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2010年6月

2010年6月27日 (日)

自分のキャパを拡げる

1人で会社をやっていると、やはり限界はすぐに来る。
コンサルティング、事務、経理、販促物作成、各社の企画、講師、スケジューリング調整、etc… 

こうなるとどうしても誰かスタッフか同じスキルを持った仲間を迎えたくなるのは自然なことである。ただし、人を雇い入れるほど年商に余裕がある訳でもないし、物販とは異なるため今のところは何とか1人でもやっていける状況である。

しかしながら、実際に様々な所からオファーがありながらお断りしていることも多々あるため、それなりのジレンマはある。自分を育ててくれた呉服業界への恩返しをしたいと思ったことが起業のキッカケであったし、それは今でも変わらない。それどころか日に日にその気持ちは強くなる一方だ。しかしながら自分のキャパシティの小ささ故に、助けて欲しいと言っている企業に対して取り組むことが出来ないというのもどこか矛盾しているのかもしれない。お断り申し上げた時の相手の残念そうな反応には本当に心が痛む。

本当に感謝すべきというか、ありがたいことに自分の名前がある程度知られるようになってきた。それもKDCPlanningという社名よりも「石崎 功」という名前の方が認識度は高いようだ。もちろん昔取った杵柄で業界にて名前が知られていることがベースにはなっているが、ブログやツイッターというソーシャルメディアによる広がりは非常に大きい。また、最近どこどこと仕事をしているということが、ロケットより速く伝わるこの業界であるから、動けば動くほど情報が伝わる。

昔こんなことがあった。バイヤーをしていた時代、夜小腹が空いたので京都の祇園で1人ラーメンを食べにいった。その時はたまたま空いているホテルが祇園近くのホテルしかなく、そういう状況になったのだ。
ところが、どこで見られたのかは定かではないが、翌日取引先にいくと、「石崎さんは若いからやっぱり夜もオサカんですねぇ〜」と言われた。何故かと問うと昨晩祇園で遊んでいたと勘違いされ、それが広まっていたのである。

それは1日で3回ほど言われた。普通にラーメンを食べていただけとはいえ、勘違いされるような場所にいたことが私の過ちであり、それが広がることによって自分の会社にも迷惑をかけ兼ねない。京都の情報の広がりの早さと軽率な自分の行動を反省した次第である。

話が逸れたが、自分のやっていることや実績、評判などがすぐさま伝わることで、有り難いことに仕事の依頼を沢山頂けるようになったが、全てに応えられていないということが、大きな悩みであることはいうまでもない。

これからの課題としてはいかに自分のキャパを拡げるかということに尽きる。その方法は時間の使い方の改善、スケジューリング能力、そして業務遂行能力などに集約されると思う。

それともうひとつ。忘れてはならないのが人間力である。
特に私の仕事は多くの人たちとのコミュニケーションによって成り立つからだ。人は他人に評価されて社会を生きていく。自分自身の評価はただの自己満足であり、また慰めでしかない。どんなに影の努力をしても、どんなに俗にいう「いい人」でも残念ながら仕事は他人の評価によって給与や報酬が支払われる。

決して影の努力を否定するのではなく、その努力が実ることによって評価されるのだから、努力はしないよりしたほうが結果的に自分のために良い。ただ、ここで言いたいのは社会は自己評価でなく他人の評価で成り立っているということだ。文章にすると冷酷だが事実である。

ならば、人との繋がりを大切にしたり、相手のことを気遣う心をより養ったり、ビジネスにおいてはクライアントや得意先、お客様のことを常に考え、その想いの先をいくような人への敏感さは評価されるにあたって非常に大切なことである。これは人としてのキャパを拡げるためには必須事項である。

そもそも人をなぜ「人間」というのかを考えると、何故人と人の間と表現するのかを考えるとわかり易い。人は1人では生きていけない。だから人間にとって一番大切なことは人間関係の構築であるとほとんどの哲学者が説いている。

だからこそ、人は「人間」と表現されるのだとよくわかる。
人と人との繋がりを大切にすることが人が生きていく上で最も大切なことであり、本能の次に大切なことであると思う。

人間力は結局のところ、どこまで相手に対して敏感になれるかであり、それによって得た相手からの信頼という評価が、ビジネスなら報酬に結び付くのである。相手から魅力を感じてもらえる人間になるには天性のものはあったとしても、一筋縄ではいかない。わざとしいゴマスリやおべっかはすぐに見抜かれ、返って信頼を失う。その人の経験や努力の積み重ねがあって滲み出るものが必然的にその人の人間的魅力になると思う。私も早くそういう自分になりたい物だと感じる。

