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2010年5月

2010年5月31日 (月)

入口の自由を奪うな

昨日は5/29であり、そのゴロから「呉服の日」と呼ばれているのはご存知であろうか?ツイッターでは着物ファン達が1日着物をみんなで着ようと呼びかけていた。家で着ても良し、出かけても良し、各自が自由気ままに呉服の日を楽しんだようである。

また本日5/30は第3回の「ぶらっと着物」が開催され、これまた沢山の着物ファンがツイッターやミクシーでの呼びかけで集まったようだ。

こういった着物を着るイベントが着物ファンによって各地で開催され、またそこにそれぞれの工夫のある着こなしを楽しみ、着物に親しみ、「きものを着る」という純粋な自分自身を楽しんでいる。これは本当に素晴らしいことである。

また、28日から本日まで、京都高島屋で学生とたんす屋がコラボしたリサイクル着物市が開催され、大学の着物サークル、きもの専門学校の学生達がコーディネイトコンペやファッションショー、カラー診断など、自分たちが着てみたいと思う着物をコーディネイトし、実際にお客様にPRするというイベントを開催していた。

これに関しては、着物をしっかりと学び、そして新鮮で斬新なスタイリング提案という観点からは、私達プロは非常に参考になるし、これからの着物スタイリングに大いに役立つものであると感じる。また、若者層への着物PRの1つの入口としては非常に良い機会であると感じている。

この話はツイッターでも話したのだが、先日このイベントが東京で開催されて、TBSの報道バラエティ番組にて特集された。参加した学生達も着物を着て出演し、各々の新鮮でファッショナブルなスタイリングを披露していた。そのコーディネイトも嫌み無く、奇抜でもなく、私のような正統派着物で育った人間でも自然に受け入れられるようなオシャレさであった。

ところが、ゲストコメンテーターとして礼法の専門家がいて、コメントを求められた時に「そういうのも奇抜でいいかもしれないですが、場を考えたきちんとした着方も勉強して欲しいですね」という何とも全く空気の読めないコメントをしていた。案の定視聴者からの苦情の電話もあったようだ。

私も着物ビジネスの講師として学校等での授業をしているが、学生達は、着物に関しては物凄いスキルを持っている。着付けに関しては、基礎をきちんと修得しているし、その実力はプロ並みだ。また、茶道や華道なども習っている人も多く、立ち振る舞いから何から非常に美しく礼儀正しい。また専門学校生はそれに増して、和裁技術や友禅、機織りなど着物に関するスキルはほとんど持っている人が多い。

着物に関する基礎やそれ以上の実力をきちんと身に付けた上での、自由なスタイリング提案なのである。だから、見る人が自然に受け入れられるような、またこれから着物を着たいと思っている人が、これなら着てみたいと思ってもらえるような、ある意味センスの良い、しかも筋の通ったコーディネイトなのである。

私はここで礼法自体を否定しているわけではない。礼法は着物の装いを通して着物の着付け技術だけでなく、和の奥深さを学びながら日本文化をとおして内面も磨いていくという立派な考え方であり、1つの「きもの道」である。私の父もかつて裝道きもの学院の山中理事長と親交を深め、全日本きものコンサルタント協会の理事も務めていたので、私も耳にタコが出来るくらい着物の基本を教えられていたくらいだ。

ただ、やはり着物は「着るもの」であり、「きもの道」と「ファッション」との両面を持っている。これは洋服でも同じだ。確かに場をわきまえることは、ファッションとしてのモラルであり必要なことであるが、そうでないのなら、それぞれの個性あるスタイリングを否定してはいけない。

着物への入口は様々だ。本来の基本的な着方自体を美しいと憧れて着物の世界へ入る人もいれば、アパレルチックなスタイリングに魅了されて着物の世界に飛び込む人もいる。または着物そのものの奥深さや作られる工程の素晴らしさがキッカケとなる人もいる。人それぞれに着物に惹かれる理由は違うのだ。だからこそ、その理由分の入口を我々は用意しなければいけないと常々思っている。

もちろん本来の着物の基本は知らないより知っていた方が安心だ。また一般的に正しいといわれている着付け自体も知っていた方が確かに良いかもしれない。その上で、TPOといわれているモラルは理解しておいた方が良いかもしれない。

ただし、絶対にこれからしてはいけないのは「入口の自由を奪う」ことである。全員が基本から入れという号令をかけたら、着物普及はかなり厳しいものになるだろう。自分なりのおしゃれをしている人に向かって「あなたの着方はオカシイ」ということを言うならば、着物はファッションで無くなる。この時代に着方の自由を否定されたなら、着物という制服になってしまう。

何故なら制服は「規制服」であるからだ。正しい着方以外はしてはいけない服だからである。まさに入口は1つなのである。

そういった意味でも着物は決して制服ではない。だから、着方に正解はないと思って頂きたい。そしてそれがこれから着物を着てみたいと思っている人への入口を沢山広げることに繋がるのである。

礼節を重んじる日本であるからこそ、多少は場をわきまえることは必要だ。ただしそれは個々のモラルに任せるしか無い。わからなければ、家庭や学校で教えるべきだとも思う。

ただし、着るものから自由を絶対に奪ってはいけない。

そう、特に着物という入口の自由は絶対に奪ってはいけないのだ。


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2010年5月29日 (土)

自分のパンフレット

本日、アップル社からipadが発売になった。丁度ワイドショーの時間に販売開始とあって、テレビでもその模様が映し出されていた。銀座のアップルストアに開店前にならんだ行列はなんと1200人!先頭の男性はなんと2日も前から並んでいたという。まさにいち早く欲しいという人たちの行列だ。

ツイッターのTL上でも、オンライン予約していた方々が宅急便の到着予定を調べて今か今かと待ちわびているツイートがあり、ひと昔前に体験した新車の納車を待ちわびるような微笑ましい感覚をおぼえた。

私もipadはとても欲しいのだが、私のいる業界ではビジネスユースとしてのipad活用がなかなか見えてこない。本来はプレゼンに非常に有効だとは思うのだが、今の私は学校での講師であったり、セミナーの講師であったり、小売店のコンサルティングであったりとどう使えば良いのかが明確でないため、購入を躊躇している状況だ。

とはいえ、新しいもの好きでアップル関連が好きな私としてはきっとそのうちにあのタブレットを持って、ビジネスとは無縁の使い方をしているのではないかと自分自身を想像したりしている。その証拠モバイルPC用にwimaxを使っているが、ipadのWi-Fi版を購入する魂胆でちゃっかりモバイルルーターを買っているからだ。今はiphoneで利用しているが本来の目的はそうではないのだ。

以前、ビジネスパートナーでもある株式会社凛の柳田社長にipadはネットショップにとってどういう効果があるかを訪ねたことがあった。その回答は今までインターネットで買い物をしたことが無いような人が、簡単で尚かつ商品が見易いipadを使って気軽にショッピング出来るようになるだろうとのことだった。なるほど、それは言えているかもしれない。

まず動作が非常に速くストレスが無い。ネットショップでもHPでも動作が遅かったり、サイトの表示が重かったりするとストレスを感じ、閲覧を途中でやめてしまったりする。ただipadは全くストレスが無い。また画面が大きく商品が非常にキレイに見えるし、タッチパネルであるため難しい操作もほとんどない。

これならば、通常のPCよりも早く、わかり易く、簡単にどのサイトも見られるならば柳田社長がいうように、利用者はかなり増えるかもしれない。ある意味呉服のネットショップはかなりしっかりと商品を見るユーザーが多いから、特にこのipadは有効かもしれない。

また、ショップだけでなく各企業や個人のHPやブログなども同じようにストレス無く見れらるため、閲覧者が増えるだろう。それこそ、名刺交換しながらお互いに各自のHPを見ながら、コミュニケーションを図ったり、会社の詳細を調べることによって、商談のためによりスピーディに確実な情報収集がその場出来るようになるだろう。そう考えると、プライベートのエンターテイメント性もさることながら、ビジネスコミュニケーションツールとしても最強のデバイスになることは確実だ。

そしてHPといえば、遂に私も自分の会社のHPを開設した。起業してからというもの、早く作らなければと思っていたが、最初はなんの実績も無い上にHPだけ立派にあっても意味が無いのではと思っていた関係上、なかなか着手出来なかったという理由があった。

しかしながらいざ出来上がってみると、これまた嬉しいものである。個人事業主であるが、自分の会社の社屋が出来上がったような嬉しい感覚である。これは自分のHPを持っている人なら、そして個人でも法人でも経営者ならそういう経験があるかもしれない。

私のような仕事は、過去の実績がモノを言う。ところが起業したばかりだとコンサルタントしての実績が無いため非常に苦労する。企業に属していた頃の過去の実績はあり、様々なノウハウと人脈はあっても、やはりコンサルタントとしての経験を見られるのがこの仕事の宿命だ。物販のような初期投資が掛からない分、クライアントの見る目は恐ろしいほどシビアなのである。

だから今私が顧問契約をしてもらっていたり、業務提携や講師などをさせてもらっているクライアントは全て、私の人と成りを信頼して頂き、また私の考え方に賛同して頂いた企業がほとんどなのである。それこそ全部といってもいい。
だからこそ、私は誠心誠意その企業に尽くし、結果という利益をもたらさなければいけないのである。これがプロフェッショナルとしての絶対的な使命だ。

またそういう企業があったからこそ、HPが作れ、より私自身の社会的信頼度を上げるための1つの有効手段が作れたのである。だから、今回の私の会社のHP開設は今のクライアントの方々のお陰なのである。これに関しては本当に有り難いことであり、心から感謝している。

今、HPを開設できて思うことは、自社のHPは自分のパンフレットみたいな物だと感じる。自社はどういう会社なのか?自分はどういう人間なのか?どんな内容の仕事をしているのか?そしてどんな実績をこれまで挙げてきたのか?これをしっかりとPRしてくれる自分パンフレットなのである。

その証拠に、これらを初対面時に名刺交換しながら説明するのは、言い方によっては伝わらず、逆に自意識過剰な人間に思われたりとなかなか説明が難しいものだ。しかしHPページなら相手の好きな時に、じっくりと見てもらえる。また仕事の内容やブログ等によってハード面もソフト面も自分の考えていることを伝えることが出来る。

その受け取り方が良いにしろ、悪いにしろ、何かが伝わる。これはビジネスとしては絶対的に有効な武器である。特に今回は企業ブランディングの基本的な方法である統一感に拘った。ブログ、企業ロゴ、社名の字体、名刺デザインとの連動、シンプルで見易いレイアウトなどである。これによって見る側に企業イメージと信頼感が伝わり易くなるのである。

今後HPを見て相談や仕事の依頼がくるとすれば、このHP開設は成功したのだと感じる。自分の会社と自分を知ってもらうための大切な武器として、今後とも大切にしていきたい。

やはり私にとって自社のHPは自分のパンフレットである


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2010年5月26日 (水)

浴衣の歴史と長板中形染めの魅力

いよいよ呉服店やインターネットショップなどで浴衣を多く見かけるようになってきた。デザイナーもの、タレントキャラクターもの、ブランドものなどのカラフルでアパレル的なものから、注染、絞りといったベーシックなものまで沢山の浴衣がこれからどんどん店先やサイトの画面に登場してくることであろう。

私も浴衣担当バイヤーを務めたこともあるが、商品企画は様々な要素やターゲットなどを考えて行う。そしてまた大手チェーンに在籍していたため、その量も半端ではないほどであった。ひと夏で扱う浴衣の量は10万点を超えるのである。それを各地域の店の傾向に合わせ、また現場の意見も聞きながら分配していく。また途中で商品の動きに合わせて店間で移動させて効率よく販売出来るようにデータ分析、商品調達、出荷、などに躍起になっていたことを思い出す。

さてご存知通り浴衣は湯帷子(ゆかたびら)から由来する。「浴衣」という字から連想すると湯上がりに着るものとなるが、それは江戸時代になってからの話で、浴衣のルーツとなった「湯帷子」はなんと平安時代にまでさかのぼる。

