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2010年6月22日 (火)

作品と商品

友人で染色家の仁平幸春氏の「レース柄の帯展」に行ってきた。
レースのような繊細で立体感のある柄を染めで表現するのは相当難しい。レース柄は数多く存在するが、大抵は型染やインクジェットなどのデジタル染色である。超高級品ならば手描友禅もあるが、それでも奥行きを出すのは非常に難しい。だからほとんどのレース柄は2次元的表現になりがちだ。

しかしながら仁平氏のレース柄は手描友禅にロウケツ染を施す。繊細さは友禅染めで表現し、立体感をロウケツ染で表現するのだ。これがまた絶妙な表現であり、遠くから見たら本当にレース刺繍でもしてあるかの如くの表現力だ。

特にロウケツ染はある程度計算していても、染上がりが読み難い。どんなに予測出来ていても最後は自然が決めるため、思惑通りにいかないことが多い。だから繊細な柄にロウケツ染は使い難いのだ。これは陶芸の世界、いわゆる焼き物と同じである。

それをものの見事に操り、レースのリアルさを出している。仁平氏は染色と陶芸の共通点である「作為的な無作為」を見事に表現しているのである。本来ならもっと多くの人に彼の染色を見て欲しいものだ。

同じ日、仁平氏の工房に染織家である西川晴恵氏も加わり、いつも通り居酒屋でもの作り談義に花が咲いた。その中で3人が共通した認識をもったのは「作品」と「商品」についてである。

作品」は文字通り作られた品物であり、その善し悪しを他人に評してもらうことである。一番わかり易いのは「日展」や「二科展」といった展覧会にて評価者によって選出され、一般の人に鑑賞してもらう。そこに出るものは、「作品」である。

一方「商品」は商いをする品物。いわゆる売り物である。それは個展であっても店に陳列されていても、その品物に値段がついていればそれは間違いなく「商品」である。だからその品物の評価は買って頂くことである。


二人の著名な作家を目の前にその話を持ちかけてみると、ある意味予想外の反応が返ってきた。その二人も作品づくりでなく、常に商品づくりをしているとの答えであった。もちろん嬉しい誤算のような答えである。

二人に言われて気付いたが、確かに過去の歴史に残る芸術家達も作品ではなく商品を作っていた。ラファエロもダヴィンチも常に彼らに絵を依頼するパトロンが存在していたし、その報酬が気に入らなければ仕事を引き受けなかったという。モーツアルトやバッハなどの作曲家も作品づくりではなく、依頼によって引き受けた商品としての楽曲を作っていた。

映画「アマデウス」の中で、モーツアルトの才能に嫉妬するアントニオ・サリエリが仮面を被った謎の依頼者に扮し、レクイエムの作成を依頼する。それも最初は断るが報酬の良さから引き受ける。まさにその時点で「レクイエム」という立派な商品づくりであることがわかる。

日本でも同様だ。尾形光琳は沢山のデザインブック、いわゆる雛形帳を作り販売していた。宮崎友禅も扇絵師でありそれで商売をしていた。各時代の幕府お抱え絵師である狩野一族も依頼されて描く商業絵師であった。

そう考えると世の中で作家といわれている人たちは、商品を作っているのである。そしてその商品が売れることによって生計がたち、次の商品づくりに入れるのである。当たり前のことだが、そうでなければ作家という職業は絶対に成り立たない。

しかし今、作家の多くは「作品」を作ってしまっていると感じる。何故なら、1つ1つを見ればどれも素晴らしいものであり、その作家の特徴や技術が詰まっているのだが、お客様からは商品として見られていないことが多いからだ。すなわち、お客様にとって興味はあるが、欲しいという評価には至らないからである。いわゆる作家の自己主張が大きく、きものなら着る人をイメージ出来ていない場合が多いからである。


もっと簡単に言えば、「こんなに素晴らしいものを作ったのだから、誰かに絶対買ってもらえるだろう。または評価してもらえるだろう」という考え方だからである。これはプロスポーツ選手が「こんなに練習して努力してきたんだから絶対に試合に使ってもらえるだろう」と思うことに良く似ている。そこには監督やコーチといった評価する人がチームとして何をその選手に欲しているかという部分がなく、その望みは叶わないことが多い。それと全く同じと行っても過言ではない。

以前、非常に人気のある加賀友禅の女流作家とお話しした時の言葉を思い出した。
「加賀の作家は絵描きではないんです。着る人がいてはじめて存在価値がでるのです。だから私は図案や色挿しをする時も常にこのきものはこんな人が着たら素敵だろうなとか、こんな人に着て欲しいとイメージして作るのです。そうでなければただのお飾りになってしまいますから」

使う人を常にイメージする。買い手(使い手)の気持ちを常に意識しながら物づくりをするというのは、特に日本の伝統工芸には必要なのではないかと感じる。

作家や伝統工芸の作り手の素晴らしい技術力は世界に誇れる物である。これは声を大にして間違いなく言える。ただし、作り手の想いが使い手の想いを上回り、それが返って仇となっていることも多々ある。マーケティング用語で言えばプロダクトアウト発想だ。

「作品」と「商品」はモノづくりをする段階において気持ちや考え方というソフトな部分において似て非なる物である。

同じ技術力であるなら、1人でも多くの人に使ってもらえるように、着物なら着てもらえるように、「作品」と「商品」の違いを意識して欲しいと個人的には思う次第である。

今回の内容は作り手や作家と言われる人からは批判される恐れもあるかもしれない。しかし、モノは使ってナンボ。使われて初めてその真価が発揮されるのである。

もう一度私は言いたい。値段がつくものは商品である。そして値段を付ける以上、そのものの評価は売れることによって決まる。

やはりそう考えると「作品」と「商品」は違うのである。


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コメント

ブログ拝見して、以前展示会場でお会いした、新潟の草履屋さんが「
作った物は自分で売らなきゃ!」と言われていた言葉を思いだしました。さて、仕事に臨む時、私は何かモチベーションを持っているかと、考えさせられるブログでした。

投稿: @sugatann | 2010年6月23日 (水) 11時36分

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