今回のブログの最後にお知らせがある。
この度、仕事の拠点を京都に移すことにした。
7月からは京都が事務所兼自宅となる。これに関しては様々な理由があるのだが、まずは仕事柄京都が非常に効率的であること。そして、クライアントも西日本が多いことなどを考えると、移動コストや時間効率、情報収集の面からも私の仕事は京都拠点がベストであると判断したからだ。

どちらにしても常に全国のどこかにいるような生活なので、大して変わらないかもしれないが、それでも自分のキャパをより拡げるための手段の1つとして決断したことだ。

これからまた新たな気持ちを持って呉服業界の復興の役に立てるよう尽力していきたい。まだまだ足らない部分や未知の部分が多いが、自分のスキルと人間力をより高め、この業界を夢が持てるものとしていきたい。

そのために自分のキャパをより拡げていきたいと強く思う。


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2010年6月24日 (木)

小宇宙と大宇宙

最近自分のスケジュールが大変なことになりつつある。
基本的にスケジュールが埋まるということは、それだけ仕事の依頼があるということであり、喜ばしいことなのであるが、一番怖いのは「仕事をこなしてしまう」ことである。仕事をこなすのは一見能力が高いことだと勘違いしがちだが、私の場合、仕事をこなしてしまうとその仕事のクオリティが維持出来ない。もちろん常に最高のクオリティという訳にはいかないかもしれないが、そうしようと意識することが非常に大切なのである。

ところが、仕事をこなすようになるとある程度のところに基準をおいて、それを良しとしてしまう。これが続くとその仕事全体のクオリティが結果的に下がる。これはプロの仕事とは言えない。だから自分の能力をきちんと理解した上で依頼を受け、それぞれが自分に出来る最高のクオリティで取り組み続けねばならないと戒めている。

そういった意味で会社勤め時代自営では様々な考え方が変わってくる。もちろん会社勤め時代もそれぞれの仕事に全力で当たっていたが、給与と報酬とではクライアントに対しての責任感が全く違う。会社勤め時代の給与の捉え方は、お客様がお買い上げ頂いた代金の中から給与が出ているという実感が湧かないことが正直多かった。それよりも会社から給与を貰っている方が強い。

一方、フリーになって自分で事業を始めてからは、誰から報酬を貰っているかが、ほぼ明確にわかる。この意識の差が仕事をする上での責任感と高いクオリティの提供をするという使命感に繋がる。この意識は無意識に育っていくから不思議なものである。

そう考えると、自分の仕事をする姿勢の変化は劇的とも言えるのかもしれない。
とかく大企業に籍をおいて仕事をしていた頃は、そこが大宇宙だと思っていたのである。一度そう思い込んでしまうと、ほとんどのことが正しい、または当然と思ってしまう。よくニュースに流れる、上司に言われたから不正や犯罪を犯すというのと全く同じ心理だ。ただほとんどの人が今いる環境を大宇宙として考えてしまう。ある意味仕方がないことだ。


私もそのうちの1人であった。
大きな組織に長い間身を置くと、それがすべておいて通用すると勘違いしてしまう。小宇宙の法則は大宇宙の法則に等しいと思い込んでしまうのだ。良く言われる個人の常識は社会の非常識である可能性が高いという意識を根本的に持てないのだ。

もちろん、その組織で長きに渡って身に付けてきたスキルやノウハウは基本的な部分として大きな財産であることは間違いない。他の仕事をする上での大きな土台となる。それは経験がもたらした智慧であるがゆえに大いに役立つ。ただし、それがすべてだなんて思い上がってはいけない。

もっと簡単に言えば、地球で生まれた私達が他の惑星に地球と同じように住めると思っているのと同じ概念である。こんなことは誰でもわかることだが、実際にこれと同じような考え方でいるのと同じなのであるから恐ろしい。そしてそれに気付かないのはもっと恐ろしい。

私の今の仕事はありとあらゆる小宇宙の塊の中での仕事だ。ある意味大宇宙なのかもしれない。太陽のような燃え盛る星だけで構成された小宇宙もあれば、なんの光も熱も感じることが出来ない冷たく冷えきった小宇宙もある。それぞれ異なった小宇宙の集合体である大宇宙に、1つの小宇宙の考え方を持ち込んだところで、それが通用する訳がない。

これをフリーになって痛感した。私の仕事で最も大切なことは、その小宇宙の法則をきちんと理解し、その良い面をより活かしながら、新しいノウハウという法則をプラスしていくことで、大宇宙に適合させていくことであると自負している。

当然大宇宙に適合しないやり方でその小宇宙を無理矢理引っ張ろうとするとブラックホールに飲み込まれていく。そして宇宙の藻くずとして消えていくのである。

少し例えを引っ張りすぎたが、簡単にいえば、身に付けたスキルや考え方をそのまま下ろすのではなく、それぞれに違う環境の小売店の現状をきちんと認識して、それらに一番合うやり方を構築して提案する。これが私の仕事に一番大切な要素だと考えている。

