only one」というKey wordがいま消費者を動かしている。100年に一度の大不況という経済状況が生んだ消費者たちの工夫であり、楽しみ方でもある。その象徴がメディアでも話題になった「ユザワヤ」の躍進である。様々なジャンルでの消費者の手作り意欲を充たし、売場にいるだけでその想像力までも掻き立ててくれる魅惑の手芸専門メガストアだ。特にユニクロで買ったシンプルなシャツやデニムに自分オリジナルのデコレートをしてOnly oneファッションを楽しむ様は消費者もユザワヤもユニクロもまさに「三方よし」となる。

きもの業界とて例外ではない。きものを着るたくさんの人達がその人なりの工夫をして楽しんでいる。またそれをさりげなく使いながらも、気付かれると嬉しいという、いかにも女性的で優しく品の良い楽しみ方が心地よい。
先日六本木きものフェスタに行った時も、男女のそれぞれの着物姿が多く見られたが、やはり自分なりのOnly oneアイテムを身につけている人が多かった。男性に多かったのはストールである。ある人のそれは、一見ブランド物か何かかと思いきや、聞いてみると長い麻の生地を手芸屋で購入し、おまけに両端を自作で房状にして顔料ペンで気に入った絵をさりげなく描いているものでお金を払うから作って欲しいと思わずいってしまったくらいおしゃれだった。

またツイッターで紹介される着姿を見てもその工夫は楽しく、素敵だ。洋服地を自分なりに和のバッグにしてみたり、箸置きを加工して帯留めを作ったり、パール風の飾り玉をキレイにチョイスして礼装チックな羽織紐を作ったり、中には昔流行ったリリアンを利用して作った組紐を羽織紐にしたりと、まさにきものファンはアイディアの宝庫である。

中にはそれを邪道だと否定する人達もいるが、私から言わせれば無粋であり、どうぞご勝手にきものの王道とやらをお楽しみ下さいと言いたくなる。

きものは冷静に見てみるとパーツの多いファッションだ。肌着や腰紐、伊達締め、帯枕などの着装用パーツをいれるとかなりの量になる。普通に考えれば面倒だとか着るのが大変だとか思われるが、私から言わせればパーツの数だけ楽しみがあるとアピールしたい。


きものの楽しみは、「着付ける楽しみ」「着る楽しみ」「気づく楽しみ」がある。パーツを視点に考えると「着付ける楽しみは」着装用小物のような見えないものでも可愛かったり、自作だったりと道具としてだけ捉えるのでなく、楽しいアイテムとして捉えられるようなものであれば、着付け自体がどんどん楽しくなる。

以前後輩の女性バイヤーがその発想で、様々な可愛い柄やカラーの帯板や帯枕、腰紐などの着装用小物を開発したところ、他の小物より割高であるのに大ヒットした。女性用着物の着付けは多少の労は必要だが、そういった小物が楽しいと着付け自体も楽しくなる。これからそういう工夫も大切である。

「着る楽しみ」においては、やはりストーリー作りが楽しい。着ていく場に応じて、着る前にそれぞれを組み合わせて自分なりのストーリーを組み立てる。
古い唄になるが、南こうせつの「夢一夜」という唄は愛する人に逢う前日に着ていく着物が決まらず、脱ぎ散らかしたきものを「絹の海」と比喩して揺れる女心を巧みに表現している。これも一種の着る楽しみに繋がる。そしてここにも着る人の想いというアイディアが詰まっているのである。

そして「気づく楽しみ」である。これは着る楽しみのストーリー作りの延長線上にあるが、例えば春の装いとしての小物使いや色の組み合せを、できれば気づいてくれたらうれしいなという「気づき」の楽しみである。これもきものファンのアイディアや欲求を感じ取れば、それに応える物作りはいくらでも考えられる。

たとえば、私が長襦袢を開発していた時に、襦袢の袖が無双仕立であることを利用して袖の内側の無双になる部分を別の色と振りから少しだけ見えるように可愛い刺繍をあしらい、春襦袢と秋襦袢というニュアンスで商品化したところ大ヒットした。これも通常の商品より割高だったが、低価格の通常品よりも倍は売れていた。これもちょっとした隠れたおしゃれを気づいて欲しいという女性の欲求を少しだけ充たせられる「気づきのアイテム」として非常に勉強になった。


今、残念ながら着物売上の低迷によってメーカーは物作りが出来ないでいる。物が流れないのだから、これはメーカーの責任ではない。物作りをすれば、それだけの初期投資が必要であり、それが流れなければ資金繰りを大きく圧迫する。非常に厳しい状況である。毎月毎月問屋や小売業者とキャッチボール状態となっている商品は消化出来ず、それでも新しいものを要求され、より難しい対応を求められている。だから安易な提案は無責任にできない。

ただ、ひとつだけ言えるのは、そういう消費者のアイディアや欲求に対して、こまめに情報収集をし、消費者視点でのプロダクトアウト的なマーチャンダイジングを考えているかどうかを問いたい。もちろん、直接消費者に会って要望を聞き、ハイそうですかと物作りをするほど商品企画は甘くない。そういうことはまずしないだろうし、逆にするべきではない。ただし、着物に限って言えば、これだけ着る人が増えているのだから、しっかりとマーケットリサーチャーを設定し、アイテム別、年代別、シチュエーション別などの視点でMRし、そして今何を消費者が求めているのかということをもっと貪欲に探るべきである。

いまだに「消費者の情報が降りてこない」とか、「情報の共有が出来ずなかなか把握出来ない」などと言っているメーカーは多い。果たして異業種のメーカー達はこのご時世にそんなことを言っているだろうか。

きちんとマーケティングすれば、先行投資する価値のある、あるいはあえて製造リスクを掛けてでも作る価値のある商品はいくらでもある。なにもこれはメーカーに限ったことではない。問屋も小売もそして川上の生産者も同様である。商売上のマーケットイン発想はもちろんのこと、商品に関しても、消費者視点でのプロダクトアウトいう考え方はこれからの供給側の大きな課題であることは間違いない。

キモノジャック、ぶらっと着物、着物de銀座、キダオレ、六本木きものフェスタ、などきものファンが集まる場所はそのアイディアの宝庫だ。そしてそこには必ず物作りのヒントがあり、きものビジネスとしてのヒントもある。


市場を変えてくれるのは常に消費者だ。それだけは間違いない。

きものファンを大切にし、そして大いに学ぼう。希望はそこに山ほどある。

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2010年4月 9日 (金)

