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2010年5月 9日 (日)

紬の変遷

最近ツイッターで多い着物の話題は「普段着」。やはり着物ファンはそれぞれの着物の楽しみ方を持っているが、やはりそれは普段着、いわゆるカジュアルが中心だ。それはいつでも、好きな時に着物を着ることが大前提であるから当然話題の中心となる。その中で様々な情報交換が飛び交い、工夫や要望、意見などが多く発せられ、呉服業界全体がビジネスである私としては非常に勉強にも参考にもなり毎日生の声を聞ける最高の場所でもある。


その中で最近話題として多いのは綿織物と麻織物である。特に綿織物は本来全国各地といって良いほどの産地が有り、それぞれに特徴がある。インドで発達した綿織物が日本に入ってきたのは奈良時代である。法隆寺の流記資材帳に木綿の袈裟や裂などが納められた記録が残っている。


日本での綿の栽培は799年に中国は崑崙(クンルン、中国の山岳地帯)の人が三河の国に漂着し、綿の実をもたらしたのが最初で、紀伊、淡路をはじめ四国や九州地方にて栽培を試みたがうまくいかず、結果的に日本で本格的に栽培されたのは室町時代に入ってからの薩摩が最初といわれている。もちろん非常に貴重品であったため、庶民が着るようになったのは江戸時代に入ってからである。


もうひとつは紬である。
絹織物である紬は、日本の絹織物の歴史そのものと言っていいほどの歴史を持っている。よって紬は庶民文化から生まれた物ではない。


紬の話は、ブログの結城紬の話の中で述べたが、「絁(あしぎぬ)」と呼ばれる不均等な絹糸で織られた粗布が朝廷へ上納されたことが正倉院の記録として残っている。これが「紬」としての最初の形と考えているが、絹織物自体は弥生時代の土器からその組織の付着が発見されており、衣服としてではなく何かを包むものとしての用途であったようだ。またその時代に織機も伝わっており、各遺跡から出土している。


話が少しそれるかもしれないが、我が国への織機の様々なルートで入ってきており、時同じくして北方民族(アイヌなど)による伝来や南方民族(琉球)による伝来、また朝鮮半島から今の京都の丹後地方や埼玉の入間地方への伝来もみられる。その証拠に丹後の独特の地名である「間人(たいざ)」入間の「越生(おごせ)」などは高句麗語と言われている。特に入間には高麗郡という地名が有るがそれも高句麗を指しているといわれている。


話を戻すが、そういう背景から絹織物である紬は、古代の調布・庸布などの税の対象として中世まで扱われ、大きな発展を遂げてきた。またそれを着用出来る人もその各時代でかなりの階級層に限られてきた。いまでも黒紋付以外の男性の正装が無地の紬であることはそれを物語る流れである。


では、何故現代では紬は普段着といわれるのか?
これは各産地の綿織物の名称を見ればわかる。宮崎県の薩摩絣、福岡県の久留米絣、愛媛県の伊予絣、岡山県の備後絣、作州絣、島根県の広瀬絣、鳥取県の倉吉絣、弓浜絣などほとんどの綿織物の名称に「絣(かすり)」がつく。


絣とは柄糸によって出来る織柄のことであるが、その起源は桃山時代に中国から伝わった「間道」、東南アジアから縞木綿が伝わり、なかでもインド産のサントメ縞は「唐棧」と呼ばれたいわゆる「縞」である。その後、江戸時代に入り、板締めや括り技法などの出現で、「絵絣」とよばれる複雑な絣模様などが生まれた。


その絣が絹織物である紬に使用されたのは、庶民が絹織物を着るようになった江戸後期くらいからである。それまでは紬は無地、または縞が主流であったが、庶民に広がりはじめてからは、木綿の絣技術がそのまま各産地で織られる紬に使われるようになった。

本場結城紬の普及のために、産地買い継商である「奥庄」の創始者奥澤庄平が江戸末期に上田紬の絣職人を結城に呼び、絣技術を導入したのは有名な話である。高嶺の花で当時ほとんどが正装着でもあった結城紬を絣によって普段着として改良したことで一気に一般に普及をしていったのだ。


これでわかるように、紬は税の対象であるくらい貴重で価値のある織物として上納され、一般に広まったのは江戸後期になってからである。その中で絣技術が綿織物から絹織物へ導入され、紬が普段着としてどんどん一般に普及していった。これが現代の紬の変遷だ。


これが戦後の着物TPOという認識の中で紬は完全に「普段着」として分類され、正式な席で着れない着物になってしまった。ただその中でも紬素材の訪問着や紬素材の色無地などある程度の席まで着れる物もある。こういうところから見ても紬が正式な席はダメなのではなく、「絣」がダメなのである。これを是非とも憶えておいて欲しい。

ファッションとしての着物も伝統文化としての着物も変化は時代の経過によって変わってくる。それのほとんどがライフスタイルの変化によるものであって衣食住すべてが連動してくる。もちろん社会背景も密接に関わってくる。だから着方やTPOが変わっても不思議ではない。ただ、それに縛られすぎると新たなものが生まれない。

だからこそ、これからもファッションとしてどんどん変化していけるように、そしてそういう変化が結果的に着物ファッションの永続や進化に繋がるように柔軟な捉え方は忘れないで欲しい。


紬の変遷は着物ファッションとしての変遷でもあるのだ。


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