無理にノウハウを押し付けるだけでは、その店に定着しないどころか、どんどんその店を追いつめていくことになる。
1つの小宇宙を知ったのならば、その他の小宇宙も知る努力をすることが大切である。そしてそれもまた自分の経験と知識と智慧となり、結果的に大宇宙も輝くのである。

小宇宙は大宇宙がなければ存在出来ない。

大宇宙がなければ小宇宙は生まれない。

そしてそこに生きる星たちを輝き続けられるようにすることが、私の仕事である。


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2010年6月22日 (火)

作品と商品

友人で染色家の仁平幸春氏の「レース柄の帯展」に行ってきた。
レースのような繊細で立体感のある柄を染めで表現するのは相当難しい。レース柄は数多く存在するが、大抵は型染やインクジェットなどのデジタル染色である。超高級品ならば手描友禅もあるが、それでも奥行きを出すのは非常に難しい。だからほとんどのレース柄は2次元的表現になりがちだ。

しかしながら仁平氏のレース柄は手描友禅にロウケツ染を施す。繊細さは友禅染めで表現し、立体感をロウケツ染で表現するのだ。これがまた絶妙な表現であり、遠くから見たら本当にレース刺繍でもしてあるかの如くの表現力だ。

特にロウケツ染はある程度計算していても、染上がりが読み難い。どんなに予測出来ていても最後は自然が決めるため、思惑通りにいかないことが多い。だから繊細な柄にロウケツ染は使い難いのだ。これは陶芸の世界、いわゆる焼き物と同じである。

それをものの見事に操り、レースのリアルさを出している。仁平氏は染色と陶芸の共通点である「作為的な無作為」を見事に表現しているのである。本来ならもっと多くの人に彼の染色を見て欲しいものだ。

同じ日、仁平氏の工房に染織家である西川晴恵氏も加わり、いつも通り居酒屋でもの作り談義に花が咲いた。その中で3人が共通した認識をもったのは「作品」と「商品」についてである。

作品」は文字通り作られた品物であり、その善し悪しを他人に評してもらうことである。一番わかり易いのは「日展」や「二科展」といった展覧会にて評価者によって選出され、一般の人に鑑賞してもらう。そこに出るものは、「作品」である。

一方「商品」は商いをする品物。いわゆる売り物である。それは個展であっても店に陳列されていても、その品物に値段がついていればそれは間違いなく「商品」である。だからその品物の評価は買って頂くことである。


二人の著名な作家を目の前にその話を持ちかけてみると、ある意味予想外の反応が返ってきた。その二人も作品づくりでなく、常に商品づくりをしているとの答えであった。もちろん嬉しい誤算のような答えである。

二人に言われて気付いたが、確かに過去の歴史に残る芸術家達も作品ではなく商品を作っていた。ラファエロもダヴィンチも常に彼らに絵を依頼するパトロンが存在していたし、その報酬が気に入らなければ仕事を引き受けなかったという。モーツアルトやバッハなどの作曲家も作品づくりではなく、依頼によって引き受けた商品としての楽曲を作っていた。

映画「アマデウス」の中で、モーツアルトの才能に嫉妬するアントニオ・サリエリが仮面を被った謎の依頼者に扮し、レクイエムの作成を依頼する。それも最初は断るが報酬の良さから引き受ける。まさにその時点で「レクイエム」という立派な商品づくりであることがわかる。

日本でも同様だ。尾形光琳は沢山のデザインブック、いわゆる雛形帳を作り販売していた。宮崎友禅も扇絵師でありそれで商売をしていた。各時代の幕府お抱え絵師である狩野一族も依頼されて描く商業絵師であった。

そう考えると世の中で作家といわれている人たちは、商品を作っているのである。そしてその商品が売れることによって生計がたち、次の商品づくりに入れるのである。当たり前のことだが、そうでなければ作家という職業は絶対に成り立たない。

しかし今、作家の多くは「作品」を作ってしまっていると感じる。何故なら、1つ1つを見ればどれも素晴らしいものであり、その作家の特徴や技術が詰まっているのだが、お客様からは商品として見られていないことが多いからだ。すなわち、お客様にとって興味はあるが、欲しいという評価には至らないからである。いわゆる作家の自己主張が大きく、きものなら着る人をイメージ出来ていない場合が多いからである。


もっと簡単に言えば、「こんなに素晴らしいものを作ったのだから、誰かに絶対買ってもらえるだろう。または評価してもらえるだろう」という考え方だからである。これはプロスポーツ選手が「こんなに練習して努力してきたんだから絶対に試合に使ってもらえるだろう」と思うことに良く似ている。そこには監督やコーチといった評価する人がチームとして何をその選手に欲しているかという部分がなく、その望みは叶わないことが多い。それと全く同じと行っても過言ではない。

