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2010年5月31日 (月)

入口の自由を奪うな

昨日は5/29であり、そのゴロから「呉服の日」と呼ばれているのはご存知であろうか?ツイッターでは着物ファン達が1日着物をみんなで着ようと呼びかけていた。家で着ても良し、出かけても良し、各自が自由気ままに呉服の日を楽しんだようである。

また本日5/30は第3回の「ぶらっと着物」が開催され、これまた沢山の着物ファンがツイッターやミクシーでの呼びかけで集まったようだ。

こういった着物を着るイベントが着物ファンによって各地で開催され、またそこにそれぞれの工夫のある着こなしを楽しみ、着物に親しみ、「きものを着る」という純粋な自分自身を楽しんでいる。これは本当に素晴らしいことである。

また、28日から本日まで、京都高島屋で学生とたんす屋がコラボしたリサイクル着物市が開催され、大学の着物サークル、きもの専門学校の学生達がコーディネイトコンペやファッションショー、カラー診断など、自分たちが着てみたいと思う着物をコーディネイトし、実際にお客様にPRするというイベントを開催していた。

これに関しては、着物をしっかりと学び、そして新鮮で斬新なスタイリング提案という観点からは、私達プロは非常に参考になるし、これからの着物スタイリングに大いに役立つものであると感じる。また、若者層への着物PRの1つの入口としては非常に良い機会であると感じている。

この話はツイッターでも話したのだが、先日このイベントが東京で開催されて、TBSの報道バラエティ番組にて特集された。参加した学生達も着物を着て出演し、各々の新鮮でファッショナブルなスタイリングを披露していた。そのコーディネイトも嫌み無く、奇抜でもなく、私のような正統派着物で育った人間でも自然に受け入れられるようなオシャレさであった。

ところが、ゲストコメンテーターとして礼法の専門家がいて、コメントを求められた時に「そういうのも奇抜でいいかもしれないですが、場を考えたきちんとした着方も勉強して欲しいですね」という何とも全く空気の読めないコメントをしていた。案の定視聴者からの苦情の電話もあったようだ。

私も着物ビジネスの講師として学校等での授業をしているが、学生達は、着物に関しては物凄いスキルを持っている。着付けに関しては、基礎をきちんと修得しているし、その実力はプロ並みだ。また、茶道や華道なども習っている人も多く、立ち振る舞いから何から非常に美しく礼儀正しい。また専門学校生はそれに増して、和裁技術や友禅、機織りなど着物に関するスキルはほとんど持っている人が多い。

着物に関する基礎やそれ以上の実力をきちんと身に付けた上での、自由なスタイリング提案なのである。だから、見る人が自然に受け入れられるような、またこれから着物を着たいと思っている人が、これなら着てみたいと思ってもらえるような、ある意味センスの良い、しかも筋の通ったコーディネイトなのである。

私はここで礼法自体を否定しているわけではない。礼法は着物の装いを通して着物の着付け技術だけでなく、和の奥深さを学びながら日本文化をとおして内面も磨いていくという立派な考え方であり、1つの「きもの道」である。私の父もかつて裝道きもの学院の山中理事長と親交を深め、全日本きものコンサルタント協会の理事も務めていたので、私も耳にタコが出来るくらい着物の基本を教えられていたくらいだ。

ただ、やはり着物は「着るもの」であり、「きもの道」と「ファッション」との両面を持っている。これは洋服でも同じだ。確かに場をわきまえることは、ファッションとしてのモラルであり必要なことであるが、そうでないのなら、それぞれの個性あるスタイリングを否定してはいけない。

着物への入口は様々だ。本来の基本的な着方自体を美しいと憧れて着物の世界へ入る人もいれば、アパレルチックなスタイリングに魅了されて着物の世界に飛び込む人もいる。または着物そのものの奥深さや作られる工程の素晴らしさがキッカケとなる人もいる。人それぞれに着物に惹かれる理由は違うのだ。だからこそ、その理由分の入口を我々は用意しなければいけないと常々思っている。

もちろん本来の着物の基本は知らないより知っていた方が安心だ。また一般的に正しいといわれている着付け自体も知っていた方が確かに良いかもしれない。その上で、TPOといわれているモラルは理解しておいた方が良いかもしれない。

ただし、絶対にこれからしてはいけないのは「入口の自由を奪う」ことである。全員が基本から入れという号令をかけたら、着物普及はかなり厳しいものになるだろう。自分なりのおしゃれをしている人に向かって「あなたの着方はオカシイ」ということを言うならば、着物はファッションで無くなる。この時代に着方の自由を否定されたなら、着物という制服になってしまう。

何故なら制服は「規制服」であるからだ。正しい着方以外はしてはいけない服だからである。まさに入口は1つなのである。

そういった意味でも着物は決して制服ではない。だから、着方に正解はないと思って頂きたい。そしてそれがこれから着物を着てみたいと思っている人への入口を沢山広げることに繋がるのである。

礼節を重んじる日本であるからこそ、多少は場をわきまえることは必要だ。ただしそれは個々のモラルに任せるしか無い。わからなければ、家庭や学校で教えるべきだとも思う。

ただし、着るものから自由を絶対に奪ってはいけない。

そう、特に着物という入口の自由は絶対に奪ってはいけないのだ。


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コメント

結婚式や法事などでの”奇抜”な格好は、何かを言われても仕方がないし、むしろ指摘された方がいいとは思います。
しかし、洋服では趣味の違いで片付けられることが、和服になると、何故かそれが重罪のように扱われてしまうのは本当に不思議なことですね。
どちらかの善し悪しではなく、(着物に対する意識の)幅を持とうよという事なのですが。
いずれにせよ、偏りすぎるとろくな事はないわけですが、みんな自分が真ん中にいると思って生きているので、考え出すと割合難しい問題でもありますね。

投稿: はちべえ@きもの日和 | 2010年5月31日 (月) 04時25分

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