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2010年4月17日 (土)

初めて見た染色

染色家の仁平幸春氏とは普段から親しくさせて頂いており、飲み友達である他、自社のロゴデザインや現在制作中のホームページの件でもご夫妻で色々とお世話になっている。

彼のデザインは感性というひと言ではとても語れない秀でたものであり、草木染で表現する絶妙でそれでいて奥深い色も鋭さと懐かしさを合わせもつ不思議な魅力を感じる構図も染色でありながら造形美を感じる。

彼の技法の1つに「臈纈(ロウケツ)」がある。彼が最も得意とする技法の1つであるが、最初に彼の工房に訪れた時に見た時の新鮮さが、私が14歳の時に初めて見た染色であるバティックであることと重なった。仁平氏ともバティックの話をしたのもそれが理由である。

私が14歳のとき、父がバティックと地元民族の文化の研究のためインドネシアに行くことになり、年末ということもありでどうせなら家族で行こうということで初の家族海外旅行となった。当時英語を勉強していた兄も勉強の成果を試すチャンスと意気込み、私はとにかく自分の中の未開の地を見ることが嬉しくて兄弟共にワクワクしていたのを憶えている。

当時私たち兄弟も母も父の研究にはあまり興味がなく、父には仕事をしてもらい、その他は思い切り海外を楽しもうと思っていた。もうリゾートへ行くような感覚で盛り上がっていた。すばらしい年末年始の海外旅行!のはずだった。

当時出来たばかりの成田空港から、シンガポール経由ジャカルタ行きのJAL。当時はCAさんが機内サービスの時間にきものを着ていた時代だ。日常と違う雰囲気に家族全員気分上々。たしか父はインドネシアの歴史について私たちに語っていたようだったが、馬耳東風というか当然右から左へと抜けていく。頭の中はリゾート。赤道直下だし南十字星が見えるかななどと兄と話していたことは思い出される。

インドネシアのジャカルタ空港に到着したのは夕方であった。当時はボーディングブリッジではなくタラップであり、機外に出た瞬間鼻をつままずにはいられない異臭をいまでも克明に憶えている。そしていい加減な入国審査を終え、父はいとも簡単に白タクと交渉しホテルへ。当時のジャカルタは近代的なのは中心部の一角のみ。あとはおそろしく廃れていた。リゾートをイメージしていた私達は一瞬にしてテンションダウン。頭の中に父に騙されたという思い出いっぱいだった。

ホテルに入り、兄が私にぼそっと言った。「もう二度とアジアには行かない。」これがキッカケだったのか、兄は今でも絶対にアジア圏には旅行に行かない。

そしていうまでもなく、別行動はとても無理と判断した家族は父の研究に同行することとなった。兄は英語の話せるガイド兼運転手を捜し、父特有の強引な旅が始まった。

そしてバティック工場へ。
バティックは「サロン」といわれる腰巻きや「スレンダン」と呼ばれる現地の女性がよくつかう肩掛け、インドネシア人特有の「カイン・クパラ」といわれる帽子などとにかく日常で布を使う。その他にも色々あるが、その日常使われる布にバティック染色が使われている。

歴史はそう古いわけではなく18世紀頃から作られているようで、王侯貴族の布から庶民へ広がっていったインドネシアの文化である。その柄はスマトラ島の各地で違っており、柄を見るだけでどこの産地かわかるものである。その種類も多彩で東インド会社の影響によるヨーロッパ、インドなどからの影響や一般庶民が使用するようになってからは、イスラムやヒンズー、仏教といった宗教装飾などの影響を受けた柄が現代のバティックを作り上げていった。もちろん日本の更紗の影響も受けている。

染色方法はひと言で言えばロウケツ染めである。手描きはチャンティンという溶けた蝋をいれる細長い金属製の容器に先の細い管が付いている道具をつかうのだが、繊細な表現が出来るがロウを伏せるだけで数ヶ月も掛かる。また型ロウ染めはチャップという判のような金型を使いロウを伏せていくのだが、これもサラの生地に何の目安もなくこの型を押していき、そのつなぎ目がキチンと合うように押すのがバティック職人の腕の見せ所である。これもまた型とはいえ非常に難しい技法である。そして手描きであるチャンティンと型染めであるチャップとの併用である「コンビナシ」もある。

現代のバティックはもっと簡素化されており、輸出もので非常に多いのは
「サブロナン」といわれるプリントだ。手軽で輸出先でも安価に取引され一般的になっている。

染料はスマトラ島の各地によって違うのだが、藍、茜、ソガ染とわれる樹皮を使用したものと色々ある。いまは化学染料が多くなったが、地方によっては天然染料を今でも使用している。工場では井戸水をつかうため割とキレイ目に染め上がるが、原住民が作るバティックは川であらうため、基本泥まじりのにごった水で洗われたバティックは泥染のように染料と軽い反応を起こし沈んだ色目になる。これがまたなんとも味わい深い。

こうして私が初めて見た染色は日本の伝統技法ではなく、インドネシアという他国の染色文化であったため、逆に日本文化の技術力の高さにあとで気付くことになったのは非常に幸運であった。

父いわく、世界の染色の中で宗教文化の影響をうけている数少ない染色であるという。仏教、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教、など絵画、建築において宗教文化の影響は多大であるが、染色の文化は権力文化と関わりが深く、宗教文化による染色の発展は史上ではほとんど見られないのだそうだ。これは本当に意外である。

素人考えでは更紗と曼荼羅の関連などを考えがちだが、その実関連はほとんどない。更紗は中東のメソポタミア文明の流れから発祥した柄がアジアに伝わったのが更紗といわれ、ヨーロッパに伝わったのがペーズリーとなったと言われている。その後更紗は日本に伝わりアレンジされ名物裂などにみられる金襴系の柄になったり、そのまま和更紗のような草花文様となるが、そこには宗教的なものは見られない。

逆にバティックはイスラムに見られる祈りの儀式の敷物に使用されたり、モスクの柄から影響を受けたりと比較的新しい文化であるからこその宗教文化の影響が柄に出ているものと推測する。私は学者ではないのであくまで憶測であるが。


そんな初めて見た染色の思い出を仁平氏の作品に垣間みたからこその懐古的印象もあるかと思うが、そう考えると仁平氏は無宗教でありながら思想的な宗教観を持っているが、その影響は作品には見られない。見られないのではなく私だけが感じられないのかもしれないが。

芸術が宗教に影響されるのは一見芸術の発展を促しそうだが、ラファエロやダビンチの絵画にみられるような思想的支配の観はどうしても拭えない。恐らく当時の画家は食べるために無理矢理自分の思想とは別に描いていたのだろう。
しかし仁平氏の作品にそれを感じないということは、宗教観はもっていても作品はまったく別次元にあるのだと思う。それが彼の作品に「無」を感じる部分であろう。

バティックも基本は王侯貴族の装飾から始まっている。宗教文化の影響は庶民に広がってからだ。他宗教国家でありながら1枚の布にそれらが凝縮して表現されている素晴らしさは他と比較出来ない美しさがある。

私が初めて見た染色は父によってもたらされた比較の原点にもなっている。


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