仏教が日本に伝来して多くの寺院に「浴堂」という今でいう風呂場があった。この浴堂では肌を見せてはいけないという戒律があり、必ず単衣の衣をまとって入浴した。これが湯帷子なのだが、別名「明衣」、「今衣」とも呼ばれていたそうだ。また誤解のないように言っておくが、当時の入浴は「蒸し風呂」である。湯帷子はそのための専用のものであった。

その後、湯帷子は「身拭(みぬぐい)」という呼ばれ方をしていくのだが、当時の衣生活は身分の高い人は絹で一般庶民は麻という時代である。湯上がりに優雅に「身拭」を纏えるのはごく一部の人間でしかなかった。しかしながら、この「身拭」が庶民に広まったのは江戸中期以降に出現した「町風呂」によってのことだ。これによって湯上がりに身拭を着る文化、すなわち浴衣を着る文化が大きく広まっていったのである。浮世絵に見る美人の湯上がりの身拭姿は当時の流行にもなったほどだ。

その後、浴衣が夏の衣服となったのは江戸の後期のことであるが、あくまでも家着であり、浴衣を外着にする人は遊び人くらいなものであったそうだ。それは明治中期まで続いた。浴衣が外着の仲間入りをしたのは明治中期以降である。

そういった浴衣の歴史も非常に興味深いものであるが、江戸の染色文化として今も辛うじて残っている、浴衣を中心とした伝統的染色技法が「長板染め」と言われるものである。

長板染めの正式名称は「長板中形染め」である。
長板という意味は、染めるために使用する台の板の長さが約6mほどもあることからそういわれた。中形は柄の大きさである。江戸時代の柄は「大紋」「中形」「小紋」分かれていた。読者の皆さんにおなじみなのは小紋である。そもそも小紋は裃の柄であり、それぞれの藩によって違っており、すぐどこの大名かがその柄でわかるようになっていた。いわゆる江戸小紋である。中形はそれよりも少し大きめのものである。

長板中形染めは6mもある板場とよばれる台に生地を敷き、その上に和紙を重ね合わせて柿渋や膠で固めて柄を彫った型紙をあて、防染糊をヘラでおいていく。この糊置きはなんと表裏を柄がズレないように置いていくために高度な技術が必要となる。また、表の柄を見易くするため表の糊には赤い染料を混ぜることが多い。

また、総柄であるため型をずらして進んでいくのだが(これを「型をおくる」という)その継ぎ目がピタリと合うようにしていかなければならない。これも想像がつかないほどの高度な技術である。

型紙によって表裏に糊付された生地を一度水に浸して生地をキレイに整え、藍染めをしていく。そして最後に水洗いをして糊を落とすと何とも言えないため息が出るほどの美しい浴衣が出来上がるのである。

そもそも長板染めは武士や上流階級の正装の衣服として作られたものであり、絹物が基本であった。しかし、江戸時代になんどかあった奢侈禁止令により絹の着用が禁じられ、木綿地に染めを施すようになった。これが後に庶民に広がることとなり、それが明治中期以降夏の外着のものとなり、外着としての浴衣になって今日に至るのである。

この長板中形染めは東京染小紋として経産省指定の伝統的工芸品に指定されているが、生産は東京の竺仙と三勝という2つの代表するメーカーがごくわずかに生産しているのみといっても過言ではない。

またかつてはこの長板染めには人間国宝が存在した。それが清水幸太郎氏である。清水さんは故人であるが、明治30年生まれで高等尋常小学校卒業後染色の道に入り、明治、大正、昭和と長板染めを染め続け、重要無形文化財技術保持者、いわゆる俗名人間国宝に指定された偉大な方である。いまでも清水幸太郎氏が使った型紙が残っており、それで染めた浴衣もごくわずかに存在する。

またこの清水幸太郎氏の息子さんである清水敬三郎氏が日本橋人形町の三勝株式会社の専務として、長板染めの指導、普及にご尽力されている。私も何度かお目にかかりご指導頂いた。

長板染めの浴衣は今でも百貨店や高級呉服店で手に入れることは出来るが、やはり浴衣として考えると非常に高価であり中々手に入れるとなると躊躇するかもしれないが、いつかは着てみたい逸品である。

イメージとしては完全に夏着物として着るのも良いが、博多紗献上帯に本麻の長襦袢を下衣にし、素足に白木の下駄などで着るとより一層その美しさが映え、着る人もそれを見る人も魅了する。またその出で立ちで街を歩けば絵になるし、家着として半幅帯で控えめな文庫結びや貝の口などで結ぶと和の夏を満喫出来ることは間違いない。

カラフルな浴衣は着用する年齢層を広め、浴衣ブームを作り出した現代の浴衣の恩人のようなものではあるが、伝統文化として細々と今でも続いている長板中形染めはやはり日本の夏をそして夏の美しい女性を作り上げる素晴らしい伝統的工芸品である。


読者の皆さんは是非ともいつかは長板中形染めの浴衣に袖を通してもらいたいと強く思う。

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2010年5月25日 (火)

まずは正しく売ることに尽きる

5月も下旬に入り、梅雨入り前のいつもの気候になってきた。4月から5月の初旬にかけては異常ともいえる肌寒さが続き、衣料を含め、季節商品を扱う業態は春から大苦戦した。ここから是非とも巻き返しを図ってもらいたいものだ。

ちなみに呉服業界は今、催事などの展示販売会が各地で行われている。毎年恒例のものや、5月本決算の会社は決算売り出しなどで大忙しだ。だが、話を聞くと売上自体はやはり芳しくないようだ。以前からブログで話している通り、催事偏重型の営業をし、店頭から新しいお客様を作ることを怠ることで、お買い上げ頂けるお客様がどんどん少なくなっていく。これが現状の大きな問題である。

そしてまた、呉服の展示販売会というと過去の例からしてどうしてもお客様にとってはイメージの良くない言葉となってしまっている。「行けば買わされる」「入ったら出れない」「執拗にお勧めされる」そういったイメージはどうしてもこびり付いているのであろう。

非常に悲しいのは、様々なメディアによって1つ1つの事例が大きく誇張され、しかも呉服や宝石などの販売方法が「悪徳商法」の代名詞となっていることは、業界に携わる人間として非常に遺憾である。

「実際にそうじゃないか!」「私もそういう目に遭いました!」「私の知り合いが被害に遭ってます!」恐らくそういう声は多いと思う。確かに一部の心ない誤った売り方によって過去にそういう事例があったことも否定出来ない。また、それが、大きなチェーンなどの名の知れた企業であったりするので残念なことではある。

しかしながら、今呉服業界は「販売方法」として業界を挙げて正そうとしていることは確かである。特にほとんどの大手チェーンはコンプライアンス(法令遵守)に対しての厳しいガイドラインを作りそれを実行している。また、特定商取引法の改正や割販法の規制強化などにより、そういった誤解を招くような販売方法が出来なくなったことも大きい。


私はあえてここでデータをもって業界を弁護するが、消費者庁が先に出した特定商取引法違反による業務改善命令及び業務停止命令のデータを見ると、過去7年間ですべての業種でそれらが出されたのは合計701件。そのうち処分をうけた呉服関連企業は実に4社なのである。構成比にして0.6%だ。逆に最も多い業種は「浄水器販売」「健康食品」「リフォーム」である。

このデータから見ると呉服販売はイメージは悪くとも実質は改善されつつあるといっても過言ではないと思っている。ただし、1件の重みが半端ではないというのもこれまた事実である。金額的にも大きく、展示販売会自体の規模も大きい。勧誘方法も大々的だ。だからどうしても1つ1つが目立ってしまう。イメージが先行してしまうことは本当に残念だ。

ただし、そうはいってもまだまだこういうことに疎い企業もあることは否定出来ない。だからこそ呉服業界の人間とはいえ、早急に改めるようにこのブログを通して進言したい。

現在、改善の傾向にある背景には割賦販売、いわゆるクレジット販売の規制強化が挙げられる。お客様がクレジットを利用して購入した場合、その契約書のすべてにおいて1つでも書き漏れがあるとクレジット会社は受け付けない。また、お客様の購入意志が明確であることを証明するために、契約内容の電話での確認は24時間以降と決められている。

これによって、契約書は記入したけれどもやはり購入を取消したい、またはもう少し購入を考えたいなどとなった場合でも翌日確認時にその意向をクレジット会社に伝えることで契約を解除出来るのである。

またクーリングオフ制度の強化も販売の清浄化に一躍を担っている。クーリングオフ制度は多くの消費者が高い認識を持っていると思うが、購入日から8日間以内は無条件で契約解除が可能なのである。もともとは訪問販売法の中にあったものであるが、この法律が特定商取引法となりより強化されたのである。


クーリングオフはその名の通り「無条件での契約解除」であるから、どんな理由であれ受けなくてはならない。また、その申し出を引き止めては行けないのである。

これらの規制強化によって消費者の保護はより高いレベルとなっている。ただし、これらのことを店員も消費者もしっかりと認識する必要もあるのだ。逆にこれらを認識することによって、心証的に入りづらい呉服店でも安心してみることが出来る。「買わされる」ということは基本的に無いということだからである。販売する側は法に抵触することをしっかりと理解し、消費者側はどんな法によって守られているのかを知る必要がある。それによって安心して店や展示販売会を利用出来る他、無用な争いを避けられることになるからだ。

消費者の方々に是非とも理解して頂きたいのは、着物という商品は通常の商品と違い、自由に選び、購入を決められるようなものではないのだ。やはり、呉服店員のアドバイス、商品説明、コーディネイト、比較、そしてお勧めがなければなかなか決断出来ない買い物である。いわゆるコンサルティングセールスでなければなかなか難しいのである。これは高い安いはあまり関係ない。呉服店に勤めたりでもしなければなかなか理解できないかもしれないが、浴衣1つとってもお客様を放っておいたら高い確率で購入には至らないだろう。

試着をして、きちんと説明し、キチンとコーディネイトし、他の物ともきちんと比較をして、納得のいくお勧めがあって初めてお客様が満足してお買い上げ頂けるのである。

今呉服販売は清浄化している最中である。
だからイメージ先行で呉服販売自体がすべて非難の対象となり、消費者から敬遠されることになると呉服業界はどんどん萎んでいってしまう。

だからこそ今、「正しい販売」が必要であり、「消費者は保護されている」という認識を売り手、買い手がきちんと持つことでより清浄化していけると思う。

そして今はまず、呉服店が買えるお客様も買えないお客様もすべて大切にすることが大前提である。

とにかく「まず正しく売ること」に尽きる

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2010年5月23日 (日)

藍よりいでて

ツイッターでフォロワーさんより「藍」をテーマに取り上げて欲しいというリクエストを頂き、私は染色家ではないので職人達を前に非常に重圧がかかるが、染色技法などとは別の観点から私なりの「藍」をご紹介したいと思う。
どうか染色に関わる方達はブログを笑覧を頂きたい。

昨日日本の夏じたく展に足を運び、染織家の西川晴恵さんと色々お話をしてきた。西川さんはアロー糸やヘンプを扱い、草木を主とした天然染料を用いて糸を染色し機を織る。いわば原料から製品まですべて1人でなさる日本でも有数の染織家である。また西川さんは沖縄の喜如嘉にて芭蕉布の人間国宝平良敏子さんに師事し、琉球染色にも熟知している。そのため彼女の使用している藍は「琉球藍」である。

ひと口に藍といっても種類があり、基本的に藍草は蓼科であるが、インド藍は木藍ともよばれ豆科の低木である。琉球藍はキツネのマゴ科に属し、染料としての仕込みはほとんど同様でも種類が違う。