以前、非常に人気のある加賀友禅の女流作家とお話しした時の言葉を思い出した。
「加賀の作家は絵描きではないんです。着る人がいてはじめて存在価値がでるのです。だから私は図案や色挿しをする時も常にこのきものはこんな人が着たら素敵だろうなとか、こんな人に着て欲しいとイメージして作るのです。そうでなければただのお飾りになってしまいますから」

使う人を常にイメージする。買い手(使い手)の気持ちを常に意識しながら物づくりをするというのは、特に日本の伝統工芸には必要なのではないかと感じる。

作家や伝統工芸の作り手の素晴らしい技術力は世界に誇れる物である。これは声を大にして間違いなく言える。ただし、作り手の想いが使い手の想いを上回り、それが返って仇となっていることも多々ある。マーケティング用語で言えばプロダクトアウト発想だ。

「作品」と「商品」はモノづくりをする段階において気持ちや考え方というソフトな部分において似て非なる物である。

同じ技術力であるなら、1人でも多くの人に使ってもらえるように、着物なら着てもらえるように、「作品」と「商品」の違いを意識して欲しいと個人的には思う次第である。

今回の内容は作り手や作家と言われる人からは批判される恐れもあるかもしれない。しかし、モノは使ってナンボ。使われて初めてその真価が発揮されるのである。

もう一度私は言いたい。値段がつくものは商品である。そして値段を付ける以上、そのものの評価は売れることによって決まる。

やはりそう考えると「作品」と「商品」は違うのである。


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2010年6月20日 (日)

悲観的に準備し、楽観的に実行する

ワールドカップ第2戦オランダ対日本をテレビ観戦した後、このブログを書いている。
第1戦のカメルーン戦も日本の良い意味での予想を覆す素晴らしい試合で勝利し、今日のオランダ先でも惜敗ではあったものの素晴らしい試合であったと素人ながら思う。

私は昔からそれでもサッカーは好きで、高校が帝京高校だったこともあり、先輩や同級生にJリーガーも何人かいた。日本代表であったり、今は亡き横浜フリューゲルスのキャプテンを務めた同級生もいる。また、珍しい所で中山雅史選手の愛称「ゴン」の名付け親も同じクラスの同級生であった。もちろん年齢が年齢だけに現役はいないが。

余談はさておき、ワールドカップ前の日本代表は精彩に欠き、岡田監督も進退問題が持ち上がるほど批判をされた。結果を出せない、戦術がおかしいなど、マスコミやサポーターは残酷なほどその時その時の状況から批判し倒した。
以前と違い、ワールドカップに出場することが当たり前になってきたような風潮であり、当然ファン達はその先の結果に夢を見るようになっている。期待の大きさがそういった批判に結び付いていると考えれば無理もないことだ。

私はサッカー観戦は好きだが、専門的なことはわからないので詳しくはわからないのだが、岡田監督をはじめ日本代表選手の面々は相当なストレスやジレンマと戦いながら準備してきたのではないかと感じる。その訳は、本大会の試合を見る限り、正しい準備と努力をしてきたからだと感じ取れるからだ。

当然のことながら、グループリーグを勝ち抜くために、対戦国であるオランダ、カメルーン、デンマークのデータを徹底的に分析し、練習自体も全体的な戦略と各対戦国を想定したメニューで練習を組み立ててきたのだろう。日本代表の持ち味はなんといっても組織力。そしてそれを機能させるためには、レベルの高い戦略と戦術に、代表全体が機能体かすることが絶対的に不可欠である。それがしっかり出来ているということは、相当何かに裏付けれた正しい目標設定とそれを選手全員に理解させる指導力と正しい練習が出来ているということである。

いわゆる「キチンとした準備」が出来ているということなのだ。

私が小売店時代に今でも師匠といえる当時の店長から教わった素晴らしい言葉がある。
「悲観的に準備をし、楽観的に実行せよ」という言葉である。

準備をする段階で、きちんと計画が出来ていてもその通りにいかない、または想定外の問題が噴出する。準備段階というものは誤算の宝庫だ。
しかしながらそれを楽観的に捉えてしまうと、問題点をあやふやにしたり、ひどい時には気付かなかったりして、結局万全の準備とはいかない場合が多い。
だからこそ、あえて悲観的に準備することでこれでもかこれでもかという気持ちで取り組むことが出来る。

そしていざ実行すべき時が来たら、今度は楽観的に実行することが大切だ。実行段階でも不安や悩みなどのネガティブ要素を引きずることは、実行という一番パワーが必要な部分で充分な力が発揮出来ない。これは非常に勿体ないことであると同時に結局それなりの結果しか出てこない。