方針という名の指標

以前に堺屋太一氏の「組織の盛衰」という本を読み、実際に店運営のマネジメントとして実行し大きな成功をした経験がある。多くの方がご存知の通り著者の堺屋太一氏は小渕内閣時の経済企画庁長官を務めたり、森内閣時には情報技術分野での担当大臣を務めるなどの「政治家」としての一面と、多くの経済書や歴史小説などを著している「作家」という一面を持っているマルチな人である。

その「組織の盛衰」という本では「組織には機能体と共同体がある。機能体は組織の構成員がその組織の目的を達成するという共通の認識をもっている組織体で、共同体はその組織の構成員は自己目的に対して共有する人達の集合体である」確かそういう定義からはじまるものであったと記憶している。

当然会社は利潤追求を目的としている「機能体」であり、「共同体」は地域コミュニティやサークルなど非営利団体に多い。

最近、営業店のコンサルティングをすると実に「共同体化」している場合が多い。コンサルティングを必要とする店だから確かに何か問題点があるのだが、それが、売上不振でも、利益率改善でも、社員教育でも、店全体を見渡してみると共同体化してしまっている場合が多く見られる。

私も営業店の店長として大成功した経験と大失敗した経験を持っている。それを色々自分なりに総括してみると、やはり成功している場合は店が機能体化しており、失敗している場合は共同体化していたことに結論づけられる。営業店の目的は1つ、年間予算の達成である。これはどの企業も短期経営計画の中の重要項目である年度収益予算は一番大きな目的であるのと同じである。その目的に社員達が向いているかどうかが非常に大きなポイントとなる。結論から言えば、成功している場合はそれが出来ており、失敗している場合はそれが出来ていないのだ。

とはいえ、社員に対してその目的を意識して仕事せよといったところでそうなる訳ではない。現実的にその組織の目的をいくら掲げられてもそれに邁進していこうと心から思う社員はそうはいない。ならばどうするのか?

社員が仕事をする目的は十人十色である。「生活のため」「自己実現のため」「ひたすらお金のため」etc…。例を挙げたらキリがないほど働く理由は存在する。しかし組織の長は、与えられた予算や目標を達成する義務と責任があるため、その組織の目的を社員に対して強い意識付けをする。社員達はその企業から雇用されているのだから一応はその目的を理解するのだが、根本的には自分の目的と乖離するためその目的の優先順位は低くなる。
この状態が続くと次第に様々なズレ生じるため、組織として機能しなくなる。
更には社員の退職や、売上などの業績が上がらないため、人間関係の崩壊や会社や上長への不信などが生じその組織は崩壊に向かう。これが私が身を持って体験した大失敗だ。

そして逆に成功した例としては、その社員一人一人の「働く目的」の延長線上に組織の目的、私の場合は店の年間予算達成という目的があるのだという全員の共通認識が持てたことだ。こうなると店は強い。厳しい状況下でも社員が能動的に動く他、社員同士が協力し合う。当然売上という業績も安定するのである。ではどのようにして各社員の異なる「働く目的」を「店の目的」に結びつけられたか?である。

その答えはズバリ「店方針」である。そんなことは当たり前と思うかもしれないが、この場合の店方針はそう簡単なものではない。店で起こる全てのことがこの店方針によって解決されなければいけない。

以前成功した店で掲げた店方針は「新しいお客様が永遠に増え続ける店」だったが、例えば苦情が起きてその担当者も責任者もいない場合、店方針である新しいお客様が永遠に増え続ける店のために逃げずにベストな対応を考える。他には社員間のいざこざがあり、それによってお客様に不便をかけてしまったら、新しいお客様は増えない。結果それは店方針に反することになり、自分の働く目的にも繋がらなくなる。

など、全てのことが方針に繋がり、それに対する行動や自分で考えて行動した結果を上長からの評価という形で反映され、それが個々の働く目的にリンクするのである。この流れが功を奏し、社員間の仕事上の良好な関係や、お客様から支持される為の行動を社員達が自然にするようになった。

ある時は足袋をお客様がサイズを間違えて買ってしまったので取り替えたいという申し出があり、なんとそれを受けた社員は店の人数の状況を考えつつ、その日の店責任者にきちんと願い出た上でお客様に合うサイズの足袋をもってわざわざ取替に伺った。それに感動したお客様がそのあと長きに渡ってたくさんのご購入をして頂いただけでなく、自分のきもの好きのお友達をたくさんご紹介して頂いたという極端な例まで出た。

この例が良いかどうかは別として、方針が染み込むとここまで自発的に考える社員ができ、完全な機能体になるということを身を持って体験できたことは大きい。ただし、そういった「店方針」を決定するまでは、ありとあらゆることを想定し、一言一句を考えなければいけない。この場合は約2週間強かけてこの「店方針」を考えたくらいだ。だから一夜でどんなにいい言葉を考えついても、社員全員に浸透しないのだ。「店方針」は店の命なのである。

私も様々なたくさんの失敗と成功を経験しているが、営業店の立て直しなどのコンサルティングは絶対的に店方針を重要視する。これがないと何をしてうまくいかないか長続きしないのである。また「売上」「単価」「買上数」などは目標であって方針ではない。数字を方針にすると社員各自の働く目的に繋がらなくなってしまう他、売り手発想になり結果的にお客様の足が遠のく。あくまで、消費者視点が湧き出る方針でなくてはいけないのだ。これは方針を決める時の絶対条件である。

方針でなくても「個人の座右の銘」「企業理念」など様々な目指すべき方向性が存在すると思う。それらはどんなことが起きても原点回帰できるものであり、支えられるものである。不振であるとき、細かな枝葉を見る前にまず方針は何だったのか?ということに戻ることが必要なのだ。


あなたのお店、会社には「方針」はありますか?そしてそれはあなたの働く目的につながっていますか?

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2010年4月 8日 (木)

恐るべしツイッター効果

ツイッターを始めて約5ヶ月が経った。
いま改めて考えるとやはりすごいものだと再認識している。始めは何が何だかわからず呟いていた。それも着物についてではなく、本当に何気ないことやその時の気持ちなどを勝手に呟いていただけである。もちろんその時はリツートの意味もリプライの意味もそしてフォローやリフォローの意味もそしてもちろんハッシュタグも全く理解していなかった。だから少し利用しただけですぐに辞め、2ヶ月間は放置したまんまになっていた。

再開するキッカケは、妻のひと言。妻はもともとミクシーをやっていたが、最近は忙しくなかなか手をつけられなかったようで、ツイッターなら忙しくても呟くだけでいいし、レスポンスも早いからとのこと。それでもう一度ツイッターというものをド真剣にやってみようと思い立った。

