« まずは正しく売ることに尽きる | トップページ | 自分のパンフレット »

2010年5月26日 (水)

浴衣の歴史と長板中形染めの魅力

いよいよ呉服店やインターネットショップなどで浴衣を多く見かけるようになってきた。デザイナーもの、タレントキャラクターもの、ブランドものなどのカラフルでアパレル的なものから、注染、絞りといったベーシックなものまで沢山の浴衣がこれからどんどん店先やサイトの画面に登場してくることであろう。

私も浴衣担当バイヤーを務めたこともあるが、商品企画は様々な要素やターゲットなどを考えて行う。そしてまた大手チェーンに在籍していたため、その量も半端ではないほどであった。ひと夏で扱う浴衣の量は10万点を超えるのである。それを各地域の店の傾向に合わせ、また現場の意見も聞きながら分配していく。また途中で商品の動きに合わせて店間で移動させて効率よく販売出来るようにデータ分析、商品調達、出荷、などに躍起になっていたことを思い出す。

さてご存知通り浴衣は湯帷子(ゆかたびら)から由来する。「浴衣」という字から連想すると湯上がりに着るものとなるが、それは江戸時代になってからの話で、浴衣のルーツとなった「湯帷子」はなんと平安時代にまでさかのぼる。

仏教が日本に伝来して多くの寺院に「浴堂」という今でいう風呂場があった。この浴堂では肌を見せてはいけないという戒律があり、必ず単衣の衣をまとって入浴した。これが湯帷子なのだが、別名「明衣」、「今衣」とも呼ばれていたそうだ。また誤解のないように言っておくが、当時の入浴は「蒸し風呂」である。湯帷子はそのための専用のものであった。

その後、湯帷子は「身拭(みぬぐい)」という呼ばれ方をしていくのだが、当時の衣生活は身分の高い人は絹で一般庶民は麻という時代である。湯上がりに優雅に「身拭」を纏えるのはごく一部の人間でしかなかった。しかしながら、この「身拭」が庶民に広まったのは江戸中期以降に出現した「町風呂」によってのことだ。これによって湯上がりに身拭を着る文化、すなわち浴衣を着る文化が大きく広まっていったのである。浮世絵に見る美人の湯上がりの身拭姿は当時の流行にもなったほどだ。

その後、浴衣が夏の衣服となったのは江戸の後期のことであるが、あくまでも家着であり、浴衣を外着にする人は遊び人くらいなものであったそうだ。それは明治中期まで続いた。浴衣が外着の仲間入りをしたのは明治中期以降である。

そういった浴衣の歴史も非常に興味深いものであるが、江戸の染色文化として今も辛うじて残っている、浴衣を中心とした伝統的染色技法が「長板染め」と言われるものである。

長板染めの正式名称は「長板中形染め」である。
長板という意味は、染めるために使用する台の板の長さが約6mほどもあることからそういわれた。中形は柄の大きさである。江戸時代の柄は「大紋」「中形」「小紋」分かれていた。読者の皆さんにおなじみなのは小紋である。そもそも小紋は裃の柄であり、それぞれの藩によって違っており、すぐどこの大名かがその柄でわかるようになっていた。いわゆる江戸小紋である。中形はそれよりも少し大きめのものである。

長板中形染めは6mもある板場とよばれる台に生地を敷き、その上に和紙を重ね合わせて柿渋や膠で固めて柄を彫った型紙をあて、防染糊をヘラでおいていく。この糊置きはなんと表裏を柄がズレないように置いていくために高度な技術が必要となる。また、表の柄を見易くするため表の糊には赤い染料を混ぜることが多い。

また、総柄であるため型をずらして進んでいくのだが(これを「型をおくる」という)その継ぎ目がピタリと合うようにしていかなければならない。これも想像がつかないほどの高度な技術である。

型紙によって表裏に糊付された生地を一度水に浸して生地をキレイに整え、藍染めをしていく。そして最後に水洗いをして糊を落とすと何とも言えないため息が出るほどの美しい浴衣が出来上がるのである。

そもそも長板染めは武士や上流階級の正装の衣服として作られたものであり、絹物が基本であった。しかし、江戸時代になんどかあった奢侈禁止令により絹の着用が禁じられ、木綿地に染めを施すようになった。これが後に庶民に広がることとなり、それが明治中期以降夏の外着のものとなり、外着としての浴衣になって今日に至るのである。

この長板中形染めは東京染小紋として経産省指定の伝統的工芸品に指定されているが、生産は東京の竺仙と三勝という2つの代表するメーカーがごくわずかに生産しているのみといっても過言ではない。

またかつてはこの長板染めには人間国宝が存在した。それが清水幸太郎氏である。清水さんは故人であるが、明治30年生まれで高等尋常小学校卒業後染色の道に入り、明治、大正、昭和と長板染めを染め続け、重要無形文化財技術保持者、いわゆる俗名人間国宝に指定された偉大な方である。いまでも清水幸太郎氏が使った型紙が残っており、それで染めた浴衣もごくわずかに存在する。

またこの清水幸太郎氏の息子さんである清水敬三郎氏が日本橋人形町の三勝株式会社の専務として、長板染めの指導、普及にご尽力されている。私も何度かお目にかかりご指導頂いた。

長板染めの浴衣は今でも百貨店や高級呉服店で手に入れることは出来るが、やはり浴衣として考えると非常に高価であり中々手に入れるとなると躊躇するかもしれないが、いつかは着てみたい逸品である。

イメージとしては完全に夏着物として着るのも良いが、博多紗献上帯に本麻の長襦袢を下衣にし、素足に白木の下駄などで着るとより一層その美しさが映え、着る人もそれを見る人も魅了する。またその出で立ちで街を歩けば絵になるし、家着として半幅帯で控えめな文庫結びや貝の口などで結ぶと和の夏を満喫出来ることは間違いない。

カラフルな浴衣は着用する年齢層を広め、浴衣ブームを作り出した現代の浴衣の恩人のようなものではあるが、伝統文化として細々と今でも続いている長板中形染めはやはり日本の夏をそして夏の美しい女性を作り上げる素晴らしい伝統的工芸品である。


読者の皆さんは是非ともいつかは長板中形染めの浴衣に袖を通してもらいたいと強く思う。

是非とも下のランキングバナーの2つポチをお願いします!励みなりますので!!
今日もお読み頂き有り難うございます!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 ファッションブログ 着物・和装へ
にほんブログ村

|

« まずは正しく売ることに尽きる | トップページ | 自分のパンフレット »

ファッション・アクセサリ」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
着物~はごろものトビウオと申します。
三勝さんの幸太郎好み、本藍染めの長板中形を拝見したところでした。
ほんとにいつかは…と想います。
とてもタイムリーでしたので、記事のリンクさせて頂きました。
有り難うございました。

投稿: トビウオ | 2010年5月27日 (木) 00時34分

toトビウオ様

はじめまして!
本当にタイムリーでしたね(笑)生地にして良かったです。

三勝さんでは天野社長をはじめ皆様方に大変お世話になったんです。
幸太郎好みもすごく良いですよね!

是非ともいつかは!を叶えて下さいね!!

投稿: from石崎 | 2010年5月27日 (木) 11時32分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1284655/34897222

この記事へのトラックバック一覧です: 浴衣の歴史と長板中形染めの魅力:

« まずは正しく売ることに尽きる | トップページ | 自分のパンフレット »