やはり、本番で全力を出し切り、自分の力以上のものを出すためには、悲観的に準備をして、楽観的に実行するしかないのだ。
当然、準備段階での正しい目標設定や計画立案は大切である。肝心要の部分が誤っていれば、いくら一所懸命に努力したところで良い結果には恵まれない。であるから、戦略的な部分は相当根を詰めなければいけない。

そういう意味では、サッカー日本代表も恐ろしいほどに悲観的に準備をしてきたのだろうなと今日の試合を見て感じた。そういう意味では、どんなにバッシングされても自分の考え方をブレずに、しかも選手達を信じてチームマネジメントを押し進めていく岡田監督はある意味「名将」の称号に相応しい。ただし勝負の世界であるから望まれる結果が出て初めてそう呼ばれて評価されるのだが。

ちなみに間違って欲しくないのは、ここでいう「悲観的」とはすべての事に対して十二分に熟慮して準備するという意味であって、全てを投げ出すことではない。何事も準備はより深く、より適切な目標設定や戦略立案をすべきなのだ。

私も複数の店舗のコンサルティングをしているが、それまでの準備は悲観的というより悲惨である。毎回毎回冷静に数字を分析して、良い方法が見えていても他の問題点が必ず出てくるなどなど、小売店によってすべて問題点が異なるから悲観どころか、時に絶望感漂う気分での準備となる。まさに悲観の極みだ。
しかしながらそれがあるからこそ、入店指導は自信を持って楽観的にできるのである。

誰でも準備段階から100%の自信と確信を持っている人などいない。言葉で大丈夫といっていても内心は不安要素がたくさんあるはずだ。それを認めて深く掘り下げて準備をすることが、成功の近道であると考える。

日本代表はこれからデンマーク戦に向けて、より悲観的に準備をすることだろう。そして楽観的に試合に望むことによって、必ずやグループリーグ突破をしてくれるだろうと信じている。

私も毎日が悲観的な準備だ。そしてお店の方々が笑顔になるために現場では楽観的に事を進める。

すべては良い結果を生むために・・・。


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2010年6月16日 (水)

描くことの大切さ

全国的にやっと梅雨入りとなった。
こういう場合は当たり前だがふた通りある。空梅雨になるか、夏が来ないか。今の所は空梅雨になるのではという予想が多いようだ。ただ、日本の気候は季節の変わり目にある程度の雨が必要であり、農業も産業もそして生活もその季節の気候を基準にしている場合がほとんどであるため、空梅雨というのも大きな問題である。

特に農業の世界は気候との戦いである。私も数人ほど農業従事者の友人がいるが、話題として共通することは天候である。日照時間や雨量などは最大の関心事であることは間違いない。

皮肉なもので日照時間が少なければ作物の成長に大きな影響を与え、逆に雨量が少なければ農業用水の確保などの水の確保に支障をきたし、結果的にはやはり作物に大きな影響を与える。特に最近は環境破壊が原因といわれている大きな気候の変化によってダメージを受けていることは言うまでもないことである。

もちろん日本の季節に合わせた農業のスタイルが基本であるが故に、農業従事者は自然と年間計画をその経験によって頭の中に描いている。そしてそれを基本としながらその年その年の気候の変化に合わせて、いま何をすべきか?を全てわかっている。これは経験則から形成された知恵だ。

ある店のコンサルティングで目に見えることの大切さを改めて痛感したことがあった。

その店は好立地であり、地元の認知度も高く、呉服小売店としては全国でも屈指の好条件の店である。ところが、最近の売上の苦戦からここ数年どうしても売上の大きい催事偏重型営業の傾向になってきており、その売上を穫る催事さえも厳しくなってきた。そこで私の提唱する店頭営業と催事営業の両輪を回す店運営に共感してもらい、顧問契約することになった。

もともと非常に栄えている商店街に店が位置するため、平日も休日も人通りは非常に多い。もっといえば、ショッピングセンター等にテナントとして入っているインショップ型店舗の客数よりも比べものにならないほど多いのではないかと感じるくらいだ。
しかしながら、そこに長くいるとそれが普通だと思ってしまい、平日の人の流れは少ないと思ってしまう。これも大きな落とし穴になる。他のロードサイド型店舗は、誰も店の前を1日通らないなんて普通にあるからだ。そのなかでも営業しなければならないことを考えると、天と地の差であることを改めて認識しなければならない。

そしてなにより、その気付いたことというのは、目にみえる営業計画表の重要性だ。例えば3ヶ月の流れを文章で捉えると、催事をその期間にいくつ入れようとただの予定一覧となりどこで、なにを、どのようにするのかをキチンと落とし込むことが出来ない。だから物理的に無理なことも、文章の予定表だと普通に入れてしまうのである。これは小売店の計画を出してもらうとほとんどの店舗がそうである。