藍の染料の仕込みを「建」と表現するが、この藍建は多少のやり方の違いはあるものの、一般的にはスクモと呼ばれる藍草を積み重ね水をこまめにかけ約75日かけて醗酵させたものを藍瓶といわれるものに入れ、灰汁、ふすま(小麦を製粉するさいにできる糠)、石灰、水を加え、醗酵させる。これによって染料としての藍を生成するのである。藍は染料となるまでかなりの時間と労力を要し、こまめにその頃合いを見ていないと良い染料にはならない。ある意味生き物である。醗酵中の藍はポコポコと音をたて、職人達はその音を聞きながら藍がどういう状態であるかを常々気にかけるという大変な作業である。

そもそも藍は染料としてではなく、薬草として入ってきた。効能は解毒、虫くだし、害虫よけなどに使われていた。そのルーツは西暦238年頃というからちょうど邪馬台国の女王卑弥呼が魏との交流を行っている時代である。この時中国は三国時代。魏、呉、蜀のうち呉の国から蓼藍と呉藍(紅花)が伝わった。

染料として積極的に使われ出したのは飛鳥時代であり、当時階級制度に服色が定められたことと、この時代に中国や朝鮮からの帰化人によって染色技術がもたらされ急速に発展したといわれている。
その後、奈良、平安時代に日本独自の色として確立され、鎌倉時代から江戸時代に藍が木綿とともに実用化され、日本のすべての人に藍=日本を代表する色として定着していくのである。

ただ、明治時代に入り合成染料が入り藍染めを中心とした草木染めは一時衰退したが、第一次世界大戦により合成染料の輸入が困難になったため、大正時代に再び草木染が復活してくるのである。

このような歴史背景から、藍は原料も染色技術も輸入によってもたらされたが、日本独自の文化の発展から日本を代表する色として今でも根強く定着している。

藍はまた多様な色を醸し出す。これは主に媒染によっても違うし、藍の種類によっても同じ媒染で違う色が出る。また媒染しない場合もある。それによって色の使い分けしている。

代表的な色としては藍のみで染色しやや赤みのある青である縹色(はなだ)。黄味の加わった藍色。勝色ともよばれた濃紺である褐色(かちいろ)。その他藍が媒染によって作られる浅葱色、千草色、露草、空色などなど様々な色がこの藍から生まれる。

とはいえやはり藍=美しく深みのある青である。
「青は藍よりいでて藍より青し」という名言がある。中国の思想家「荀子(じゅんし)」の言葉だ。意味は弟子が師匠よりも優れていることの例えだが、本来の意味は人間は教育や努力によって元の才能以上の能力が引き出さされるということを指している。
これは青色を作るためには相当の努力をして藍草を染料にしなければいけない。そしてそういう努力をすれば藍色以上の美しい青色を作ることが出来るということなのである。

そういう意味では藍が醸し出す青色は本当に気持ちがよいほど美しい。そもそも天然染料による染色をみていると一番に感じることは、「自然の色は自然からしか生まれない」ということだ。確かに今の化学染料は恐ろしいまでに進化しており、基本的に出せない色はないとまで言われている。ただ、やはり自然の色に比べると心に入ってこない。少なくとも私はそう感じるのである。

これはあくまでも持論であり、決して決めつけてはいないが、化学染料で染められた色はもちろんキレイに感じるものはいくらでもある。しかし、それらは常に他の何かが加わった比較論的奇麗さと言うか、色そのものの美しさよりも何かを引き立てているまたは、何かが加わって引き立てられているという気がしてならない。

ところが、天然染料は色そのものに引き込まれていくような一種の安堵感のような安らぎを感じてしまう。これは今回このテーマを要望して頂いたフォロワーさんも感じていることだと思うが、化学染料によって鮮やかで奇麗な色は藍との比較で言えば「青色」はいくらでも出せる。しかしながら、正藍染100%の青と比べると言葉にできない何かが違って見える。そして引き込まれていく。この差が「心に入ってくる色」なのではないかと思う。

もちろんこれらは藍だけに限らず、茜や紅花、刈安、紫草などなどその他の天然染料、とくに草木染めは皆そういうことが言えるのではないかと感じる。

人間は色によって心理に影響がでることは科学的に実証されている。青を見た時の印象と赤を見た時の印象は全く違う。ということは化学染料で出された色を見ている現代の私達の色に対する心理と天然染料しかなかった時代の人たちの色に対する心理は根本的に違うのではないかと今更ながらこのブログテーマを書きながら再認識している。

伝統産業に関わる私達はこれからも「藍より青し」色を出す努力を絶やしてはいけないと強く思う。

このテーマを下さった編集者のTさん。お陰で今一度色を通して「基本」を考える良いキッカケになりました。有り難うございました。

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2010年5月21日 (金)

中国の技術力

私達が普段何気なく使っている、または身に付けている製品のほとんどが海外で生産されていると言っても良い。もちろん国産の物も沢山あるが、やはり海外産とは切っても切れない関係になっている。食料やその他製品、原料などに関して最近「自給率を上げよう」という声をよく聞く。それが現実的なのかそうでないのかは、その対象となるものによって違うと思うがどれも難しい問題のようだ。

着物に関しても同じことが言える。原料はもとより、染め、織、縫製に関しても中国生産は非常に多い。特に縫製に関しては中国を中心にベトナム、タイ、バングラディッシュ、北朝鮮とアジア全域で発注している。もちろんコスト対策であることは間違いない。ただし染めや織に関してはまだまだ中国が主流であり、アジアの他国も一部あるもののクォリティは圧倒的に中国が高い。

私も仕事で何度も中国の染めや織の現場を見ているが、非常にキレイな環境で、その工場で働く人たちは皆若い。そして仕事に対して非常に真面目だ。色々話すと日本の職人達と同様に自分が作った製品をどんな人がどんな風に着てくれるのだろうかという想いをもって、心のこもったモノ作りをしている人が圧倒的に多い。これはアパレル工場の行員さんとは全く違う点であり、中国といえどもその想いは日本と同じなのだと感心する。

着物ファンや呉服の専門家の中で、中国製の着物を受け入れない人たちはまだまだ沢山いる。

「日本の伝統文化である着物を外国で作らせるなんて」
「きもののことを知らない人が作ったものなんて」
「中国=安価な粗悪品」

着物に関してこの感覚はまだまだ根強く浸透している。これは「着物」というイメージと価格が非常に関係している。「着物=日本の文化を外国で作る違和感」とそれでいて「何十万もの価格なのに中国で作っているという違和感」である。逆に洋服ならば中国製という表記は当たり前のように納得しているし、生産地についての説明などしなくても表記してあれば苦情などはほとんどない。これは呉服にとって難しい点でもある。

ただ、皆さんにわかって欲しいのは、呉服の中国生産には2つの目的があるということである。1つは「低コスト生産のため」2つめは「日本では出来なくなったため」ということである。

1つめの「低コスト生産」は皆さんのご想像の通りである。日本でも十分出来るものでも、国内生産ではそのコストが大きくなり消費者の手元に届く価格は、どんな流通経路を辿ったとしても手の出し難い価格となる。消費者が手の届く価格設定を実現し、キチンとした利益を確保するためには中国を中心とした外国生産に頼らざるを得なくなる。

2つめは「日本では出来なくなってしまった技術」を技術力の高い中国で生産するということである。この一例が手織である。特に綴れ織やすくい織などの高等技術はもともと中国のお家芸であり、もともと日本は中国から輸入した技術だ。これに関しては、日本から技術者が指導し、製品を織れるようになるまで数年を掛けて育てていく。しかもその技術者が10代〜20代と若く、目も耳も良いため、非常に上質なものが作れる。もちろん日本で言う経験は大切であるが、織物は目の良さ、耳の良さが非常に大切な技術でもあるのだ。

この2つの目的は非常に明確である。低コスト生産が目的で作ったものは、やはり日本製と比べて品質差がある。しかしながら毎日それを使う人ならまだしも、そう頻繁に着ることのない人にとってはさほど苦にならないと感じる。使用頻度が多いのであれば、コストパフォーマンス的にはまだまだ国産品の方が高いのではと感じる。

一方、日本では出来なくなった技術が目的で作られた物は、今では非常にハイレベルなものが多い。よく考えればもともと呉服のほとんどの技術は中国から伝わってきたものであり、今でも同様の技術は盛んに行われている。それが呉服かその他のものかの違いであると考えるべきである。


以前、北京の故宮博物院に行った時に西太后が作らせたといわれる象牙の織物を見た時にその恐ろしいまでの中国人の技術力の高さに驚愕したことがある。しかもその織物は丸巻きになっていた。ということはあの固い象牙を気が遠くなるほどの作業で繊維状にし、織り込んでいったと考える。その他、毯通、錦、綴、緞子など絹織物の技術はいまでも多く存在している。また特に刺繍などは糸にあらかじめ強い撚りをかけておくのでより精巧でかつ毛羽立ちの少ない美しい刺繍ができる。

そういったことから中国の手仕事の技術力の高さは世界でもトップクラスであるといえる。

有名な話で、中国でHONDA(ヤマハかもしれないが)のバイクのコピーを作る工場があり迷惑していたのだが、その技術力の高さを逆手にとり、なんとその工場をすべて買い取って正規工場にしてしまったという話もあるくらいだ。

もちろん昔からいわれているコピー商品や知的財産に対しての意識の低さなど無秩序な部分があり、世界常識から逸脱している部分があまりにも目立つので悪いイメージがどうしても先に立ってしまう。だから我々日本人はこと伝統産業においての中国産には心証が悪いかもしれない。
その証拠にイタリア製の生地で組織上はなんの値打ちもない帯が高値で受け入れられる現実もある。これもまたイメージである。

だからこそ呉服において必ずしも中国産=粗悪品ではないということだけ、このブログの読者は理解して頂きたい。すでに安価な大量生産品は呉服市場の縮小により、中国でもどんどん撤退しているだけにそういうものの未来は既に無い。

確かに安価な低品質の物も存在する。その見極めは消費者にとって難しい。表示が不明確な場合は呉服店やネットショップに問い合わせした方が安心だ。
しかし、是非とも先入観だけで判断しないで欲しい。

中国の手工程の技術力の高さを消費者視点でPRしていく必要が絶対にあると個人的には強く思う。


日本ではどうしても残せなくなったものを中国で日本の指導によって維持、発展させる。
日本人にとっては非常に残念なことかもしれないが、これも広い意味でのこれからの新しい伝統工芸保護の形ではないだろうか。

今日のブログはかなり賛否両論となることは覚悟の上だが、あえて提唱したい。

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2010年5月20日 (木)

着物を見る目と着物への入口

先週の大河ドラマ「龍馬伝」のなかで、坂本龍馬が投獄された平井収二郎のことを思い、勝麟太郎に相談したシーンが印象的だった。龍馬は土佐勤王党の武市半平太や平井収二郎は土佐藩のことを思って行動したのに結末が罪人扱いはおかしいと勝に訴えるが、勝は「モノの見方は右から見るのと左から見るのとでは見方が違うことがある」と龍馬に説く。納得しきれないまま勝に頼まれて福井藩主松平春嶽に1000両の融資を依頼、その時に会った横井小楠にも同様のことを言われる。

ツイッターでも時折そういう意見の交換、またはぶつかり合いがよくある。当然様々なものの見方や考え方があり、正解はない。より持論に自信や自己の納得度が高ければその話題については物別れに終わることもあり、逆に、違う考え方として理解できると互いが共感できる。それによって新たな考え方が広がっていく。

モノの見方というのは本当に難しくて面白い。心理学ともいえるが、やはり哲学の方が近いのかもしれない。

伝統産業の復興や保護に関してもやはり見方は千差万別だ。こと着物に関しては、非常に多くの考え方が飛び交う。私も仕事柄着物に関しての問題意識は常々考えているが、特に消費者の意見は貴重であり、わからないがゆえの願望が新しい道筋を付けてくれる場合がある。

着物というモノの見方は大きく分けて2つ存在する。「伝統文化推進派」と「ファッション推進派」である。別にこの2つの考え方が対立している訳ではない。むしろ共感し合っている部分は沢山ある。そしてどちらも正解も不正解もない。ただし両者の根本的な違いは「きもの道」であるか「Playきもの」であるかというところかもしれない。