自分のツイッターの利用目的として、たくさんのきものファンと交流を持ちたいということを心に掲げ、とにかく着物関連で呟き続けた。そうするとどんどん自分の呟きに反応があり、共感してくれたり、あるいは面白いと思ってくれたり、時には批判めいたことであったりと様々だがフォローをしてくれる方達が増えていった。お陰で今現在できものファン、業界関連を中心として異業種の多くの方からフォローしてもらい430人ほどのフォロワーさんになった。ありがたいことだ。

また、140字では語れない思いが山ほどあったり、自分のツイートに質問してくれたり、意見してくれたりした人達への返信内容が140字でまとめきれず誤解を受けたり、旨く伝えられないジレンマからブログというものを通して自分が考えていることや、今の呉服業界の現状、これからの目指すこと等を伝えようと思い、色々なフォロワーさんからのアドバイスを頂きながらブログも立ち上げ、何とかほぼ毎日に近いペースで更新している。

これがまた自分でも思いもつかなかった展開になっており驚いている。
ツイッターとブログの併用で、ツイッターで会話した方やそれを見ている方がまずブログを見てくれるようになった。私のようなブログの書き方は普通読まれないことの方が多い構成だが、ツイッター効果のお陰で、とんでもない数のアクセス数が毎回ある。本当にありがたいことである。また面白いのは、ブログの感想や意見をブログコメントではなく、リアルタイムでコメントを頂ける。

ツイッター画面を見ている以上はそこに長いタイムラグが発生しないのだ。ブログを見てくれた人が、ツイッターで質問をくれる。それに対して早い段階でお答えすることができる。それによってフォロワーさんとの距離がグンと縮まる。共感して頂けるとそのフォロワーさんのそのまたフォロワーさんからフォローを頂ける。その人にもブログを見て頂ける。そして大きく広がっていく。

逆に気を引き締めなければいけないことも多々ある。私はきものビジネスコンサルタントとして自分の素性もプロフィールも全てさらしている。これは別に個人の自由であるが、私は仕事柄、業界のことを語るのであれば自分に責任を持つ為に顔も名前も素性も全てさらけ出すことにしているのだ。また、かなりのアクセス数を頂いているため、検索エンジンにもかなり引っ掛かるようになっており、聞いた話しでは呉服業界の大手小売、問屋、メーカー、組合にはそのほとんどをチェックされているようだ。もちろん始めからそれを想定していたがまさかこれほどまでになるとは思わなかったので、自分の言葉にはきちんと節度を持って書いているつもりである。

だからたとえきものファンから強く望まれても、一企業を批判したり、言ってはいけない言葉、個人の名誉や信用毀損する恐れのある言葉などは絶対に言わない。これは自分をさらけ出しているからこその責任だと私自身は考えている。

そんなことで、ツイッターとブログの併用は広い人脈を広げ、ブログはたくさんのきものファンや呉服関連業種、他異業種の方々に呉服業界の現状やこれからの考えかた、あるいは着物の専門知識、マーケティングなどの生の声を見てもらえている。

またそこから、ありがたいことに沢山の企業からアプローチを頂き、実際に取り組みをさせて頂いている。決して自分自身の仕事の営業ためにやっているわけではないが、結果的に共感して頂ける企業からお声をかけて頂けることは本当に感謝である。

今後私のコンサルティングの中にもソーシャルメディアの活用を様々な形で取り込んでいこうと考えている。現状呉服業界で行われているテレアポ方式やダイレクトメールなどを大量に使った集客はこれから難しくなると考えている。また、新規顧客開拓においても、なかなか店舗での客数が望めない小規模小売店にとっては大きな武器になっていく可能性がある。そういった意味でも低コストで効果的な新しい販促の仕方や集客方法が今後変わっていくことと思われる。

そういみでもこのツイッターをやっていて、そして多少の労はあるにしてもブログを積極的に取り組んで良かったと心から思う。そしてさらに呉服業界のプラスになるような活用方法の応用化を図っていけるように努力していきたい。

環境の変化に対応するという意味で、これからはソーシャルメディアの活用は絶対にはずせない。

それでだけでも気付かせて頂いたことに関してもまさに恐るべしツイッター効果である。

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2010年4月 7日 (水)

Only one store

私はニューヨークが好きで年に1回は訪れる。きものと何ら関係はないのだが、心躍る物がある。特に様々な店を見て回るのが好きだ。定番であるブルーミングデールズ、メーシーズなどのデパートはもとより、キッチンや食器などの専門店であるクリエイト&バレル、ウイリアムズ・ソノマ、ペットショップのペトコ、SOHOにある和雑貨の店「きてや」なども面白い。まあ、定番中の定番なのでそう珍しくはないかもしれない。

ただ、いかにもニューヨークらしいショップがある。
ブルックリンにあるワインショップ「スミス&バイン」だ。この周りにはウォルマート、ターゲット、コストコなど大型ローコストストアチェーンの激戦区であり、通常の小規模店舗は非常に厳しい地域でもある。ところがこのワインショップは常に繁盛している。ここのオーナーはこの地域に3店舗出店している地域密着型ローカルチェーンだ。

なぜ繁盛しているのか?そのヒントはこの3店舗がそれぞれすぐ近くに存在し、それぞれが違う商品を扱う店であるということ。そしてそれぞれが繋がっているということである。
まずメインの店はワインショップ。ブルックリンは以前治安の問題があったが、現在は高級住宅街となり、富裕層が多い。このワインショップの品揃えも決して安いわけではないが、品質的にいいものを豊富に揃えている。

それだけでも大型チェーンとは差別化されているのだが、面白いのはその店の向かいに「スティンキー・ブルックリン」というチーズ専門店があることだ。しかもこの店は向かいのワインショップと同じ会社である。ワインショップでワインを買ったお客様はそのワインに合うチーズを向かいの店で買うのだ。それは共通のテーマによって結びついた異業種ローカルチェーンなのだ。

舌の肥えたニューヨーカーはワインの専門家がいるワインショップで美味しいワインを購入し、その美味しいワインに合うチーズを、同じチェーンでありチーズの専門家のいる向かいのチーズ専門店で購入し、大きな満足を得るのだ。これこそ大型チェーンにはない、差別化されたチェーンストアである。


オーナーの考え方は、顧客層をキチンと把握し、彼らの好みにあったものを提供する。そしてうまくいったら、常連客を掴んでいる地域内に店舗を展開するというものだ。しかもそれぞれが共通のテーマをもったカテゴリー内異業種店舗なのである。

そしてついに昨年の春にバー「ジェイクウォーク」を1ブロック先に出店した。バーを開いた理由として、ワインを買って、好みのチーズ買ったら、帰りにバーで一杯引っ掛けるというストーリーなのだ。そして、ワインショップやチーズ専門店の常連客がしっかりとバーを利用しているのである。