人間のもっとも優れていることの1つに文字を書くことがあり、さらに絵を描くことができる能力がある。マネジメントを段階に分けた場合に、1つめは「言葉で説明する」がある。2つめは「文章で説明する」である。ほとんどの場合はここまでである。しかし、一番伝わるのは3つめの「絵に描いて説明する」である。

これはなにもお絵描きをするのでなく、だれもがパッと見て良くわかる説明が心底伝わるのである。私の好きなアップルのスティーブ・ジョブズが何故世界一のプレゼンターといわれるかというと、もちろん話し方、抑揚、ストーリー性、アクションなどもそうだが、それをより効果的にしているのは背景にあるkeynoteを使用したアニメーションスライドだ。あれがなければ、いくらジョブズとはいえども伝わらないのではないかと感じる。

話を戻して、その店舗の3ヶ月間を図表にして経営陣に説明してみせた所、皆愕然とした。私も作りながらすでに愕然としていたのだが、なんと3ヶ月の間に催事が7つも入っていたのである。それぞれの催事は平均4日間であるから、単純に考えると90日間の3分の1は催事をやっていることになるのだ。しかも、店頭を強化したいと思っていながら、浴衣や振袖をお店に沢山見にくる7〜9月という絶好の期間にだ。

これこそ、文章だけで計画することの落とし穴だ。私は計画表は必ず図表にするが今回のコンサルティングで改めて「絵を描くことの重要性」を痛感した

ブログ読者の皆さんも、様々な仕事の中で計画表や予定表は必ずと言っていいほど作成することだと思う。
是非とも確認の意味でもそれを図表してみることをお勧めする。そうすることによって気付かなかった見方が生まれるかもしれない。

ちなみ私は美術的な絵は最悪の成績だったことだけ付け加えておく。

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2010年6月11日 (金)

話し手と聞き手

今週からきもの専門学校での授業が始まった。
私が担当する授業は「商品企画・マーケティング」だ。毎月に1度の授業を通してプロと同じように「作品」ではなく実際にお客様に売るための「商品」を作っていく。そのためにきちんとしたマーケティングをし、グランドデザインを作り、商品企画書を作成した上で原料調達、商品製作、パッケージングを経てお客様に販売するという一貫した流れを全て学生個人個人がやっていくという本格的な授業だ。

今週はまず「呉服業界の流通と仕組み」を講義し、その後に「商品企画の基本」「実践流れ」と合計3コマの授業を行った。

初めて顔を合わせた学生たちは、もちろんごく普通の女性ばかりであるが、それぞれが皆、着物が好きで和裁や着物そのものを一所懸命に学んでいるのだなと思うと心から嬉しくなる。だからこそ、呉服業界の現状はしっかりと正しく伝えながらも、そこから未来に夢が持てるような授業をしなければいけないと真剣に思った。

1コマ目は「呉服業界の流通と仕組み」についての講義を実施した。生産者からメーカー、問屋、小売に至るまでの大基本の流通構造とそれぞれの役割と現状。そしてそこからまた細分化した流通の仕組みなどをわかり易く講義したつもりだ。生徒を4人並ばせて、生産者から小売に見立てて売り買いの流れから小売値段が決まっていく仕組みを説明したりした。学生達はかなり興味深く聞き入ってくれているようであった。

2、3コマ目は「商品企画と実践」について講義を実施し、まずはどういう流れで商品製作をしていくのか?ということを1つ1つの項目を時間を掛けて行った。上記でも述べたが、よくありがちな卒業制作的な作品制作なら、自分で決めたテーマとそれにあった材料があれば後は修得した技術で作り展示するだけだ。

しかし、今回はお客様に実際に販売するための「商品」をつくる。だからまずはマーケティングから必要になる。商品マーケティングは様々な方法が存在するが、まずは難しいことよりも「誰に」「何を」「どのように」に沿ったシンプルな考え方で入った。企業バイヤーでいえば「戦略的商品分析」となる部分である。

ただ学生達には柔軟な発想と自由であることを尊重し、制約や枠に当てはめないということを強調した。ここで「こうしなければ」というものを作ってしまうと学生達の個性や柔軟性を消してしまうことになる。ただヒントや考え方だけは多少示さなければこれもまた悩んで妥協してしまう。この加減が難しいところだが、何とかそこは伝えられているのではないかと思っている。

授業を気付くことは、初めは緊張して講義を聴いていたのか、あまりリアクションを感じなかったが、講義が進むにつれ食い入るように聞いている人、うんうんと頷きながら聞いている人、しきりにメモを書き込んでいる人などそれぞれのリアクションが強く感じられるようになってきた。

面白い話には笑い、問題のある話には真剣な眼差しになったりとリアクションであるが打てば響く状態になったのは理解と共感が少しずつ得られている証拠であるが故に非常に嬉しいことである。