「伝統文化推進派」の考えを持っている人はそれはよく勉強している。着物自体の歴史的背景から各産地のこと、生産工程から呉服流通構造まで知識として持っている。「好きこそ物の上手なれ」ではないが、その知識には毎回関心させられる。

逆に「ファッション推進派」は発想が自由であり、着物の着方も独自の工夫を凝らしている。またそうそう難しい知識などはあまり関係なく、まずは着物を着ることが何よりも楽しいという、とにかく自由で遊び心がいっぱいの着物ファンである。

それぞれのモノの見方があってとても面白い。
たとえば私の体験談からいうと、絞りの浴衣があるとする。普通に考えると絞り浴衣に半幅か、博多紗献上の八寸帯、絽の帯揚げに、夏三分紐に透明感のあるトンボ玉などの帯留めなどが、浴衣らしいコーディネイトだ。年齢層からいったら30〜40代。女性の美しさが際立つ年代の着方である。

ところが、10代後半〜20代の若年層にもこの絞り浴衣は「かわいい」アイテムとしてブレイクした。その着方は、絞り浴衣、かわいい兵児帯、麻の長襦袢、衿にはレースの付いた重ね衿、帯にはかわいい飾り紐、足下はパンプスインのようなレースの足袋に、かわいい鼻緒の下駄。こういうコーディネイトをすると同じ絞りの浴衣でも全く違ったものになる。

こういう着方を「奇抜で邪道」とみるか、「新しくてかわいい」とみるかはやはり「見方」で変わってくるのだろう。

しかしながら今の着物振興にとって急務なのは、それぞれに色々な嗜好をもつ着物ファンの入口を沢山作ってあげることである。例えば、産地ブランドなる「○○紬」「○○絣」などの伝統文化を楽しむファン向けの入口やアパレルのトレンドを取り入れたファッショナブルな着物としての入口、ブランドやトレンドに拘らない自分なりのコーディネイトを工夫して楽しむ人たちの入口などいろいろな入口を作ることが大切だ。そしてその入口が多ければ多いほど着物ファンの裾野は広がっていく。

きものの見方はその人の価値観によって大きく変わってくる。しかし、どんな着方であれ、どんな着物であれ、着物を着て楽しむ心はどんな入口から入ろうと変わらない。それが着物振興にとってそれが一番大切なことなのである。

あなたの着物の見方は間違いではない。しかし他の違った見方も間違いではないことを理解して欲しい。そしてこれから着物を着たいと思っている人たちに沢山の入口を作って欲しい。

その先に必ず着物の未来は存在する。

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2010年5月18日 (火)

輸入に頼る生糸

日本の生糸は多分に漏れず、そのほとんどが輸入に頼っていることはいうまでもない。国産生糸に関してはついにその生産量が未発表となるほど落ち込んでしまった。そして輸入相手国はもちろん中国である。ついでベトナム、ブラジルなどである。日本ではまだまだ絹をありがたがる風潮があるが、残念ながらその有り難いと感じる絹糸は海外のものである。

そう考えると、まだまだ絹素材シェア率の高い「着物」は中国やベトナムやブラジルなくしては語れないという裏事情があり、それを初めて知るきものファンの方々は複雑な思いを抱くのではないかと思う。

日本は高温多湿という養蚕に非常に適した風土であり、かつては上質な生糸を大量に生産してきた。ところが、ライフスタイルの変化による和装の衰退や化合繊の大幅な進化による使用素材の変化が日本の生糸需要の大きな減少を招いた。

昭和51年当時は養蚕農家22万戸あり、製糸工場の数も119件もあったが、昨年の平成21年のデータでは養蚕農家は960戸。製糸工場においては何と2件にまでなってしまった。ということは、養蚕農家が作った繭は、近くに製糸工場がないため、高い配送料をかけて遠くの製糸工場に納めるしかないのである。ちなみに製糸工場が2件といっても、実際にそのほとんどが群馬の碓氷製糸工場である。

この碓氷製糸工場は碓氷、安中地区の養蚕農家約400件が共同で出資している碓氷製糸農業協同組合が運営している。だから、ここの工場長は「組合長」と呼ばれるのだ。

私も何回か勉強のために行っているが、群馬県と長野県の境にある碓氷峠の麓にあり、四方を山に囲まれた自然豊かな場所にある。非常に大きな工場であり、ゆっくりであるが流れ作業のように効率の良いラインで製糸を行っている。やはりそれは日本らしく世界屈指の技術力であり、製糸された糸は本当に上質で美しいものである。


いまでも全国13県から年間繭230トンの繭が運ばれ製糸され、45000kgもの糸がつくられ、そのブランド名も群馬200、新小石丸、あけぼの、群馬黄金といったもので、それぞれの特徴にあった製品に使用されている。しかもそのほとんどが着物以外のものに使われているということであり、これまたなんとも寂しい限りである。

しかももっと寂しいのは、日本の養蚕農家は平均70歳以上が従事しており、後継者もいないことから、あと五年もしたら日本の養蚕は完全になくなり、この碓氷製糸工場も無くなるのではないかといわれている。

そして、ここへ来てその頼みの輸入生糸が大きく値を上げてきている。4年前の2006年も中国の生産量と日本への割当量の大幅減が高騰を招き、呉服業界は大きな影響を受けた。当時裏物担当バイヤーだった私は、会社とも相談し泣く泣く値上げに踏み切った経験がある。今回はそれを彷彿させるどころか、それ以上の上げ巾となっており、流通在庫がまだあるものの、これから作るものに関して値上げは必至と思われる。

また、逆に糸商は稼ぐチャンスでもあり、高値で売るために各方面への供給をストップし、在庫をプールしているという状況であると聞く。これは糸商なりのビジネスであり相場観であるがゆえに、批判するわけにはいかないが、これによって生産者の原料仕入れの資金を圧迫し、悪循環を招く原因となる。

そして、こういうときに一番影響が出るのが、裏地である。裏地はほとんど染めなどの加工がない分、コストコントロールができないため、原料費コストがダイレクトに影響してくるのだ。それによってじわじわと全体のコストを圧迫する。白生地なども同様だ。

こういった例はなにも呉服業界だけではなく、石油製品などではよく見られることだが、なにしろ需要の絶対母数が呉服業界とは雲泥の差である。値上がりしたとはいえども生活必需品であったりすれば、致し方なくても売れる。呉服はそうはいかない。それにただでも市場が冷えきっている中で原料高による値上げは致命的である。

日本独自の文化でありながら、為替や先物取引の影響を受けるという何とも複雑な現状ではあるが、国産生糸には残念ながら未来はないことを考えるとこの状況を受け入れざるを得ない。

島国日本は先進技術の普及も大切だが、せめて伝統技術だけは国レベルでの普及と維持を考えてもらいたいものである。


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2010年5月15日 (土)

呉服業界の気配

今週も面白いくらい忙しい日々であった。
火曜日は愛媛県の新居浜、水曜、木曜は京都でコンサルティング業務、社内セミナー講師、金曜日は東京でセミナー講師、京都モール打合せ、ネットショップ起業希望者の打合せなどの3件。本日もうちくい展訪問、その他打合せなどなど、そしてまた月曜日は京都で会議。めまぐるしく様々な予定が入りブログも更新する体力が残っていなかった。

もちろん仕事であるし、忙しいのが大好きな性分であるため、体力的な疲労は感じるもののモチベーションは常に高い。自分が好きな仕事をしているという時はきっと脳から大きな幸福感を感じるような成分が分泌されているのだと改めて感じる次第である。

業界各社を回ってみたり、会議やセミナーの講師をして、その社員さんと沢山の意見交換をしていると色々なことが浮き彫りになってくるし、いわゆる現実問題が見えてきて非常に興味深い。しかしながら、共通して言えることはこの状況をなんとか打破したいという思いであるということは間違いない。

しかしながらここへ来て、気配を感じるようになった。

それは何かというと、厳しい現状を踏まえつつもこれから先どうあるべきかを考える企業ととにかく今をどうにかしないと生き延びられないから、今年、今月をどうするかという企業とに分かれてきているということだ。

どちらも間違いではないし、正否の問題ではない。市場縮小のなかでの企業存続はどういう選択をするにしろ、その企業の経営陣が現状を踏まえた上で決定した経営方針であるからである。それを部外者がどうこういう問題ではない。ただし、厳しいながらも社員が元気になる、あるいは意欲的になるのは、これから先どうあるべきかという「長期展望」を見据えた経営方針を打ち出している企業である。

私の仕事は何度も申し上げている通り、きものビジネスコンサルタントである。小売、卸業、メーカー、その関連企業を問わずに経営戦略や営業戦略、社員教育から営業支援など必要とされる仕事を請け負う。その中で私が一番訴えていることは「企業の長期ビジョンの明確化」である。今後どうしていきたいのか?或はどうすべきなのか?という部分をビジネスモデルとしてのビジョンを状況を踏まえた上で提案し、それに共感してもらうことで顧問として取り組んでいく。

だから、今はそれどころではなく、目の前の数字が最も重要だという企業からは当然お声は掛からない。またそういう企業はいわゆる催事屋と呼ばれる、売上請負人的な人たちが単発で数字作りをしていく。それはそれでその会社の現状を踏まえた経営であるから間違いではない。

現在一番特徴的なのが卸業である。いわゆる問屋である。この業種の方向性は真っ二つに分かれている。
1つはとにかく効率の良い催事での数字作りに重点を置く「催事偏重型スタイル」

もう一方は小売店が永続することこそが問屋の存続であるという「小売と問屋の協業スタイル」である。

これについても以前のブログでお話ししたが、私の考え方は「小売と問屋の協業」こそが呉服業界の市場を維持した上で回復させるというものであり、その考え方がより普及することで幅広い商品が流れるようになる。幅広い商品が流れるようになれば生産が出来るようになる。そして川の水が流れ出すことにより、支払条件も改善に向かうという論理である。

これは問屋でなければならない。なぜなら、メーカーと問屋では流れる商品の絶対的物量が違うからである。ならば催事偏重型営業でも大きな物量が流れるではないかという意見もある。もちろんそうだ。しかし、そればかりだと小売店の顧客は枯渇し、いずれ存続出来なくなる。これではまったく意味がないどころか、衰退の一途を辿る。


私の持論としてこれからの呉服業界に必要なことは、市場売上規模3210億円のうちの約30%強に当たる小中規模の専門店の存続を第一考え、そのために、大きな販売ネットワークを持つ各卸業が小売と協業することによって、絶対的な物量を動かし、尚かつ新規顧客開拓及び顧客維持までもサポートするような役割を担うことである。

まだまだこの発想は、ほとんどの企業で「ただの理想論」としてしか今は思われていない。「そうはいっても」になってしまう。現状の小売店も問屋と協業なんて冗談じゃないというところがほとんどだろう。だから私も地道にアピールしていくしかないのだが。

しかしここへ来て、そういう経営方針でいってみようというところも出てきている。これは何かを変えなければいけないという強い危機感と5年先、10年先を見据えた長期ビジョンをも考えていることに他ならない。そういうところが出始めて来た事自体、呉服業界にほんの少しの変革意識の風が吹き始めたことを感じられる。これは今までにない良い兆候だ。

私も全面的にそういう企業とは取り組んでいくことになるが、形になるまでは確かに時間がかかるかもしれない。その問屋の社員に言われた言葉が心に響く。

「石崎さん。あなたの考えは今の業界の状況を考えるとアフリカのサバンナのど真ん中で靴を売るくらい難しいかもしれないが、もし本当にそれが出来たなら、我々は小売店に貢献出来る物凄い問屋になれるかもしれない。」

この言葉だけで、きっとなにかが変わるかもしれないという期待感が湧いてくるし、勇気づけられる。

こういう企業が出てきただけでも、何かがゆっくり動き始めているのかもしれない。

そういう気配を感じる1週間であった。


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2010年5月11日 (火)