それぞれが共通のテーマによって結びついている一方で、品質、サービス、品揃えといった部分でそれぞれが群を抜いている満足度の高い店であるということから、利用者一人一人にとってはそれぞれの店が高い専門性のあるオンリーワンのショップなのだ。だから単体でも繁盛し、連動という形でも繁盛するのである。

これをきもの業界に置き換えることは非常に難しい。小売でいえば同一地域に振袖専門店と礼装専門店としゃれ着専門店を置くことは店舗の採算面から言っても非現実的である。ただ、範囲を広げて大手チェーン店が出店している地域特徴を生かした品揃えや店運営などの特色を出していくことは必要である。現に画一化から個別化を図ろうとしている努力はしているが、やはり直営店であるが故の壁は大きい。フランチャイズという形なら、1店1店がオーナーであるからその可能性は充分にある。もちろん専門店もそうだ。そういった本当の意味での地域密着は呉服店にも絶対に必要だ。それらが今後の小売店にとって大きな課題となることは間違いない。

各きもの産地でも同様である。産地という共通のテーマの中で各メーカーがどのような特色を出していくかが、その産地の魅力となり、結果的には産地活性化に結びついていく。いわゆる産地ブランディングとなるのである。日本の産地は村社会である以上は、その中のどこか1つのメーカーが突出したところで産地の活性化には結びつかない。メーカー各社がより特色のあるオンリーワン企業になることで、はじめてその地盤である産地が生きてくるのである。

これからの呉服企業は消費者視点からのオンリーワンショップ、オンリーワンカンパニーを構築する必要がある。

そして業界売上が3000億円まで縮小してしまったのであるから、もはや業界全体がきものという共通テーマをもった集合体であるという意識をもち、きものファンのための特色あるビジネスを期待したいと切に思う。


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2010年4月 6日 (火)

接客と販売は違うもの

春の装いは晴れ着もしゃれ着も相まって華やかである。
たくさんのきものを着るイベントがきものファンによって行われ、純粋にきものを楽しみたいという人たちがこれほど多いとは全く嬉しい限りである。本来はこういうきものファンのバックアップをする役目をするのが呉服店であるはずだ。

昔の呉服店は大店(おおたな)と呼ばれ、庶民にとっては憧れのお店であった。三越、高島屋、大丸、伊勢丹、松屋、松坂屋など今を代表する百貨店のほとんどはその憧れの的である呉服店だった。

当時の呉服屋の販売方法はお客様の好みを聞き、その中から合いそうなものを数点取りだし、広げてみせる。時には反物を肩にかけるくらいはしたようだが、今でいう試着ということはしなかった。お客様の好みを聞き出し、コミュニケーションをとりながら、反物を広げ、それに合う帯などを合わせてお客様がお気に召すまで会話を楽しみながら、お勧めをした。もちろん当時の呉服屋の店員は丁稚時代に鍛え上げられた豊富な知識も兼ね備えていた。

私もバイヤーとしての期間も長かったが、販売員としても長く従事してきた。
その販売員としての経験は今の仕事に非常に役立っている。大型店舗ゆえの大きな売上目標や、システム化された動き、販売の流れのマニュアル等目指すべき指標とやるべきことが明確であった。ここで言っておくが、これが良いか悪いかというのは全くの別問題であるので誤解のないように。ただ、それが会社としてのやり方であるならばそれに沿って仕事をすることはごく自然なことである。

ただ、ある程度年数が経ち、自分が指導する立場になった時に不思議な気持ちが芽生えた。自分でもそれなりの販売スキルがあり、会社内でもちょっとは知られる存在になり、自分の販売スタイルというのを考えだしたからとも思えるが、「勧めない販売」というのにチャレンジしてみたくなった。もっと単純にいえば、お客様にどんどん押していくような勧める販売がいやになったというのも大きな理由でもある。


さて、そうはいっても勧めなければこの高単価の商品はなかなか買ってもらえない。ただ、無理なお勧めはしたくない。要は勧めないといっても最後に一度だけ「是非お求め下さい」とだけいう販売が成り立つかどうかにチャレンジしてみた。これは一企業の販売員としてはただの自己満足であり、結果が出なければ最悪であるし、店にも会社にも迷惑がかかる。だから時間を掛けて達成する目標ではなく、すぐに結果を出さなければならない。

ただ案の定1週間は散々な結果であった。今までと同じ流れでお勧めだけしないとなれば売れるはずはない。当たり前の話しだ。お客様からすればやる気のない販売員に映ったかもしれない。その一方でお客様の店内の滞在時間は飛躍的に伸びていた。お客様とあれこれ楽しく接しながら、もちろん試着も奨めてお手伝いし、コーディネイトを提案していたからお客様も結構楽しんでいた。そういう場合は大体反応は「ありがとう!とても勉強になったわ!」である。

私が常に心掛けた販売はキチンと接客してお客様の視点になり、お客様とコミュニケーションをはかりながら、お好みやファッションの志向を着ているもの、持ち物や靴、買い物している内容や時には購入した食品まで参考にし、それを総合して提案したいきものやコーディネイトを時には真面目な商品説明であったり、時には冗談混じりの話しをしながら、提案したポイントは今のお客様の好みにキッチリ合わせたものと是非ともチャレンジして欲しいタイプのものを提案した。そして選ばれるのは決まってチャレンジして欲しい方だった。

そうしていくうちに自分の理想の販売を描く中で、「接客」と「販売」は似て非なるものだと気付いた。これは呉服販売をする上で重要なポイントである。

「接客」とは読んで字のごとくお客様と接することである。いかにお客様との関係を作り、きものを通してコミュニケーションをつくるかという非常に重要な部分である。基本的にお客様が「欲しいな」「どうしようかな」と思って頂いてからが「販売」なのである。これに気付くにはかなりの時間がかかったが、そうなのである。そこまでにいくにはいかに「接客」するか?なのである。
「同調」「協調」「提案」という「接客」をしっかりとして、はじめて「お勧め」という「販売」が必要になってくる。これをいかに理解するかが呉服の販売にとって重要なのである。

未だに、店に入ったとたんに勧める店もある。こんな店と販売員は問題外だが、意外に多いのが悲しい。また、「あなたはわからないだろうから私が教えてあげる」的な知識の押し付けのような販売もある。こんなことでは、呉服店からお客様の足が遠のくのは当然である。それでいて「良い客、悪い客」と勝手に判断されてはたまったものではない。