これが企業のコンサルティングの中でのセミナーや会議になるとほとんどの人が中々響いてくれないものである。もちろん話し手のプレゼンテーション力も要因となるのだが、どこかで「理想と現実は違う」「そうはいっても」「面倒くさいことが増える」などといった悪い経験則からなる聞き方をしがちである。そうなると例え世界一のプレゼンテーション力と言われているスティーブ・ジョブズのプレゼンでさえ響かない。

やはり話し手の技術も絶対的に必要であるが、聞き手の姿勢も絶対的に大切である。過去の経験からも成績の良い小売店でのミーティングは社員達の聞き方が素晴らしい。リアクションも大きく、常に何かを求めようとする聞き方である。まさに打てば響く状態である。


これから私が呉服企業や小売店で話をする時に、どうすれば聞き手がこういう状態になるかを考え、意識して話さなければならないと強く感じている。
何故伝わらないのかを聞き手に対して憤りを感じるのではなく、伝わらない話し方をしている自分がいけないという思いを持つことが大切なのではないかと最近になって強く感じる。

聞き手の姿勢は大切である。しかし、話し手となった時自分がどれだけ相手が聞く姿勢になってくれるような話し方や話の進め方が重要である。

話を真剣に聞いてもらえないと嘆く前に、自分の話し方に問題がないかをチェックすべきである。


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2010年6月 7日 (月)

念ずれば花開く

私の大好きな言葉「念ずれば花開く」は私の座右の銘としている。
この言葉は元楽天イーグルス監督野村克也氏がよく使っている言葉である。もちろん私も野村氏の大ファンであり、数々の著書を読み過去も現在も仕事の考え方として役立てている。

いつか直接お会いしたいと夢見ているが、雲上人だけにこれだけは念じても無理な話かもしれない。

振り返ってみると私は常に自分がこうなりたいと念じていたかもしれない。社会人になってからは、入社当時から憧れていたバイヤーという職種になることを将来の夢として念じていた。

特に当時の㈱やまとのバイヤーは原料から製品に至るまでありとあらゆる知識をもっており、取引先からは一目置かれていた。特に商談においては全てをわかっているため、各メーカーの担当者のほとんどは社長または部長以上のクラスが担当となっていた。

また一切の接待を禁止、中元、お歳暮などの心付けも一切受け取らない。問屋やメーカーの展示会の粗品まで拒否をするほど取引先との対応も徹底していた。
そんなバイヤーになれるのは当時全社員数約2000名のうちのたった13名であり、まさに実力と運でしか叶わない夢の中の夢であった。

それを夢見る私は新人当初から希望をし続け、とにかく営業で実績をあげることが絶対に必要な条件と考え、現場で必死に営業した。心の底から「こうなりたい」と強く念じると不思議なことに無意識のうちに様々なことをやっているものだ。

例えば、休みの日には色彩感覚やデザイン感覚を養うために様々な美術館や博物館に勉強にいっている自分がいた。また夏期休暇などのまとまった時間を使って全国の着物産地に出向きその工程やそれに従事する人達に色々と話を聞くなどもしていた。また、沢山の専門書を読んだり、同業他社を見て回ったりと何かと将来役立つと自分なりに思い込んでやっていた。

それもすべては憧れのバイヤーになるために、強く念じる自分が自然とそうさせていた。人間は、「こうなりたい」と心底思うことで「そうなる」に近づくように行動するらしい。自己実現の心理作用とでもいうのか、それぞれの世界で活躍している人の多くが、その仕事を夢として追い続けてきた人が多い。もちろん全ての人がそうだとは言えないのかもしれないが、強烈に「こうなりたい」という思いは向き不向きを超越するらしい。人間の意識というものはすごいものである。

そして今、独立し着物業界に特化したビジネスコンサルタントをしている。今の夢は呉服業界を支える専門店の活性化に注力している。これは私の大きな目標である「夢が持てる呉服業界の実現」の具体的な活動だ。店を出している以上、「店はお客様のために存在し、日々の店頭で売るということが大切」ということが私の拘りである。ただし、今は理想の段階であり、その拘りが実現して初めて夢は叶うのである。

いまでこそ、問屋、悉皆、ネット、学校、そして各小売店などから依頼を受け幅広く業界のために仕事が出来ているが、初めは誰にも相手にされなかった。
しかしながら、この業界になんとか貢献したい、これからの若い人たちにとっても希望の持てる業界にしたいという念ずる気持ちが自然とその方向に向くような行動になっていたというのが今の状況を作り出した要因ではないかと思う。

そしてこれからは、依頼されているクライアントそれぞれの問題に対して全霊を傾けていかねばならない。そしてそうすることが、「夢が持てる呉服業界の実現」という自分の夢に間違いなく繋がっていくのである。