きものメンテナンスビジネスの重要性

5月に入りやっと気温も上がってきた。
4月の天候不順でシーズン物の出鼻をくじかれ、アパレルも着物も夏物販売が出遅れたが、ここへ来て持ち直しているとのことだ。とはいえ、売上の良いところと悪いところがはっきりしており、当然悪いところが多い分、4月の衣料全体の売上は厳しいとの情報が入っている。


しかしながら5月に入りGWは晴天が続き、気温も上がったことから行楽地は大賑わい。観光地の収入も一時的に回復しているとのことであり、衣料自体もこのまま「鰻上り」とは言わないまでも、なんとか回復して欲しいものである。


そして梅雨に入れば高温多湿の日本の気候がきものに様々な形で襲いかかる。
昔の家屋は通気性もよく、日本の気候の特徴に合わせて作られていた。しかし、現在は戸建てにせよ、マンションなどの集合住宅にせよ「密閉型家屋」である。そうなると湿気の逃げ場がなく、今では虫喰い以上に「カビ」「黄変」などで着物を傷める可能性が高い。

また汗をかく時期は汗シミも頻繁に起きる。特に背中や帯び回りなどは沢山の汗を吸っている。一見乾いているよう見えても実は多くの汗を吸っている場合がほとんどで、放っておくとあとからカビや変色という形で着物が蝕まれていくのだ。


だからできれば、着物のメンテナンスは多少の出費とはいえども、後で大変な出費にならないよう、ケアに出しておくとよい。特に着物は畳んで仕舞うものだから尚更なのである。


実はこういう着物メンテナンス関連の要望が前にも増して、消費者からの要望が強くなっている。その理由はいくつかある。まずは絶対的にメンテナンスをしてくれる呉服店自体が少なくなっていること。ご時世ではあるが、非常に辛いことだ。特に地方の「街の呉服店」が大幅に減少傾向に有り、消費者が自分の着物をどこにメンテナンスに出したら良いかがわからない状態だ。


次に、リサイクル着物ブームで母親や祖母から譲り受けた着物を自分の寸法に仕立て直したり、長年しまっていた影響で汚れや湿気によるカビや黄変、裏地の取替などが近年非常に増えているという。


第三には着物ネットショップの普及により、メンテナンスは実店舗に依頼するケースが非常に増え、特にクリーニング店の着物受注が少しずつ増えているようである。最近はネットでも着物メンテナンスを扱うところは増えては来ているが、顔が見えない分、そのトラブル自体も非常に多いと聞く。特にネットの場合はカードの先払いによる決済であり、消費者はどんな汚れでも落ちると思い込んでいる場合が多く、やむを得ず落ちなかった場合に「約定違反」という認識を持ってしまうからだそうだ。そういう意味ではネット上の着物メンテナンスは非常にリスクを伴うため、まだまだ少数派だ。


とはいえ、呉服店にとって着物メンテナンスビジネスは、消費者視点から考えても非常に重要なメニューだと思う。また店頭営業や新規顧客の創造においても大きな有効手段であるため、私としても小売店コンサルティングをするときには必ず、どのくらいそれに取り組んでいるかを、商品をチェックする以上に着物メンテナンスメニューをチェックする。


着物メンテナンスのメニューは出来るだけあった方が良い。例えば、仕立てに関する「縫製メニュー」。あまり布を草履、バッグに有効利用する「残布加工メニュー」、京洗いやガード加工などの「洗いメニュー」、染み抜き、黄変落とし、汚れ除去、色ヤケ直しなどの「染色補正メニュー」、着物自体を他のインテリアなどにする「着物リフォームメニュー」、その他カケハギや柄足しなどの「修正メニュー」など着物には様々なメンテナンスメニューが存在する。


ところが現在ほとんどの呉服店が行っているのは「洗い」「ガード加工」「染み抜き」「仕立て直し」などでまとめてしまっている。もちろんお客様からの預かりものの管理はリスクを伴うし、それぞれの加工先も減ってきているため、メニューを増やしづらいというのも現状だ。また、収益率の問題も有り、それなら単価のとれる着物を苦労してでも1枚売った方が効率的だという考え方もある。それも一理ある。

ただ、ここで考えて欲しいのは、呉服の中で恐らく小物と同じくらいに顧客ニーズが高いのが着物メンテナンスである。また、直しに出すお客様は小物客以上に着物を着ているお客様だ。着物を仕舞うためにメンテナンスするという動機よりその着物を再び着るためにメンテナンスに出すお客様が圧倒的に多い訳で、着物に対してHotなお客様なのである。

特に地方の地域密着型営業になると、一番苦しむのが集客である。お得意様ならまだしも新しいお客様を増やすのは本当に容易ではない。だからこそ着物メンテナンスの充実は新しいお客様がその呉服店を利用するキッカケ作りとしての大きな武器になるのだ。また、それらを受けることによってお客様の相談に乗ったり、じっくりと話すことでコミュニケーションが生まれ、しっかり対応すれば信頼関係も生まれる。そうすれば、新商品が入った時やその店の一番の自慢の商品などを提案する機会も出来るだろう。


また呉服店側の視点で言えば、常に新鮮な品揃えをするにはコストが掛かる。また在庫リスクも生まれる。しかし着物メンテナンスはお客様の大切な着物をお預かりするという大きな責任はあるが、仕入れコストはほとんど掛からない。また在庫リスクもない。店頭商品としては非常に安全で有ると同時に、お客様から喜ばれるというサービス的店頭商品企画なのである。


着物メンテナンスメニューの構築は、新規顧客の創造、集客、お客様満足度の向上、客数増、売上増などに大いに役立つことがわかって頂けたかと思う。確かにそれを作り上げるためには加工先などの取引先を新たに開拓する必要が有るため、最初は非常に労力がいるが、今後とくに小規模小売店に関しては今以上に注力することで、必ずプラスに働いてくると確信している。


お客様とのWin-Winの関係を作れる着物メンテナンスビジネスへの取り組みは、集客や売上に苦しむ呉服店こそ真剣に取り組むべきと思う。

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2010年5月 9日 (日)

草木染めの時代変遷

最近の私のブログは着物ビジネスの話からは離れ、着物そのものについてのテーマが多くなってきている。仕事自体はもちろん、小売店や卸業のコンサルティングや学校などでの講義などビジネスに直結したものであるが、やはり父の血か、どうしても専門的な部分を再度確認したくなる。


またブログを読んで下さる皆さんが、なによりこういう内容を喜んで下さるので、できるだけ意識してこういうテーマを心掛けている。もちろん、着物業界の方はビジネス的な話もお望みかと思うが、ある程度の周期で内容を変えていこうと考えている。


ところで最近私は糸へん連合の友である染色作家仁平幸春氏、和裁士山本秀司氏、染織家西川晴恵氏、仁平氏のお弟子さんの凡ちゃん達とリアルでお付き合いすることで、自然が出す本来の美しい色というものを改めて再認識出来ている。なぜなら、バイヤー時代商品企画をして、配色指定などはしてきたものの、そのほとんどが化学染料であり、一部草木を使ったとしても、データ染色あるいは染め定着及びある一定の堅牢度を維持し、色落ちや色泣きによる苦情防止のためにはやむを得ない選択であった。


もちろんそれらは数を必要とする生産上、やむを得ないことで、彼らの草木染めの作品は一品一品時間を掛けてそういうことも計算した上で作るので、染色上不都合が有る訳ではないので、決して誤解しないで頂きたい。


ここへきて、本当の草木染めに拘り古代から伝わる染色法で染められたものを見る機会が改めて身近に出来たことで、染色の基本をもう一度勉強し直すいいキッカケになったのは言うまでもない。
そこで草木染(植物染)について簡単にご紹介したい。

草木染めの起源は定かではない。ただし、約5000年前にはエジプト人がナイル川畔に生い茂る藍草で染めていたという記録は残っている。日本でも縄文時代すでに黄土染や摺染め(草摺、葉摺)または貝紫などの染めが行われていたともいう

植物染料は繊維に染め定着させるために媒染剤を使う。媒染剤はタンニンなどの有機媒染剤と金属イオン(鉄、アルミ、銅、ニッケル、金などの金属)で構成された無機媒染剤などが使われる。同じ染料でもこの媒染剤によって発色が違ってくる。これを利用して様々な色を出すのだ。他にも天然材料である灰汁なども媒染剤の一種である。


よく調べると原始染色法では媒染は行われていなかったようだ。ただし、植物繊維を糸にする時に今でいう精練をするが、その精練をするための煮汁が灰汁だったため結果的に先媒染となって発色及び染め定着していたようである。


一番皆さんに解りやすくいえば大島紬の泥染だ。下染めにテーチ木染をし、そして泥染をして染め定着する。そのとき泥の中には多くの鉄分が含まれており、それが媒染剤となって大島紬の糸に定着し、茶褐色に発色するのだ。


ここで、日本の草木染めの変遷をわかり易く説明する。


*飛鳥時代
この時代に冠位制が敷かれ、服色に階級制度が出来た。ということは、この時代、中国や朝鮮からの帰化人によって染色の技術がもたらされ、急速に発達したと考えられる。


* 奈良時代
法隆寺献納宝物や正倉院宝物に見ると、染色技術は進歩完成の域に達し、植物染料で原色のようなはっきりとした色彩を求められた時代である。


* 平安時代
唐様式から日本独自様式へと移る時代で、日本独自の色、いわゆる「日本の色」が生まれ確立される。


* 鎌倉時代
藍が木綿と共に実用化される。

能・芸の発達→豪華・華麗な色相
侘び・寂びの思想→渋い色相の流行
これが江戸時代まで続いていく。


* 明治時代
合成染料の時代に入る。特に明治30年を境に変わっていく


* 大正時代
第一次世界大戦によってドイツ染料の輸入が途絶え、再び古代の植物染料研究がはじまる。

以上簡単に書いたが、日本の染色はこのような時代の流れを経てきたのである。


余談であるが、日本の代表的な植物染料である「藍」が伝わったのは、弥生時代である。238年、邪馬台国の女王卑弥呼が魏と交流を行うのだが、この頃に呉の国より薬草として「蓼藍」と「呉藍(紅花)」が伝わっている。そしてそれを栽培されたのは京都の九条と大阪の東成であったと記録が残っている。


藍草は解毒、虫下し、害虫よけとして使用され、呉藍は皮膚病、鉛毒防止、増血などに効果のある薬草として使用されていたようだ。


ちなみに「呉藍」は美しい朱赤に染まるため、訓読みで「くれあい」と言われた。それが訛って「赤色」を「紅(くれない)」と呼ぶようになったのは有名な話である。


このように大陸から伝わった植物染色、いわゆる草木染めは日本でその時代の背景と流れに平行するように移り変わり、日本の美しい世界を見るものすべてに活かしてきたのである。


私はこの古代より存在し、進化してきた草木染によってもたらされる色合いは、現代の日本人も誰もが必ず持っているセンスであり、感性だと思っている。


きものファン達が、様々な着物を着ることによって醸し出される美しい和の世界は、間違いなくその証拠であると思う。


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紬の変遷

最近ツイッターで多い着物の話題は「普段着」。やはり着物ファンはそれぞれの着物の楽しみ方を持っているが、やはりそれは普段着、いわゆるカジュアルが中心だ。それはいつでも、好きな時に着物を着ることが大前提であるから当然話題の中心となる。その中で様々な情報交換が飛び交い、工夫や要望、意見などが多く発せられ、呉服業界全体がビジネスである私としては非常に勉強にも参考にもなり毎日生の声を聞ける最高の場所でもある。


その中で最近話題として多いのは綿織物と麻織物である。特に綿織物は本来全国各地といって良いほどの産地が有り、それぞれに特徴がある。インドで発達した綿織物が日本に入ってきたのは奈良時代である。法隆寺の流記資材帳に木綿の袈裟や裂などが納められた記録が残っている。