また最近は販売員の商品知識も異常といえるほど低い。これはマーケットリサーチしながら何もいわず接客されてみてもまったく勉強していないなというのがよくわかる。少なくとも自分の店で売っているものをよくわからないというのは困ったものである。今どきアパレルでもそういう店員は少ない。というよりアパレルはトレンドの変化が激しいからこそ、個々の販売員のレベルは非常に高い。

そういう意味でも「接客」と「販売」は違う。そしてお客様と同調、協調し提案することで、着物という商品を真剣に見る目になって頂ける。そしてお勧めすることによってお買い求め頂ける可能性が高まるのだ。

私の理想は「お勧めしない」まではいかなかったものの、なんとかそれに近いレベルまではいけた。その結果、沢山のお得意様ができたことは大きな財産となった。また気軽にお店に寄ってくれるお客様が圧倒的に増えたことも確かである。一応売上もそれなりにあげられたことを記憶している。

呉服商法の不信は「無理」と「無知」に集約されているといえる。
「価格の無理」「販売の無理」「お客様への無知」「商品の無知」である。不透明な価格設定や二重価格などの無理と過量販売や騙しのような無理。そしてお客様視点を知ろうとしない無知ときものという商品をしらない無知。これがお客様をきものから遠ざけ、多重債務などの被害をもたらした。もうそのような販売はないものと信じたいが、未だチラホラと聞こえてくる。

全国区のきものファン達のきものへの思いを今一度キチンと受け止めて、呉服屋さんにいくことが楽しい、気軽に色々なきものが見れて、しかもキチンとアドバイスしてくれて、安心して購入することが出来る。そんな商いが出来るように心から願うばかりである。

お客様を知ることが大切。だから「接客」と「販売」は違うのだ。

あなたの行きつけの呉服屋さんはきちんと「接客」してくれますか?


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2010年4月 4日 (日)

新しいきものの日

みなさんは「きものの日」をご存知だろうか?
実はきちんと存在するのだ。社団法人全日本きもの振興会が昭和41年に結成され、それ以来11月15日を「きものの日」と決めて、様々なイベントやきもの振興の為の催しをしてきた。ところが残念ながらそれを知っている人はほとんどいない。

今日、4月4日(日)、全国できもののイベントが数多く行われた。東京ミッドタウンでは2日から行われている六本木きものフェスタが最終日を迎え、多くの人で賑わっていた。特にビックリしたのはきものレンタルだ。料金1万円(返却時に保証金の5000円を払い戻し)で各有名呉服店やメーカーのきものをレンタル&着付けできるサービスだが、最終日の本日は朝から長蛇の列。しかもそのほとんどが20代〜30代の男女だ。カップルで着たり、友達同士で着たり、親子で着たりとそれぞれの楽しみ方をしている。こんなにきものを着たいという人がいるんだという感動をおぼえ、心から嬉しくなった。

また、話題の京都キモノジャックが2回目を迎えた。第1回目はあいにくの雨であったがそれでも大好評だった。そして今回は暑いくらいの快晴。しかもその参加人数はなんと120名に及んだという。しかも前回は京都新聞に取り上げられたが、今回はTVカメラが入った。また同時に福岡のキモノジャックも行われたが、これはきものファンの女性がたった1人で企画し、京都のジャックのメンバーの協力得ながらツイッターで呼びかけ今日実現に至ったという素晴らしいものであった。そしてまた各地にどんどん広がりつつある。

このキモノジャックに関しては、メンバー達がツイッターというソーシャルメディアを通して参加を呼びかけた全く新しいイベント集客方法だった。またその模様をツイッターのきものファン達にyoutubeや写真を通して逐一情報提供するという形をとっており、遠くにいる参加出来ない多くのきものファンまでもインターネット上で楽しませている。これにより全国できものを着て楽しむイベントが企業でなくきものファンによって企画されている。

またジャックのメンバー達は今後Ustreamを使った実況中継を検討しており、これに関しては私も大きなインターネット構想を制作会社と遂行中であるため、何かの形で協力できればと考えている。また、今回は参加者の中に世界の顧客にネットを通して古着を販売しているオーナーが参加しており、このジャックの模様を全世界に配信して沢山の反響があったようだ。もしかするとこのイベントは世界規模で広がっていく可能性も秘めているといっても過言ではなくなってきた。

また、今後も続々とキモノを着て楽しむイベントが開催される予定であり、きものファンはどんどん盛り上がりを見せてきている。

ここで、呉服業界は絶対にこの流れを停めてはいけない。一時期の過ちで陥った業界不信を消費者の立場であるきものファンの人達が自ら行動を起こし、この悪い流れを払拭してくれようとしているのだ。間違いなくこれからのきものビジネスはエンターテイメントが必要であることを示している。3年前に㈱やまとの矢嶋社長は「これからのきものビジネスはエンターテイメントビジネスである」と提唱し、売るだけでなく、お客様とのきものを着ての販売の絡まない交流やカジュアルきものレンタルを既に実施していた。まさに今その通りになり、それも消費者主導の大きな波が起きようとしている。

そしてこれからよりきものエンターテイメントを進化させていく為にどうするかが、呉服業界に課せられた大きな課題となる。
「売ることで自分のきものを持つ喜びを提供する」
「貸すことできものの良さを知ってもらう」
「着ることできものの楽しさを知ってもらう」

この3つはこれからのきものビジネスにおいて非常に大切なキーワードになる。

そしてもう1つ。これから絶対に大切になってくる「情報伝達方法の転換」である。今回のキモノジャックは京都も福岡も個々の行動力によるPR活動ももちろんあったが、ツイッターの力が大きかった。私もツイッターでは少しは知れた名前であるが、キモノジャックのソーシャルメディアの活用は物凄くうまい。1回目からそうであったが、キモノジャック開催の告知や情報を写真や動画を織り交ぜてフォロワーに提供している。それを支持するフォロワーがリツイートすることで更に大きく広がっていく。実際これを有効に使っている企業は多く、広告、アンケート、集客などに大きな効果を出している。


これからの呉服業界戦略にはソーシャルメディアの活用は不可欠であり、そうしていかなければ集客や広告は難しくなる他、今まで通りではコスト的にも費用対効果はどんどん悪化していくであろう。おそらくIT活用の重要性を本当の意味で理解していないのは残念ながらこの業界の大きな弱みであるといって良い。

携帯電話からiphoneなどのスマートフォンへの需要の変化。アマゾンのキンドルによる電子書籍の普及。ipad発売でタブレット型端末による情報取得レベルの進化とインターネット利用方法の向上。ソフトバンクのUstream買収によるソーシャルメディアの急速な普及。そしてツイッターによる人のつながりや出会い、情報交換の方法の変化等この1〜2年で情報提供と収集の方法が恐ろしいスピードで変化してきている。これによって消費行動の変化もよりスピードを増して変わってくるだろう。実店舗も無関心ではいられない。特に催事動員での集客は、現状のテレアポ方式はもう難しくなるだろう。

