日本の伝統工芸 <南部古代型染>
今日は新たな仕事に必要な資料を倉庫を整理しながら引っ張り出していた。「和の配色辞典」「日本古代の色彩と染」「平安朝服飾百科事典」「千總型友禅図案集」など父が遺してくれた沢山の資料の中の本の一部だが、6月からのきもの専門学校の講義に向けての準備だった。
1つだけだいぶん傷んだ箱があり、それを開けると6冊ほどの古いノートが入っていた。そのノートを見てみると、きもの研究家であった父の記録ノートであった。内容は繊維の種類から糸作りの方法、単位の説明、撚糸の作り方、草木染色の歴史から草木別の染色方法、型紙の作り方や染色法など織物、染色、糸、素材に至るまでのどんな参考書よりもわかり易く、内容の濃いものであった。父も様々な教育機関で指導をしていたので多分それように書いたのであろう。同じ道を歩んでいる今の私にとっても貴重な資料が偶然にも見つかった。
今日はその中から、特に思い入れがあったように思える、岩手県の南部古代型染について紹介する。これはいまから約45年前に父が南部古代型染めで有名な「小野染彩所」の16代目小野三郎氏にお会いして綴った内容である。一行フレーズで書かれているのでわかり易いものを取り上げることとする。そこからお読み頂く方が想像出来れば幸いである。
<父のノートより>
南部型染の初代蛭子屋三右エ門は甲斐国から八戸に上陸し、三戸の殿様と在住。
のち1628年に南部藩御用染め師となる。それが南部古代型染としての初めである。
当初型紙は伊勢より用いた物を使用していたがやがて南部独自の型紙が彫られるようになり、南部の紋章である「向鶴」や蛭子屋縁の「千羽千鳥紋」、「南部萩」などの模様が生まれた。
南部古代型染は絹、綿、麻などほとんどの素材に染められ、すべて草木染か草木と化学染料の合成のものとある。
草木染の原料は「カブキユウ」「スオウ」「紫根」「藍」「くるみ皮」「桃皮」「苅安」などを使用するがその他の植物はすべて使っている。
南部型染は南部藩時代に武家の衣服などに用いられたが主に、裃、小袖、熨斗目に使用された。
南部古代型紙は伊勢型紙よりも柄は少し大きめな表現で、東北ならではの花鳥風月を象った素朴で美しい柄である。
<制作工程> (写真/小野染彩所)
(南部古代型染め師、小野三郎氏のことば)
「自分で型彫りをしている。19歳からやっていて現在60歳(昭和40年当時)である」
「染料にはあらゆる山川草木全部使える。世の太陽の光をうけているものは、すべて色味が出る。薄くても薄いなりに色の味がある」
「茜は弱いのであまり使用しない」
「私は芸術家ではない。染め師に生まれたことだけに喜びを感じている」
「一昨年還暦を迎えたが、これまでの物を砕いて、改めてこれからのものを作っていきたい」
「創作ではない。自然の物が全部頭の中に入っている。それが自然に出てくる。だから自分の創作ではなく自然が作り出している作品だ」
他にも沢山の言葉や父との会話の様子がノートに書かれているが、江戸初期より代々伝わってきた染め師の技術と小野三郎氏の昭和中期の職人らしさや染色に対する情熱が伝わってくる。
その後も父は小野三郎氏とその工房である「小野染彩所」とは長く、そして深くお付き合いを重ねたようだ。父が南米から持ち帰ったアンデスの植物染色の染め見本を大量に送り、染め見本として商品開発にも協力をしていたと聞いている。残念ながら私はまだ小野染彩所には伺えていないのだが、間違いなく近い将来伺うこととなるだろう。
現在は、18代目である小野信明さんがその伝統を受け継いでいる。
今回はたまたま見つかった父のノートがキッカケで岩手の南部古代型染を紹介することになった。岩手県は他にも南部茜染、南部紫根染、南部菱刺し、南部絞りなど多数存在する。当時の南部藩がいかに染織や工芸にたいして奨励していたかがわかる。
最後に小野三郎氏が残した言葉で私が心うたれた言葉があるのでご紹介する。
「心で作品を作るのである。形で作ってはならない。」
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