日本での綿の栽培は799年に中国は崑崙(クンルン、中国の山岳地帯)の人が三河の国に漂着し、綿の実をもたらしたのが最初で、紀伊、淡路をはじめ四国や九州地方にて栽培を試みたがうまくいかず、結果的に日本で本格的に栽培されたのは室町時代に入ってからの薩摩が最初といわれている。もちろん非常に貴重品であったため、庶民が着るようになったのは江戸時代に入ってからである。


もうひとつは紬である。
絹織物である紬は、日本の絹織物の歴史そのものと言っていいほどの歴史を持っている。よって紬は庶民文化から生まれた物ではない。


紬の話は、ブログの結城紬の話の中で述べたが、「絁(あしぎぬ)」と呼ばれる不均等な絹糸で織られた粗布が朝廷へ上納されたことが正倉院の記録として残っている。これが「紬」としての最初の形と考えているが、絹織物自体は弥生時代の土器からその組織の付着が発見されており、衣服としてではなく何かを包むものとしての用途であったようだ。またその時代に織機も伝わっており、各遺跡から出土している。


話が少しそれるかもしれないが、我が国への織機の様々なルートで入ってきており、時同じくして北方民族(アイヌなど)による伝来や南方民族(琉球)による伝来、また朝鮮半島から今の京都の丹後地方や埼玉の入間地方への伝来もみられる。その証拠に丹後の独特の地名である「間人(たいざ)」入間の「越生(おごせ)」などは高句麗語と言われている。特に入間には高麗郡という地名が有るがそれも高句麗を指しているといわれている。


話を戻すが、そういう背景から絹織物である紬は、古代の調布・庸布などの税の対象として中世まで扱われ、大きな発展を遂げてきた。またそれを着用出来る人もその各時代でかなりの階級層に限られてきた。いまでも黒紋付以外の男性の正装が無地の紬であることはそれを物語る流れである。


では、何故現代では紬は普段着といわれるのか?
これは各産地の綿織物の名称を見ればわかる。宮崎県の薩摩絣、福岡県の久留米絣、愛媛県の伊予絣、岡山県の備後絣、作州絣、島根県の広瀬絣、鳥取県の倉吉絣、弓浜絣などほとんどの綿織物の名称に「絣(かすり)」がつく。


絣とは柄糸によって出来る織柄のことであるが、その起源は桃山時代に中国から伝わった「間道」、東南アジアから縞木綿が伝わり、なかでもインド産のサントメ縞は「唐棧」と呼ばれたいわゆる「縞」である。その後、江戸時代に入り、板締めや括り技法などの出現で、「絵絣」とよばれる複雑な絣模様などが生まれた。


その絣が絹織物である紬に使用されたのは、庶民が絹織物を着るようになった江戸後期くらいからである。それまでは紬は無地、または縞が主流であったが、庶民に広がりはじめてからは、木綿の絣技術がそのまま各産地で織られる紬に使われるようになった。

本場結城紬の普及のために、産地買い継商である「奥庄」の創始者奥澤庄平が江戸末期に上田紬の絣職人を結城に呼び、絣技術を導入したのは有名な話である。高嶺の花で当時ほとんどが正装着でもあった結城紬を絣によって普段着として改良したことで一気に一般に普及をしていったのだ。


これでわかるように、紬は税の対象であるくらい貴重で価値のある織物として上納され、一般に広まったのは江戸後期になってからである。その中で絣技術が綿織物から絹織物へ導入され、紬が普段着としてどんどん一般に普及していった。これが現代の紬の変遷だ。


これが戦後の着物TPOという認識の中で紬は完全に「普段着」として分類され、正式な席で着れない着物になってしまった。ただその中でも紬素材の訪問着や紬素材の色無地などある程度の席まで着れる物もある。こういうところから見ても紬が正式な席はダメなのではなく、「絣」がダメなのである。これを是非とも憶えておいて欲しい。

ファッションとしての着物も伝統文化としての着物も変化は時代の経過によって変わってくる。それのほとんどがライフスタイルの変化によるものであって衣食住すべてが連動してくる。もちろん社会背景も密接に関わってくる。だから着方やTPOが変わっても不思議ではない。ただ、それに縛られすぎると新たなものが生まれない。

だからこそ、これからもファッションとしてどんどん変化していけるように、そしてそういう変化が結果的に着物ファッションの永続や進化に繋がるように柔軟な捉え方は忘れないで欲しい。


紬の変遷は着物ファッションとしての変遷でもあるのだ。


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2010年5月 7日 (金)

半幅帯への情熱

沖縄地方は昨年より12日早く梅雨入りをしたそうだ。
毎年沖縄の梅雨入りのニュースを聞くと、気が早いが夏の訪れを感じる。近年は気候変動が激しく、では自分の住んでいる地域がいつ梅雨入りし、そしていつ明け、夏は猛暑なのか?冷夏なのか?ということがわかり難くなっている。気象庁でも長期予報として今年の夏の気温がどうなのかを時折出してはいるが、科学がこれだけ発達していても、やはりアテにならない。

呉服や洋服など衣料に関わる業界は各季節がその季節らしくあってくれることで商いが成り立つ。もちろん多少の変動はあってもそれに随時対処していくことが非常に重要なことでもあるが、特に夏と冬に関してはそれぞれその季節らしい気候であって欲しいと願う。特に呉服業界では浴衣の売れ行きは店を元気にさせるし、新しく、そして若い層のお客様を獲得出来る最大のチャンスであるからだ。だからこそ今年の夏は夏らしくあって欲しいと切に願う次第だ。

そして浴衣といえば、それに締める半幅帯。今は兵児帯が人気であるし、着物風に着る人は夏の八寸帯も締める。ただやはり、絶対数として多いのは半幅帯であることは間違いない。そして浴衣に限らず、半幅帯はきものにおいても、そう労せずして締めることが出来る「夢の帯」であるとも言える。

私がバイヤー時代。若い世代に着物をオシャレに、そして苦労せず着れるよう半幅帯の開発に情熱を傾けた時期があった。今日はそのことに触れたいと思う。

いまから8年強前、半幅帯自体は存在していたが、そんなにポピュラーでなかった。カジュアル着物に対する帯は、圧倒的に八寸または九寸の名古屋帯であった。着物と帯のセット販売品もシャレ帯もほとんどの呉服店には半幅帯は置いていなかった。また私もそれに対して不思議には思わなかった。

たしか1月後半の頃だったと思うが、その年の秋の大島紬のオリジナル商品製作に向けて大島紬担当者だった私の先輩が奄美大島の新作ファッションショーを見てきた。そしてその時の写真を見せてもらった。その中で、大島紬に半幅帯をコーディネイトしている写真に目が止まった。


先輩いわく「若い人にはこういうコーディネイトもこれからは有りかもしれないよね?」という言葉に感化され、半幅帯がどういうものかを徹底的に研究した。ちょうど浴衣の帯を開発中だったので当時の担当者にも協力してもらい、「どういうものが締め易いのか?」「どういう柄行きが人気があるのか?」「長さは浴衣用の規格でいいのか?長い方がいいのか?」などなど様々な観点で調査した。

当時私はアシスタントバイヤーであったため、勝手に商品開発を出来る立場ではなかった。そのため、私の教育係であった大先輩のバイヤーに意向を伝え、半幅帯をやらせてもらえるようにお願いをする必要があった。先輩にその話を思い切ってすると以前に試みたが売れなかった。やるのは相当危険だとのことであった。しかしそれを食い下がってなんとか1柄1単品だけ約100本という条件付きで許可をもらいやれることになった。

そして偶然にもある小さな帯メーカーで、新しく作った名物裂の京袋帯を見せてくれて、これを半幅で作ったら大島紬に合うのではないかと考えた。そこでいくつかの名物裂の柄を見本で作ってもらい、一番半幅帯に適した柄行きをチョイスした。また変わり結びをした時に必ず裏が見えるので、帯裏の生地も柄付きにしてリバーシブルといっても大丈夫なほどの物にした。そして浴衣の帯で学んだことを活かし、いかに締め易いかを考え、極薄の芯を依頼し、とにかくあらゆる結び方が楽に出来るように工夫した。

プレゼンテーションとしても大島紬担当の先輩と営業企画部や研修課などあらゆる部署の力を借りて、大島紬の社内ファッションショーを開いた。モデルは営業店から新入社員の女性メンバーに依頼し、ゲストとしてミス及び準ミスインターナショナルの人にも来てもらった。ほとんどがおしゃれ袋帯と8寸名古屋帯のスタイリングではあったが、最後に新しい提案として大島紬に半幅帯のスタイリングをミスインターナショナルにしてもらい、店長やチーフに向けて強烈にアピールすることが出来た。

そして当時本場大島紬とセットで仕立て上がり¥298000、単品では¥58000で販売したが、その甲斐あって約束の100本はほぼ売り切れ、追加で20本作ったがそれも売り切ることが出来たのだった。売上分析も7割が20代〜30代の若い女性で当初の狙い通りの売れ方だった。

翌年は西陣をはじめ、博多、米沢など様々な産地の特徴を生かした半幅帯を作り、大ヒットとなった。半幅帯のヒットが若いターゲット層に着物を提案することが出来、着付けが不安な人でも浴衣の着方さえできれば何とか着られるようになるため、どんどん浸透していった。

その後私は違う商品の担当となったが、ほんの少しの発想の転換とキチンと分析し、準備した上で思い切ってやってみれば、市場はきちんと反応してくれるということを学んだ。これはその後の担当商品にも役立ったし、現在のきものビジネスコンサルティングという仕事にも大きく役立っている。

嬉しいことに、今では実店舗であれネットショップであれ当たり前のようにおしゃれな半幅帯が沢山扱われている。また年代層も私がやっていた時よりも大きく広がっている。まさにノンエイジのカジュアルスタイルアイテムという地位を確立している。もしかしたら、これからもっと今よりも簡単に締められて、もっとおしゃれなまったく新しい帯が出てくるかもしれない。

どちらにしても、ほんの少しのことで大きく市場が変えられることが出来るアイディアや商品開発は間違いなくまだまだ呉服業界にも存在するということだ。

そのために必要なことは「売れるもの」を作ろうとするのではなく、「より多くの人が楽しめるもの」をひたすら考えて、チャレンジすることが重要なのではないかと思う。

新しい物作りは、今の業界では非常にリスキーだ。開発資金もそうそうはないであろう。だから何故しないのか?を叫ぶわけにはいかない。

しかし、新しいチャレンジをしなければ衰退する。是非とも業界の方々には思い切ってチャレンジするということをせめて忘れないでいて欲しい。

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2010年5月 6日 (木)

文化と文明の融合

大型連休の最終日である今日は5月5日。
暦では「端午の節句」。いわゆるこどもの日だ。3月3日の桃の節句と同様、人形を飾ったりもするが、この五月人形、ひな人形と同様、売上自体はかなり苦しい状態であるという話だ。

また、最近「鯉のぼり」もあまり見なくなった。地方ではまだ頻繁に目にすることはあるかもしれないが、東京や私の住んでいる千葉でも残念ながら全く目にすることが出来なかった。なにか日本の季節自体が気候変動で感じ難くなっているのと同様に、そういう文化までもが変動し、淘汰されていっているのかと寂しい気持ちになる。

詳しく調べてみると、端午の節句自体は、中国の楚の国から伝わったといわれている。

日本ではもともと田植えの時期に女性が穢れを払うために身を清める儀式をおこなう「五月忌み」という風習があり、それが中国から伝わった端午の節句と混ざったようである。また宮中で菖蒲をつかった髪飾りをして、天皇から薬玉を賜った。また貴族同士で薬玉を送り合う風習があったという。

鎌倉時代に入って、「菖蒲」を「尚武」にかけ、端午の節句は男子の節句となり、男子の健康を祈ったという。これら端午の節句の変遷を見ると、中国から伝わり、宮中と庶民で別の文化として発展し、鎌倉時代という武家文化になってからはまた違う形に変化し、それが今日に伝わっている。