これからきものエンターテイメントビジネスの更なる進化は情報というコンテンツとの戦いになる。

いずれにしても今日という日の新しい意味での「きものの日」は情報というものをうまく利用し、おそらくキモノジャックという名が数千、数万の人に知らされたことだろう。それが誰も依頼していないTV取材に繋がったのだと思う。

そして何よりも、きものを着たい!きものを着て沢山の人達と楽しさを共有したいという思いが全国で一斉に開花し満開となり、きものファン達が作り上げた4月4日という新しい「きものの日」となったことは間違いない。


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蚕と絹織物

やっと春が来たようだ。
全国から花見の知らせが聞こえてくる。ただ、いまだ北国からはその知らせは聞こえない。でももうすぐそこまで桜前線は近づいていることだろう。春の息吹が聞こえるのはなんともワクワクする。これはこの世に生きる万物にとって共通する感覚なのであろう。

養蚕の世界でも春は一番質の良い繭がとれる。「春繭」だ。春繭は他の季節にとれる繭より約15%質量が多い。その分上質だと言われている。養蚕や繊維の専門家ならもっと科学的な見地から上質といわれる根拠を説明してもらえるのだろうが、残念ながら私は知っている程度の知識なのでそれは控えることにする。

昔は農家の多くは養蚕業でなくとも屋根裏や保管蔵などで養蚕をしていた。私の父も栃木の養蚕農家の生まれである。
今現在、日本全国で専業の養蚕農家は本当に数えるくらいしかなく、乾繭の生産量も世界シェアの1%も満たないほどの衰退ぶりだ。全国各地にあった製糸工場も基本的には群馬県の碓氷製糸だけとなっている。(小規模の製糸場は存在するが)

着物のビジネスに関わっているが、基本の基本である素材にも常に注意を払っているつもりだ。もちろん着物は絹だけではない。大分類としてだが、麻、綿、樹皮、羊毛、合繊なども当然のごとく意識を持って注目している。ただどうしても圧倒的に数の多い絹物の素材であり、その大元の「蚕」はより深く見てしまうのは致し方ないことだ。

みなさんは、1反のきもの生地に必要な繭の数はご存知だろうか?
これは家蚕の場合の話で、天蚕や野蚕の場合は糸の伸度が異なるのでその数は変わってくるので理解して欲しい。
仮に680gの白生地として、それを構成する為に生糸は約900gが使われている。なぜ680gに減ってしまうのかというと、それは生地を精練することで絹糸についている「セリシン」というタンパク質が取れるからである。白生地は織った後に精練するために、織上がりはこのセリシンによって紙ヤスリのように堅くザラザラしている。これを精練して巾を整え、生地に仕上げていくのだが、このセリシンが落ちることで質量が減る。これを専門用語で「練り減り」という。
そのほか加工段階でのロスも含め900gから680gに減耗する。

この900gの生糸を作るのに必要な繭の量は約2600粒。重さにして約4.9kgだ。そう考えるとかなりの量の繭を使わないと1反分の生地にはならない。そしてその数の繭を算出するのにお蚕さんが約2700頭(幼虫は匹とは言わない)。この約100頭の差は「減蚕歩合」といって途中で死んだり、繭を形成しなかったりなどのロス分が約5%出る。

そしてこのお蚕さん2700頭が繭を形成するまでに餌として必要な桑の葉の数はなんと98kgも必要になる。物凄い量だ。しかしながら、これはたった1反に必要な分である。これを考えるとやはり無駄には出来ないし、何の加工もしていない生地も本当に愛おしく思えてくる。着物を大切にしなくてはいけないという意識はきものファンにとってはごく当たり前のことだが、こうやって遡って考えるとその意識はもっと強くなるはずだ。

蚕の一生は本当に糸を作る為に捧げているのではないかというほど効率的で儚い。
蛾が産卵し10〜15日で孵化しそのあと4回脱皮を繰り返す。これを4眠というが、この期間が約25日。そして2日間糸を吐き続けて繭をつくり、その後2日ほどで蛹になり10日ほどで蛾となる。卵から成虫になるまで2ヶ月弱だ。そして驚くのは生まれたその日中に交尾して夕方には卵を産み始めるというまさに糸を作る為に命を与えられたという一生だだからこそお蚕さんには敬意を表する。

養蚕は中国で紀元前2600年も前から行われていたといわれている。日本に伝えられたのはつい最近の発見で縄文後期と言われている。人間は衣服を作る為に養蚕技術に改良を重ね、お蚕さんの犠牲をもとにより良い製品づくりのために進化してきた。きものはその最たるものだ。


今、東京では桜が満開だ。その美しさを求め、沢山の人達が桜の木を見上げ、花々の美しさに酔いしれる。またそれがほんの一時だということを皆知っている。だからこそ桜は愛おしいのである。儚く散っていく運命を知っているかの如く、満開の花を咲かせることで人々を惹き付ける。

美しい絹糸づくりの為にお蚕さんは、成虫になることを許されずその一生を終える。

美しい絹糸を残してこの世と別れるお蚕さんを考えると春の美しい桜と重なるのである。


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2010年4月 3日 (土)

縮緬のはなし

きものを連想させる言葉の代表的なものが「ちりめん(縮緬)」である。水戸黄門の中でもご隠居様である水戸光圀公は普段は「越後の縮緬問屋の光右衛門」と名乗っているのは有名な話だ。ところがこの設定はいささか無理がある。
水戸黄門ファンには大変申し訳ないが、水戸光圀=徳川光圀が生きていた時代は江戸前期。記録によると1628年生まれの1701年没。

この頃は、縮緬は大阪の堺から西陣に伝わっている最中。丹後に伝わったのは光圀の死後20年後くらいと記録に残っている。本格的な縮緬の流通というのは確立されていない頃なので、越後で縮緬問屋なるものがあったはずがない。

縮緬の歴史はやはり中国からの渡来である。天正年間(1573年から1593年)というから織田信長が生きていた最後の方の時代である。当時の中国は明の時代。その明の国から大阪は南泉州堺に伝わり、その後西陣に伝わり1720年頃に岐阜や丹後の加悦に伝わり、長浜に伝わり染色でも大きな貢献をしたのである。
縮緬技術の伝達経路は
堺→西陣→加悦→峰山→長浜→岐阜。また西陣から桐生、次いで足利まで広がった。ちなみにこの桐生に伝わった縮緬技術は八丁撚糸という1mあたりに約3000回転くらい撚りをかけて一旦糊付し、水をかけながらさらに逆回転の撚りを掛けていく非常に強い撚りの撚糸技術を開発し、それで作られた織物を第十一代将軍徳川家斉公が好んだため名付けられた「お召」というものに発展したことでも有名である。