夢は実現すると思い込まなければタダの理想で終わってしまう。
絶対にこうなるんだという強い願望が自分をその実現に向けて動かすはずである。

私も夢の実現をするまで念ずる。そうすればきっと花は開くはずである。


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2010年6月 6日 (日)

漢方薬のすすめ

人は痛いところや苦しいところがあるとすぐに治したいと思う。これはごく当たり前の本能だ。もちろん人に限ったことではない。生きとし生けるものは皆そうだと思う。ただし、そこには「薬を使う」という知恵があるかないかということにもなってくるが。

例えば、腹痛なら正露丸。頭痛、生理痛ならバファリンなど早く効く薬を求める。そしてそれらを服用することによって、個人差はあれど早く効果が現れて痛みは緩和する。それでも効かない場合は、他に原因があるということであり、医師に診察してもらうことが適切であることは言うまでもない。

ただ、早く効く薬で治る腹痛や頭痛の原因はそんなに深く考えないものである。薬を服用して痛みが治まれば、大したことはなかったんだと簡単に自分で判断する。ただし、家庭の医学などを読んでみると、そういった大したことの無いような痛みなどが、実は根本的な原因が別にあることがあるから恐ろしい。
早く効く薬は時に、重大な疾患の発見を遅らせ、進行させてしまう場合もあるのだ。

そういった意味で、最近漢方薬がますます注目されている。その理由は、原料がすべて天然のものであり、即効性はないものの、正しい服用を継続していれば、ゆっくりと体質自体を改善し、自然治癒力を高めてくれる。そして体に負担が掛からないように完治へと導いてくれるからだそうだ。すべては薬草という自然の恵みによって体の内部からゆっくりと治してくれるものだと感じる。


いよいよ、問屋と小売の協業という形をスタートした。中小規模の小売店が存続し、それによって問屋という重要な役割のカテゴリーも共生し、互いが永続的にWin-Winの関係を作るという中長期的でどこも着手していない、または中々出来ないプロジェクトだ。

呉服業界は確かに厳しい。だから誰でも目の前の結果が欲しい。どんなに素晴らしい理想や考え方を掲げたとしても、売上が取れなければ明日をも知れぬ状態の小売店や問屋、メーカーは山ほどある。だからどうしても即効性の薬を飲んでしまう。それが「催事」である。

このことは何度もブログで書いているが、「催事=麻薬」であり劇薬なのである。初めて使うと大きな効果を感じられるが、その次は初めてのときよりも効果は減少するそうだ。それに気付くか気付かないかで破滅のスピードは変わる。そして麻薬を思い切って絶つことで身の破滅を回避出来るのである。

しかし、それをわかっていながらもほとんどの小売店は催事依存から脱却出来ていない。コンサルティング会社主催のセミナーも、そのほとんどが催事の成功ノウハウであり、店頭営業のノウハウがいっこうに聞こえてこない。無理もない。呉服の店頭営業指導は呉服の店頭営業経験を永く積まなければ絶対に身に付かない。理論では通用しないことが沢山あるからだ。

もうひとつは、それを必死になって掲げたところで、ほとんどの企業が目の前の結果しか見えていないからそれさえも受け入れてもらえない。ここまで厳しいとほとんどが特効薬しか欲しがらない。これが現実であった。

しかしここで、これからは「店頭で売ることの大切さ」が絶対に必要であるということに共感してくれる問屋や小売店が表れた。特効薬が効かなくなり、根本的に何かを治さなければいけないということに気付いてくれたのだ。

もちろん一口に言って小売店といってもそれぞれに問題は異なる。立地がインンショプかロードサイドかでも全く違うし、商圏が異常に小さいとか、商店街から外れたところに店があるとか、店に入店するお客様はほとんど皆無に近いとかそれぞれに全く違うのである。

このように各店におかれている立地条件や営業の仕方、地域性、商圏、従業員の方々などなど全く違う中でどう店頭営業としての活路を見出し、今まで特効薬に頼りすぎていた分、催事とのバランスをとっていくかが茨の道であるがそれが正しい道だと確信している。


私としても今の時代に合ったITの活用や様々な観点からの先進的な営業も研究し、今後取り入れられるものは積極的に取り入れていきたい。しかし私が取り組むべき小売店は家業小売として地方で尚かつ家族、親族で試行錯誤をしながらやっとの思いで取り組んでいる圧倒的大多数の小売店だ。ここが元気にならなければ絶対に何も変わらない。

そしてそこに私は漢方薬を提供していきたい。すぐに大きな効果をもたらし、クセになる劇薬ではなく、継続と徹底により、じっくりと根本から体質を改善し強い体を作る漢方薬をあえて選択する。

すべては呉服業界の小売総売上シェア30%を占める絶対に亡くしてはいけない全国の中小規模の専門店にこの身を捧げるつもりで貢献していきたい。

しっかりと続けられる漢方薬を持って。


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