また鯉のぼりに関しても同様だ。もともとは男子が誕生したことを神に知らせるために幟を立てた。この幟は「五月幟」と言われており、その柄は「武者絵」、「ヤマトタケル」「鯉の滝登り」などその家の男子の無病息災を祈願しての幟であった。いまでも西日本、九州などで見られる地域もあるようだ。またその幟も手描き友禅、筒描き、現代ではスクリーン染色でも作られているようである。
その五月幟の中でポピュラーであった「鯉の滝登り」が「鯉のぼり」へと変化していった。

各地の風土から風習という文化が生まれ、受け継がれていく。いうなれば文化は伝承の産物だ。日本人は入ってくる物を加工し、独自の文化に変えていく能力を潜在的に持っている。これが日本文化を作り上げてきた根本だ。日本の衣食住のほとんどが起源を辿ると大陸から伝わっている。それを日本の各風土や風習に合わせて見事なまでに根付かせてきた。それを家族単位、地域単位、国単位で伝承してきた。

現代は文化以上に文明によって世の中が動いているような気がする。圧倒的に違うのは時間の流れだ。ライフスタイルまたはライフサイクルがその時間のスピードに合わせなければならないのであれば、間違いなく文明によってもたらされた「便利さ」を利用しなければついていけない。すべての行動の効率化を図るためにはいわゆる文明の利器を使うしかないのである。

私は「文化は伝承して根付くものであり、文明は使用することで進化するもの」と解釈している。

だから、着物文化という伝承をしつつ、「着る」を増やし進化させることによって文化と文明の融合ができるのではないかと思っている。

ここでいう「進化」は着物の着方なのかもしれないし、素材やもしかしたら形なのかもしれない。いずれにせよそれはわからない。ただ、望むことは文化と文明が融合した進化は美しくあって欲しい。鯉の滝登りの五月幟が鯉その物の形として美しく進化したようにだ。

着物の着方も歴史の中で大きな変化を幾度となくしてきている。もちろん封建社会であるが故に各階級によって着るものも違ってはいるが、特に江戸時代はその変化が激しい。そのキッカケとなっているのは帯の変化である。
江戸中期あたりから帯巾が広くなってきたことから着方自体も変わってきているのである。

そして江戸後期の文化年間に帯締めや帯揚げなどの小物が登場する。なぜここで小物が登場するかというと、「お太鼓結び」が出現したからである。文化8年(1810年)に亀戸天満宮のお太鼓橋復元に伴ってお太鼓結びが出現し、その結びを構成するためにどうしても小物が必要になった。当時は綿や麻ひもで締めていたようだが、より美しくするために古来の伝統文化であった組紐をそれ用に長く組んだことから帯〆が誕生したようだ。

この例を見ても完全に文化と文明の美しい形での融合による進化だ。
だからこそ、現代においても十分可能なことなのである。

それもすべては着る人がいてこそであり、広がってこそ進化する物なのである。

文化と文明の大きな共通点はどちらも「人」によってもたらされる。

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2010年5月 5日 (水)

営業の基本

大学時代の剣道部の同期と久しぶりに会った。
彼は私の人生の中でも大親友といえる数少ない1人だ。そんな彼も今や大手セキュリティ機器メーカーの役員であり、いわゆる会社経営に携わっている社会的地位のある人間だ。彼はずっと営業のエキスパートとして会社に貢献し、役員になった今も営業部門の取締役部長として後進の育成をしている。

彼が今問題視しているのは、社員の一人当たりの生産性だ。当然、この不況による影響は多々あるとのことだが、それでも営業力という面で圧倒的に弱いという。その原因を尋ねてみると、言われたことはやろうとするが、自分で考えるということをしない。探究心が無い。とのことであった。更に何故そうなのかを聞いてみると、情報として与えられたクライアントへの営業という意識の高い特定ゾーンへの営業しかせず、圧倒的多数の、あってもなくてもいいと思っている潜在需要客へのアタックをしないとのことである

いわゆる2:8の法則で意識が高く割合の少ない2へ特化して、意識は高くないが可能性のある8にはほとんど何もしないという、将来性の無い営業だ。

さすがになるほどと思った。呉服の現状と全く同じだと。業種は違えども、営業という観点からは全く一緒の現象が起きている。簡単に言えば、労せずして成果を求めようとしている感があるのだ。当然、労せずして成果を挙げられたらこんなに効率的なことはない。それも1つの賢い方法だ。

しかしながら、意識の高い2:8の法則の「2」はそう簡単に分母は増えない。だから苦労はしても「8」に営業努力をし、少しでも底上げをしていくのが安定した営業の基本だ。しかも意識の高い「2」が仮に100人いたとしても半分はまだ購入に結び付かない。せいぜい3割がいいところだ。だからお客様を選んではいけないのである。

営業には色々な要素がある。小売での営業、保険や預貯金などの営業、メーカーとしての契約獲得営業、私のようなコンサルティング契約などの物販以外の営業、商社などの営業など様々な営業が存在するが、営業無くしては盤石な企業基盤は作れない。だからそれぞれの分野で無数にある手段で売上を獲得する努力を日々行っている。

そして物販の営業で絶対的に欠かせない基本は「商品を深く知ること」である。しかし、これがいまの呉服店では圧倒的に足りない。特に自分の店にあり、自分がお客様に勧める物がわからないのである。特に着物という商品は消費者にとって未知なる世界である場合が多く、特に初めて着物を購入する場合は、最終的には販売員の言葉を信じて意思決定するケースが圧倒的に多いゆえに、こういう状況は何よりお客様に不誠実である。

商品をきちんと勉強しているとその商品の何が良いのか?という肝心な部分が伝わってくる。口が上手いとか愛想が良いとかそういうものは2次的な物であって、重要なことではない。商品をきちんと勉強し、把握し、その良さを深く理解するからこそ、お客様にわかりやすく何が良いのかを伝えることが出来るのである。

以前ブログに書いたが、私も販売員時代は自分の店で扱っている商品に関しては徹底的に知ろうと努力した。会社から配布される商品説明マニュアルはもちろんのこと、寸法や用尺計算までも叩き込んだ。すべてはお客様の要望に応えて信頼関係を築くことで最終的にお買い上げをして頂くためである。

そのスキルが今の販売員には絶対的に足りない。何故ならそれを指導する立場の人も教えられないほど知らないからである。その結果教えることは販売技術中心の指導になっていってしまうのである。だからマニュアルありきになってしまう。だからこのブログの読者も経験があるかもしれないが、みんな同じことを言っていたり、「作家物」「滅多に見れない」「幻といわれている」などと商品の本当の良さからは到底離れた言葉で価値アップさせようとする。大体真っ先にこのような言葉をつかう販売員は商品の勉強はしていない。

もちろんお客様が着物を購入するためのキッカケ作りとなるように、販売技術も大切だ。お客様に対しての接し方、安心して試着して頂いたり、そのお店にいることが楽しいと思って頂くための訓練は必要だ。キチンとした言葉遣いやコミュニケーション能力といった面も大切である。ただ、それが全面に来てしまうとただの心の足りない販売になってしまう。着物というものを広めていくには販売の現場で1人でも多くのお客様に着物というものの楽しさや奥深さなどを心から伝えるしか手段は無いのである。

着物の普及は、着物が売れるという経済的要素が絡まなければ絶対的に広がらないし、売れなければ消滅する。だからこそ、1人でも多くの方に着物を来て頂きたいし、ご購入頂きたい。これは絶対不変の考え方だ。だからこそ、その最前線にいて、今後の着物業界を背負ってたっている販売員たちは、心の底から着物というものを、せめて自店で扱っている商品を深く知り、学び、身につけて頂きたい。そして、お客様が居心地の良い時間が過ごせるような接客技術やコミュニケーション能力を身につけて頂きたい。

そうすることで、2:8の法則の「8」のお客様に対して着物をお勧めしていく土台が出来る。これが新規客の創造の大基本であり、辛く厳しいかもしれないがお店が永続し、業界も維持していくことが出来る。

営業の基本は技術ではなくやはり自分がお勧めする商品の魅力をまず自分が深く知ることなのである。

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2010年5月 4日 (火)

夏きものの真意

今日、染織家の西川晴恵氏より今月21日(金)〜23日(日)まで横浜の三渓園にて行われる「日本の夏じたく」のご案内を頂いた。もちろん西川さんの作品も出品されるが、その他多くの織物、陶、書、ガラス工芸、扇など日本の夏を彩る数々の美しい作品を目の当たりに出来る。非常に楽しみである。

今日のツイッターのタイムライン上でも夏物の話題が数多く出ていた。確かに呉服店の多くは4月から夏物を店に出し、特に誂えに関しては来る盛夏に間に合わすべく品揃えや受注をする。盛夏といえば7、8月ではあるものの、今は着物で言う「盛夏物」に関しては6月末から着ている場合が多い。

一般的に言われているのは6月からが単衣に袷帯、7、8月は盛夏物に夏帯、9月前半単衣に夏帯、後半は単衣に袷帯という流れのようだ。それに加え、6月後半と9月前半のほんの少ししか着る時期のない「紗合わせ」という贅沢だが非常に美しいものもある。最近はほとんど生産がされなくなったので、なかなかお目にかかる機会が減っているが。

以前は夏着物は非常に高価で、なかなか手を出し難いものであり、どちらかというと習い事(茶道や華道など)を本格的にしている人やいわゆる富裕層といわれる人達が圧倒的に多かった。だから私が呉服販売をしていた時代は、着物好きな人に夏物をお勧めしても「まだ夏物はいいわ」「夏は着ないからねぇ」言われることの方が多かった。

ところが、夏の浴衣の着用が一般化し、手軽な夏ポリエステル着物、リサイクル夏着物などが同じように注目され、夏着物自体の認知度が高まった他、夏物独特の美しさなどが見直されたこともあり、近年では夏着物を着ている姿を多く目にするようになった。もう一部の特別な人達の装いではなくなったということである。着物を着る人が少なくなったと言われるご時世で、逆に夏着物を着ている人を前より見かけるようになったというのは、もちろん日本各地という訳ではないものの、不思議な感覚でもあり、これから着物というものに期待を持てる1つの例としても考えられる。ただ、まだまだそれを大多数の人が実感出来るほどの数でもないが。


夏生地の種類に関しては「紗」(二重紗、縫取紗、翠紗などがある)、「絽」(三本絽、五本絽、七本絽、綿絽、麻絽)、「縮」(絹ちぢみ、綿ちぢみ、麻ちぢみ)などがあり、また麻織物である上布(近江上布、越後上布、宮古上布などが有名)や八重山上布に代表される「太麻上布」などが挙げられる。もちろんその他にも多数の夏生地が存在するが、世界に目を向けると無数といっていいほどの夏生地、または夏物組織が存在するのは言うまでもない。

それらの夏生地は古来からその風土、あるいは他国からの伝来などによって、その土地々で深化してきた。ただし夏物自体が庶民に広く伝わり一般的になったのは江戸中期のことであり、いまの夏着物の多くは身分が上位の人たちの間で進化を遂げてきた物である。それまでの一般庶民は、暑ければ出来る限り薄着をするといった簡素な着方であった。

現代多くの人が、夏着物はいいけれども薄物とはいえ、着ると暑いという意見が圧倒的に多い。考えてみれば確かにその通りだ。生地自体は透け感があったり、薄かったり、素材も夏に適していると言われているものではあるものの、着方自体は合わせと何ら変わりはない。肌襦袢、裾よけ、長襦袢、着物、帯、各小物と多くの布を重ね着していることには変わりないからである。真夏に着る半袖の洋服とは体感温度は比較すれば違うことは明白である。

では夏着物とはなんなのか?
先ほども言ったように、今の夏着物の流れは昔の上位階級の間で着られてきた文化による影響が最も大きい。そして日本人の美意識の1つに「周りに対してどう思われるか?」がある。現代のように自分が着てどうか?自分が着て暑いのか否かという意識ではない。ここが根本的に違うのだ。

