半幅帯への情熱
沖縄地方は昨年より12日早く梅雨入りをしたそうだ。
毎年沖縄の梅雨入りのニュースを聞くと、気が早いが夏の訪れを感じる。近年は気候変動が激しく、では自分の住んでいる地域がいつ梅雨入りし、そしていつ明け、夏は猛暑なのか?冷夏なのか?ということがわかり難くなっている。気象庁でも長期予報として今年の夏の気温がどうなのかを時折出してはいるが、科学がこれだけ発達していても、やはりアテにならない。
呉服や洋服など衣料に関わる業界は各季節がその季節らしくあってくれることで商いが成り立つ。もちろん多少の変動はあってもそれに随時対処していくことが非常に重要なことでもあるが、特に夏と冬に関してはそれぞれその季節らしい気候であって欲しいと願う。特に呉服業界では浴衣の売れ行きは店を元気にさせるし、新しく、そして若い層のお客様を獲得出来る最大のチャンスであるからだ。だからこそ今年の夏は夏らしくあって欲しいと切に願う次第だ。
そして浴衣といえば、それに締める半幅帯。今は兵児帯が人気であるし、着物風に着る人は夏の八寸帯も締める。ただやはり、絶対数として多いのは半幅帯であることは間違いない。そして浴衣に限らず、半幅帯はきものにおいても、そう労せずして締めることが出来る「夢の帯」であるとも言える。
私がバイヤー時代。若い世代に着物をオシャレに、そして苦労せず着れるよう半幅帯の開発に情熱を傾けた時期があった。今日はそのことに触れたいと思う。
いまから8年強前、半幅帯自体は存在していたが、そんなにポピュラーでなかった。カジュアル着物に対する帯は、圧倒的に八寸または九寸の名古屋帯であった。着物と帯のセット販売品もシャレ帯もほとんどの呉服店には半幅帯は置いていなかった。また私もそれに対して不思議には思わなかった。
たしか1月後半の頃だったと思うが、その年の秋の大島紬のオリジナル商品製作に向けて大島紬担当者だった私の先輩が奄美大島の新作ファッションショーを見てきた。そしてその時の写真を見せてもらった。その中で、大島紬に半幅帯をコーディネイトしている写真に目が止まった。
先輩いわく「若い人にはこういうコーディネイトもこれからは有りかもしれないよね?」という言葉に感化され、半幅帯がどういうものかを徹底的に研究した。ちょうど浴衣の帯を開発中だったので当時の担当者にも協力してもらい、「どういうものが締め易いのか?」「どういう柄行きが人気があるのか?」「長さは浴衣用の規格でいいのか?長い方がいいのか?」などなど様々な観点で調査した。
当時私はアシスタントバイヤーであったため、勝手に商品開発を出来る立場ではなかった。そのため、私の教育係であった大先輩のバイヤーに意向を伝え、半幅帯をやらせてもらえるようにお願いをする必要があった。先輩にその話を思い切ってすると以前に試みたが売れなかった。やるのは相当危険だとのことであった。しかしそれを食い下がってなんとか1柄1単品だけ約100本という条件付きで許可をもらいやれることになった。
そして偶然にもある小さな帯メーカーで、新しく作った名物裂の京袋帯を見せてくれて、これを半幅で作ったら大島紬に合うのではないかと考えた。そこでいくつかの名物裂の柄を見本で作ってもらい、一番半幅帯に適した柄行きをチョイスした。また変わり結びをした時に必ず裏が見えるので、帯裏の生地も柄付きにしてリバーシブルといっても大丈夫なほどの物にした。そして浴衣の帯で学んだことを活かし、いかに締め易いかを考え、極薄の芯を依頼し、とにかくあらゆる結び方が楽に出来るように工夫した。
プレゼンテーションとしても大島紬担当の先輩と営業企画部や研修課などあらゆる部署の力を借りて、大島紬の社内ファッションショーを開いた。モデルは営業店から新入社員の女性メンバーに依頼し、ゲストとしてミス及び準ミスインターナショナルの人にも来てもらった。ほとんどがおしゃれ袋帯と8寸名古屋帯のスタイリングではあったが、最後に新しい提案として大島紬に半幅帯のスタイリングをミスインターナショナルにしてもらい、店長やチーフに向けて強烈にアピールすることが出来た。
そして当時本場大島紬とセットで仕立て上がり¥298000、単品では¥58000で販売したが、その甲斐あって約束の100本はほぼ売り切れ、追加で20本作ったがそれも売り切ることが出来たのだった。売上分析も7割が20代〜30代の若い女性で当初の狙い通りの売れ方だった。
翌年は西陣をはじめ、博多、米沢など様々な産地の特徴を生かした半幅帯を作り、大ヒットとなった。半幅帯のヒットが若いターゲット層に着物を提案することが出来、着付けが不安な人でも浴衣の着方さえできれば何とか着られるようになるため、どんどん浸透していった。
その後私は違う商品の担当となったが、ほんの少しの発想の転換とキチンと分析し、準備した上で思い切ってやってみれば、市場はきちんと反応してくれるということを学んだ。これはその後の担当商品にも役立ったし、現在のきものビジネスコンサルティングという仕事にも大きく役立っている。
嬉しいことに、今では実店舗であれネットショップであれ当たり前のようにおしゃれな半幅帯が沢山扱われている。また年代層も私がやっていた時よりも大きく広がっている。まさにノンエイジのカジュアルスタイルアイテムという地位を確立している。もしかしたら、これからもっと今よりも簡単に締められて、もっとおしゃれなまったく新しい帯が出てくるかもしれない。
どちらにしても、ほんの少しのことで大きく市場が変えられることが出来るアイディアや商品開発は間違いなくまだまだ呉服業界にも存在するということだ。
そのために必要なことは「売れるもの」を作ろうとするのではなく、「より多くの人が楽しめるもの」をひたすら考えて、チャレンジすることが重要なのではないかと思う。
新しい物作りは、今の業界では非常にリスキーだ。開発資金もそうそうはないであろう。だから何故しないのか?を叫ぶわけにはいかない。
しかし、新しいチャレンジをしなければ衰退する。是非とも業界の方々には思い切ってチャレンジするということをせめて忘れないでいて欲しい。
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