ここで縮緬の代表的な種類を確認しておこう。

一越ちりめん
緯糸に左撚りの強撚糸と右撚りの強撚糸を交互に織り込んだもので、シボが細かく地風がなめらかな感触の丹後を代表する縮緬

古代縮緬
緯糸に左撚りの強撚糸と右撚りの強撚糸を2本ずつ交互に織り込んだもので、一越ちりめんに比べすこしシボが粗めなのが特徴。中には非常にシボが強いものがあり、「鬼シボ縮緬」と言われているものもある。

精華縮緬(パレス)
緯糸に左右の強撚糸を2本ずつ交互に織り込んだもので、経糸の密度はより大きく、緯糸の撚りはパレス撚りといって他の縮緬で使う強撚糸よりも少々甘めの撚りであるため、ほとんどシボが見られず、羽二重に似た見え方である。主に八掛や羽裏などに使用されることが多い。

その他専門的にいうと
「錦紗縮緬」「壁縮緬」「鶉縮緬」「横絽縮緬」「紋紗縮緬」「壁絽縮緬」「紋綸子縮緬」「紋美裳縮緬」「紋繻子縮緬」「綾浪縮緬」「紋変縮緬」「風通縮緬」「紋壁縮緬」「紋山縮緬」「紋意匠縮緬」「柞入紋意匠縮緬」「一越縫取縮緬」「紋綸子縫取縮緬」「紋美裳縫取縮緬」「紋意匠縫取縮緬」「防染紋縮緬」「変わり三越縮緬」などなどかなりの種類の縮緬が存在する。もちろんそれぞれに適した用途があるためだ。

また、縮緬も含め白生地は業界では目方で善し悪しを判断していた。特に生地の目方で約670g以上のものを「貫八」といい、高級品の代名詞的な基準の目方であった。貫八=一貫八百匁のことで、グラムでいうと6.7㎏強くらいである。ではなぜそういうのか?

生地の取引は1反単位でなく、10反単位で取引された。その10反分の目方から「この生地は貫八物」という呼ばれ方になったのである。
正確に言えば670gは180匁である。1匁は3.75gであるからそうなる。
これを覚えておくだけでもちょっとした自慢になるかもしれない。

また長さの規格は着尺で12.5m、長襦袢で13.5mであり、反巾は1尺が今の基本だ。

とにもかくにも白生地、そのなかでも「縮緬」呼ばれるものは、着物を作る上での基本中の基本の生地であるから、呉服関係者はしっかりとその知識を把握または身につけるのである。素材は命だからこそのことだからである。

だからこそ、着物を連想させる言葉が「縮緬」になるくらい、全ての後染め着物に対して関わっているといっても過言ではない。

であるのに、丹後に行くと昔よりも静かである。昔は歩いているだけであちこちから織機の音が鳴り響いていた。ところが、近年、呉服の売上不振の影響でものが売れなくなり、メーカーも商品をつくらなくなっている。それはどういうことになるのかというと、こういうことになるのである。

白生地は呉服業界の縮図ともいえる。このままいけば真っ先に和装生地産地は息絶える。すでに各産地組合の精練所は廃業が相次ぎ、長浜や五泉などはなんとか稼働しているものの殆どの白生地の精練は丹後の組合の精練所に集中している。それでも人を減らさなければ運営出来ない状況だ。

こればかりは、黄門様が印籠をかざしても解決出来ない難題である。


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2010年4月 2日 (金)

祝入社!!

4月1日。
日本では年度始め。企業の多くは今日からまた新たな年を迎える。そしてそこに入社したフレッシュな金の卵たちもだ。先日もソフトバンクの入社式で孫正義社長がUstreamを使って基調講義を全世界にリアルタイムで発信していた。全世界の一般の人達も見られている訳であるから、企業戦略や企業PR的なこともふんだんに話しの中に入っていたのだが、ありきたりの言葉が突き刺さった

「お金の為に仕事をしてもいいのだが、それだけではむなしい。どうせなら日本の通信を変えてやるんだと思って仕事してほしい。」

言葉だけを見たらどこの社長も言いそうなことだが、孫社長がいうとより説得力が増す。なぜなら本当にそう思ってやってきたからである。そして、かなりの確立で日本の通信をソフトバンクが変えてしまう所まできている。

呉服業界もこの10年で大変革すると確信している。一連の販売方法の問題で神の怒りに触れた企業は淘汰されていった。ただ、少なからずとも売上に関してだけはかなりの損失になったことは間違いない。それでも業界は正しい方向に向かって歩みだしていることには違いないからだ。

次に目指すべきは新たなる着物ビジネスモデルの構築であり、きものファン拡大の為の施策である。

これはもう今日を境に呉服業界の一員となった若い力もかなり必要だ。何故ならその感覚やその目はまさに昨日まで消費者の立場だったからである。業界の仕組みや具体的な仕事の内容がわからなくても、頓珍漢なことを言っていたとしてもその発想や目や感覚は消費者と同じである。私たちは経験の無い者をナイガシロにしがちだが、もう硬直してしまっている呉服業界にはまっさらな新入社員の意見をどんどん取り入れた方がいい。その中から現実に出来るもの、何とか頑張ればできるもの、全く不可能なものを分別すれば、想いもよらなかった結果が出たりするものである。


また一方で新人の時にやらされる仕事は単純作業が多い。その最たる物が「清掃」だ。いわゆるクリーンリネス。しかしながらこれはお店なら店内の、卸業やメーカーなら社内や工房のありとあらゆる部分を掃除を通して意識して見ることができる。慣れてくると見えなくなる部分だ。これがとにかく後で生きてくる。

私もこの世界に入ったときは、毎朝誰よりも早く来て店の隅々まで掃除をした。店が終わってからももちろんした。私の場合は小売店だから店全般だ。まず真っ先に身に付いたのは、どこになにがどのくらいあるかどうかだ。これに関しては自慢出来るくらい頭の中に入った。掃除をしながらこんな商品あったんだとか、足袋の23センチがあと2足しかないなとか。。。そしてこれが営業中に役に立つ。お客様からご要望の商品があるとスピーディに提示することが出来、その分少しでもそのお客様と接する時間が長くなる。これが探している時間が長いと結果接客時間が短くなり、お客様とのコミュニケーションが図れない。ということはせっかく店頭で出会ったお客様なのに何の印象もなく終わってしまうのだ。