自分自身が夏着物を着て涼しくいられることに越したことは無いが、それよりももっと大切なことは、夏着物をきている自分の姿を周りが見た時に、その人が自分の着姿を見て、涼しく感じてくれるか?夏らしさを感じてくれているか?こういった自分の着姿によって涼感をイメージしてもらうという文化であり、自分が涼しいかどうかは実は二の次なのである。


四季がはっきりしている日本では、季節毎に衣食住を工夫し、その季節に調和するという独特の美意識を誰もが兼ね備えているのである。食であればその季節の旬の物を、住であれば様々な季節に合わせたインテリア装飾、そして衣であれば、夏着物。といった具合にだ。だからこそ、自分よりもまず相手にどう感じてもらうかという、機能性よりも美を意識したものなのである。

これから夏に向けて夏着物を着る方たちには、やはり楽しく、気持ちよく着て頂きたい。その一方で周りに美しい清涼感を与えて欲しいと思っている。

三渓園でおこなわれる日本の夏じたく展は、その構成そのものが日本の夏の美しさをと日本人の季節に対する感受性の豊かさを再認識出来る場でもあると思う。そして各作家たちが夏の「楽しみ方」、「過ごし方」、「感じ方」を改めて提案しようとしているに違いない。是非とも夏とは何か?をそこで感じ取ってもらえたらと心から思う次第であり、私も楽しみしている。


夏きものの真意とは「季節のおすそ分け」なのである。


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2010年5月 3日 (月)

日本の伝統工芸 <南部古代型染>

今日は新たな仕事に必要な資料を倉庫を整理しながら引っ張り出していた。「和の配色辞典」「日本古代の色彩と染」「平安朝服飾百科事典」「千總型友禅図案集」など父が遺してくれた沢山の資料の中の本の一部だが、6月からのきもの専門学校の講義に向けての準備だった。

1つだけだいぶん傷んだ箱があり、それを開けると6冊ほどの古いノートが入っていた。そのノートを見てみると、きもの研究家であった父の記録ノートであった。内容は繊維の種類から糸作りの方法、単位の説明、撚糸の作り方、草木染色の歴史から草木別の染色方法、型紙の作り方や染色法など織物、染色、糸、素材に至るまでのどんな参考書よりもわかり易く、内容の濃いものであった。父も様々な教育機関で指導をしていたので多分それように書いたのであろう。同じ道を歩んでいる今の私にとっても貴重な資料が偶然にも見つかった。

今日はその中から、特に思い入れがあったように思える、岩手県の南部古代型染について紹介する。これはいまから約45年前に父が南部古代型染めで有名な「小野染彩所」の16代目小野三郎氏にお会いして綴った内容である。一行フレーズで書かれているのでわかり易いものを取り上げることとする。そこからお読み頂く方が想像出来れば幸いである。

Shoaichidori
                     (写真/小野染彩所)

<父のノートより>
南部型染の初代蛭子屋三右エ門は甲斐国から八戸に上陸し、三戸の殿様と在住。
のち1628年に南部藩御用染め師となる。それが南部古代型染としての初めである。

当初型紙は伊勢より用いた物を使用していたがやがて南部独自の型紙が彫られるようになり、南部の紋章である「向鶴」や蛭子屋縁の「千羽千鳥紋」、「南部萩」などの模様が生まれた。

   
Ono_21
                     (向鶴)


Ono_22
                     (千羽千鳥)


南部古代型染は絹、綿、麻などほとんどの素材に染められ、すべて草木染か草木と化学染料の合成のものとある。

草木染の原料は「カブキユウ」「スオウ」「紫根」「藍」「くるみ皮」「桃皮」「苅安」などを使用するがその他の植物はすべて使っている。

南部型染は南部藩時代に武家の衣服などに用いられたが主に、裃、小袖、熨斗目に使用された。

南部古代型紙は伊勢型紙よりも柄は少し大きめな表現で、東北ならではの花鳥風月を象った素朴で美しい柄である。

<制作工程> (写真/小野染彩所)

Ono_01_2
                     (型彫り)

Ono_02_2
                     (糊置き)

Ono_03
                     (染色)


(南部古代型染め師、小野三郎氏のことば)

「自分で型彫りをしている。19歳からやっていて現在60歳(昭和40年当時)である」

「染料にはあらゆる山川草木全部使える。世の太陽の光をうけているものは、すべて色味が出る。薄くても薄いなりに色の味がある」

「茜は弱いのであまり使用しない」

「私は芸術家ではない。染め師に生まれたことだけに喜びを感じている」

「一昨年還暦を迎えたが、これまでの物を砕いて、改めてこれからのものを作っていきたい」

「創作ではない。自然の物が全部頭の中に入っている。それが自然に出てくる。だから自分の創作ではなく自然が作り出している作品だ」


他にも沢山の言葉や父との会話の様子がノートに書かれているが、江戸初期より代々伝わってきた染め師の技術と小野三郎氏の昭和中期の職人らしさや染色に対する情熱が伝わってくる。


その後も父は小野三郎氏とその工房である「小野染彩所」とは長く、そして深くお付き合いを重ねたようだ。父が南米から持ち帰ったアンデスの植物染色の染め見本を大量に送り、染め見本として商品開発にも協力をしていたと聞いている。残念ながら私はまだ小野染彩所には伺えていないのだが、間違いなく近い将来伺うこととなるだろう。

現在は、18代目である小野信明さんがその伝統を受け継いでいる。

今回はたまたま見つかった父のノートがキッカケで岩手の南部古代型染を紹介することになった。岩手県は他にも南部茜染、南部紫根染、南部菱刺し、南部絞りなど多数存在する。当時の南部藩がいかに染織や工芸にたいして奨励していたかがわかる。

最後に小野三郎氏が残した言葉で私が心うたれた言葉があるのでご紹介する。

「心で作品を作るのである。形で作ってはならない。」


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2010年5月 1日 (土)

食料品売場はわくわく

最近の天候不順で野菜がかなり高騰している。
不況といわれる時に限って、生活の直結する何かがダメージがあったりする。以前は米の問題があったり、BSEによる輸入牛肉の問題、鳥インフルエンザ、など毎日の食卓に影響するものが価格高騰という形でダメージを与えるのは非常に厳しい。

とはいえ、スーパーの食品売場はそうはいっても毎日活気がある。私もよく行くが、私の目にはテーマパークのように見えて本当に楽しい場所である。そこには様々な工夫や仕掛けが隠されていたり、お客様の行動心理や購買心理をきちんと考えたものが詰まっている。

スーパーで買い物をするパターンとして、一番多いのはその日の分を中心に購入するために毎日来店するパターン。これに関しては圧倒的に専業主婦が多く、また年齢層も若干高めだそうだ。もう1つのパターンは1週間分または3〜4日分を見越したまとめ買いパターン。これは30〜40代の共働き夫婦などが多い。また来店日も週末という傾向だ。当然これによって平日よりも週末のほうが客単価は上がるということになる。

スーパーに行った時に、よく聞かれる会話は「今日は何にしようか?」だ。食品売場で買い物をする80%の客が今日の献立を決めていない。これを読んでいる皆さんも大抵そうなのではないかと思う。学校給食のように月、または週の献立表がある家庭はそうそうないであろう。昼間に見た料理番組やインターネットの料理系ブログなどに感化されて事前に当日の献立が決定することはあるかもしれないが。

食料品売場のポイントはいかに壁面をつたって客が流れるかどうかが、レイアウト上の大基本である。たとえば、客導線あるいは駐車場の入口、登りエスカレーター、入店数が一番多い入口などの反対側に野菜コーナーをおくことが多い。なぜならまず野菜から買い物が始まるケースが多いので、それを入店数の多い入口から一番遠い場所におくことによって、理想的な流れを作り、売場滞在時間を延ばすという考え方のようだ。また一点単価の高い果物から始まっていることも多い。まさに大仕掛けが隠されているのだ。

壁面売場は主に鮮度が重要な食品がおいてある。順番としては農産物→水産物→畜産物→惣菜→パン乳製品などの順が一般的であろう。また農産物コーナーに向かい合わせで豆腐、漬け物、卵、加工農産物などのコーナーがあると思う。冷静に考えるとレストランのコースメニューのような順番にも思えて面白い。私は専門家ではないが、ある意味献立をイメージするにあったての買う順番という理にかなっているということであろう。

また見せ方もその商品アイテムによって規則性があり、葉もの、根菜、穀類などで分かれ、その調理方法を提案したり、それに必要な調味料などが置いてある。たとえば、大根や株のまわりには「浅漬けの素」がおいてあったり、ビーマンなどの近くには中華メニュー用のレトルト食材が置いてあったりする。それは水産物や畜産物コーナーも同じである。これによって献立提案をし、食材と一緒に調理補助食品も購入してもらうという一種のコーディネイト提案だ。

こういう提案型で関連品をセットでおく陳列をカセット陳列というが、これは呉服店の陳列でも壁面陳列の基本としてある。ただし、呉服売場のそれと食品売場のプレゼンテーション力を比べると残念ながらレベルは雲泥の差で食品売場に軍配が上がる。やはりイメージが湧き、興味または購入に繋がるようなプレゼンテーションは絶対的に学ぶべきである。

また売上動向も面白い。客単価は平均2500円で、一人当たりの買上点数が9.7点だそうだ。またその中で野菜などの農産物を購入する確率が約53%、肉などの畜産物は40%、水産物は31%とやはり半分以上の人は何らかの農産物を買っているようであり、この購入率をみると陳列やレイアウト、商品の鮮度とプレゼンテーションの重要性がいかに大切かがわかる。

そういった意味でも、呉服店の陳列方法も是非とも食料品売場の陳列は参考にして欲しい。なぜなら多くの呉服店は総合アイテム売場であるからだ。アパレルのショップのもちろん勉強になるが、アパレルはカジュアルショップだったり、フォーマルショップだったりとアイテムの専門性が高いので、総合という意味ではやはり食品売場が参考になる。

また陳列の基本3要素は「レイアウト」「プレイシング」「プレゼンテーション」であるが、特に「どこ」に「何」を配置するかという面では大いに参考になる。お客様には聞かせたくない表現だが、自店の扱い商品でそれぞれの商品が食品カテゴリーに置き換えたら何に該当するのか?を考えると面白い。たとえば、購入確率の高い和装小物を農産物と置き換えたら、客導線を考えた場合どこが一番いいのか?などと考えていけばいいのである。

またレイアウトに関しては、呉服店は自然入店が極端に少なく、食品売場のように壁面伝いという考え方は当てはめにくい。ならば、各商品群、またはカテゴリーを縦割りにしてゾーン分けする方法がわかり易い。

例えば、全体を見渡せるように小物を中央に持ってきて、向かって右のゾーンをフォーマルゾーンとし、左側をカジュアルゾーンとする。どちらも店先はある程度低価格設定の商品を配置し、お客様がイメージし易いようにトルソーなどを使用してコーディネイト演出をする。店内の壁面はできるだけわかり易く着方提案と関連品をキレイに配置していわゆる「カセット陳列」などをしてわかり易くする。当然のことだが、それぞれにプライスをつけることは不可欠である。

もちろん上記はあくまで一例であり、店の構造、地域性、立地条件、顧客傾向などで違ってくる。しかしながら、先述した陳列の基本3要素はどんな場合でも当てはまる。そして何かを参考にすることで商品自体は変わらなくても、お客様が興味を引くまたは「入り易い」「見やすい」「わかり易い」陳列は間違いなく出来る。

そういった意味でも、私にとって食料品売場を常に意識してみることは、営業戦略、シーズン戦略、集客戦略など様々な面において非常に勉強になる。
そしてお店は誰のために存在するのか?が心から理解出来る。

だからこそ、私にとって食料品売場はわくわくなのである。

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