他には、商品整理をしていると商品を覚える。店にどんな商品があるかを調べると、お見立ての時にスムーズな比較ができるし、お客様のお好みに合わせた商品提示が躊躇なく出来る。
また商品知識も身に付いてくる。たとえば、振袖なら金箔使いのものは大体
生地が似たような物が多いことに気付き、あとでどんな生地なのか調べることで知識となる。それを整理しながら意識して見ているとどんどん頭の中に入ってくる。こうしてある程度の商品知識が掃除や整理を通して身に付くのである。

要するに新人の時にやらされる雑用に真剣に取り組むと、後で役立つことが沢山隠されており、真剣にやることで自然とそれが身に付くもので、逆に嫌々または雑用ばかりという不満のようなネガティヴな姿勢でやってしまうとそれが身に付かないどころか、どんどん仕事自体が嫌になってきてしまうのである。
是非ともこれから仕事として与えられる雑用的な単純作業でも意志をもってやってみて欲しい。

何かいかにも訓示のような内容になってしまったが、この2010年を新たなスタートラインとして呉服業界は変革への道を進みだしたのは確かだ。そして新しい風を吹かす為にはまず「気づき」が必要だ。こうしたらどうだろうという素朴な疑問やアイディアがやがて形となった時に大きな風となって全体を動かす。

そして今日入社した皆さんはこれから様々なことが起き、挫けそうになったり、うれしいこともたくさんあったり、本当に辛くて辞めたくなったりとあるゆる感情と葛藤することもあるかと思うが、少なからずとも業界の先輩として言えることは、続けてさえいれば間違いなくこの業界の新しい形をつくる1人となる。これは確かだ。

だからこそ、志を持って欲しい。夢を持って欲しい。そして自分たちの世代がこの業界を変えられるんだという自信を持って欲しい。それが自信過剰でもいい、勇み足を踏んでもいい。「何をしても厳しい」なんて発想を持たないで欲しい。自分が変えてやるんだという志があれば間違いなく変わるはずだ。

私も20年のキャリアを捨て、フリーになった。同じ業界だから何とかなると思った。しかし、誰も相手にしてもらえなかった。だけれども前を向き、絶対この世界を変えてやると思い続けている。そうすることで、共感してくれる人達が一人一人増えてきた。今では沢山の人達といっしょに仕事が出来るようになってきた。もちろんまだまだだし、業界を変えるなんて夢のまた夢だ。しかし、どんなにバカにされてもいい、キレイ事をいってと笑われてもいい、格好をつけるなと批判されてもいい。自分が持った志だからそれに向かっていくだけだ。


「お金の為に仕事をしてもいいのだが、それだけではむなしい。どうせなら呉服業界をかえてやるんだと思って仕事してほしい。」


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2010年4月 1日 (木)

日本の伝統工芸の美 〜津軽こぎん刺しと南部菱刺し〜

昔、家庭科の授業で雑巾を縫ったことは誰にでもある経験だろう。
今、家庭では意外と雑巾を縫う機会はあまりないかもしれない。家庭で掃除の為に使用する雑巾はだいたいが古くなったタオル等をたたんでそのまま雑巾変わりに使っていることの方が多いかと思う。昔習った雑巾を縫うこと。そのほとんどが×印のように縫うことが多いのではなかろうか。そして何の為に縫うか。それは補強のためである。

きものとしてこの「補強」的な要素で縫う着物がある。「刺し子」と呼ばれるものである。ただし、雑巾のような簡単なものでなく、非常に複雑な模様で柄を形成しながら縫っていく。補強という名の芸術だ。

刺し子の代名詞とも言える日本の伝統工芸がある。津軽こぎん刺しと南部菱刺しだ。簡単に言えば津軽藩で発祥した津軽こぎんと南部領で発生した南部菱刺しで双方とも青森県だ。(南部領は南部氏が統治した領域)

津軽こぎん刺しは津軽地方一帯に伝わる伝統工芸だ。基本的には麻布へ刺したものである。何故なら、北国では綿の栽培が出来ないため、庶民の衣服は麻布が一般的であった。また、江戸時代には「農家倹約分限令」という倹約令があり、農民はすべての着衣に厳しい制限を課せられていた。

また、木綿の着用自体が許されておらず、農民達は麻布を重ねて刺すことで普段の衣服とし、また擦れや摩耗に強くなるよう「刺し子」をすることで、農作業にも耐えられる補強を施していた。その模様がこんにち「こぎん刺し」いわれる美しい刺し子模様となったのである。

津軽こぎん刺しは縦長の菱形の模様で、様々な当時の生活に関わったものがデザインされている。「花コ」「石ダタミ」「猫のマナグ」「べこ」「ウロコ」などなどかなり沢山の種類が存在する。

そして木綿着用が解禁になった明治期に津軽こぎん刺しは一気に花開くのである。また綿は麻よりも目が細かいため、より複雑な模様が可能になり、その複雑さもどんどん進化していった。

一方南部菱刺しも歴史的背景は同じである。当初は麻布が一般的であり、木綿が使われ始めたのはやはり明治中期である。この南部領と言われる地域は八戸、三戸、五戸、十和田、三沢などの一帯を指す。
その柄は津軽こぎんの縦長の菱形に対して南部菱刺しは横長だ。これだけでも面白い。

面白いことにこの南部菱刺しと津軽こぎんは非常に似ているのにも関わらず、何の接点がなかったのである。

工程としては2つとも織り目の隙間(組織の隙間)を狙って刺していくという非常に根気のいる仕事なのだ。

また刺し方も好対照だ。津軽こぎん刺しは基本的に織り目の奇数目を刺していく。(1目、3目。7目)。逆に南部菱刺しは偶数を拾っていく。この接点を調べるべく以前青森をおとずれた。地元の郷土資料館や図書館にて調べたが文献としては残されておらず、どうしてもその接点が見当たらなかった。

今はどちらのものも木綿が主流で、一部麻も根強く使われている。市場では、着物よりも帯やバッグ、半纏などとして出ているが、非常に高価だ。
もちろんその数も少なく、なかなかこれらを身にまとっている人を見かけるのは困難だ。


これら津軽こぎん刺し、南部菱刺しも庶民、もっと封建的階級から表現すると「農民」から生まれた伝統工芸である。綿を着ることを許されず、麻布に補強しながら刺しをするうちに、なんとか美しく見せたい、仕事着というみすぼらしさを刺し子によってほんの少しでもいいものに見せたいという思いと願いがそのものを見るたびにけなげに感じる。

津軽こぎん刺しと南部菱刺しは絹をまとうことなど一生許されない、女性の「美」への執念が詰まってた「想いの衣装」なのだと心から感じる。

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