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2010年10月

2010年10月15日 (金)

「多様性きもの」の可能性

かなり久しぶりのブログ更新となったが、その間様々な現実と変化や考え方に直面してきた。産地はモノづくりが出来るかできないかで困窮している。メーカーは新しいモノよりも現状売れるモノに傾向せざるを得ない。問屋はモノが流れず相変わらず小売の催事に入るか入れないかが営業の生命線だと信じている。多くの小売店は売れた売れないの現象面だけを端的にとらえて、自店の数多く存在する顧客という大きな財産を知ろうともせず、売れる顧客のみを回転させる「会員制クラブ」のような営業を延々と続けている。


私自身はまず川下の改善を最優先事項とし、「これからの店の在り方」「顧客管理」「店頭活性」「顧客の再生」「社員教育」などを中心に取り組み、少しずつではあるがその新しい芽が息吹きつつある。催事で一気に売上がとれるような劇薬的な効果はないものの、社員の考え方、経営者の考え方、店の変化が徐々に変化することにより、顧客が変化してくる。まさに体質から改善する漢方薬だ。


どの世界にも言えることだが、呉服業界も例外なく生態系が存在する。
糸を作るからはじまり出来上がった着物を着る人まで、想像以上の人が関わっている。1つの商品が消費者の手に渡るまで何か1つを飛ばしたり、変に弄ることで違うものが出来たり、クオリティに差が出たり、何かの工程や技術が淘汰されたり絶滅したり、価格に大きく影響したりと、はたまたそれによって着る人に変化や変異が起きたりと生態系は良い意味でも悪意味でも変化していく。


そう考えると呉服業界は長い間生態系がある程度維持されてきた業界であると言える。数々の激動の時代という天変地異にも耐えてきた。またその複雑で独特な流通構造は数々の外敵から身を守り、「日本衣文化の象徴」という強固な鎧で弱肉強食の経済の生態系の中で弱くもなく強くもない不思議な力で生き延びてきた。


奇しくも今世界では「生物多様性」というkeywordがクローズアップされている。「生物多様性」とは複雑な定義があるようだが、どうやら地球上のあるゆる生物を定義づけることで全ての多様な生物の存在意義の認識を定義づけているようである。現在生物多様性の脅威として外来種による生態系バランスの崩壊や地球温暖化からの気候変化による生態系の変化や異常などが議論されているそうだ。


話を戻すと、着物が今のようなマーケットの縮少を辿ったのは決して洋服という外来種の出現が原因ではないと私は考える。呉服市場がライフスタイルの変化を偏った方向で捉え、新しいライフスタイルへの対応を怠り、ビジネス中心の商材として捉えてしまったことにあるのではないかと感じる。


現実的に今のライフスタイルの中ですべての人が着物を着て仕事もプライベートを過ごすようになるとは到底思わない。もちろん着物を着て毎日生活することは可能であり、そういう方々も数多く存在するのも確かだが、人間は時代や社会の流れの中で順応して生きるものであるから、どんなに着物を愛していたとしてもすべての日本人が着物を着て生活するということは、やはり現実的ではないと思わざるを得ない。


しかしながら業界の人間として思うことは、新しいライフスタイルの変化とともに、着物も着方やスタイリングの変化などをする努力が出来たはずだと感じる。それまでも幾多の歴史の中で時代の変化に対応すべく着物そのものも変化してきた。少なからずとも今のお端折を要した着方は江戸末期から明治にかけて確立してきたものだ。現に誰もが知っている歌川広重の東海道五十三次の絵の中の庶民の着方は対丈の引きづりをシゴキにて捲し上げている。東海道五十三次が描かれた頃は1833年といわれているから今から177年前。明治元年が1868年であるから本当につい最近までの着物の着方は今の着方と異なることがよくわかる。


風俗研究者によると今の着物の着方は洋服に合わせて変化してきたという説が有力であり、日本の衣文化がきちんと時代の変化に対応してきたとも言える。


生態系に例えれば、着物という生物はきちんとその時代に合わせて進化してきたということでもある。このことをもう一度我々呉服に関わる者たちはきちんと捉える必要があるのではないかと感じる。

一方、このような考え方もある。
例えば、古着市場は多少は落ち着いたものの売上自体はある程度安定している。これは様々な古着を通してのスタイリング提案が確立してきているからだ。しかしながら分析してみるとその利用客は圧倒的に着物の着付けができる人が多い。なぜなら、古着は寸法がそれぞれ異なり、それをある程度しっかりと着るためにはある程度の着付け技術が必要だからだ。


私がバイヤー時代に古着を担当したときも、新しい顧客はある程度呼び込めたものの、そのほとんどが着物の着付けが出来る人であり、着物を着たことがないが憧れや興味を持っている絶対多数の新規客はなかなか呼び込めなかった経験がある。その証拠に売れ方はほとんど単品が多い。帯単体であったり、着物単体であったりと持っているものに合わせるという買い方が絶対的に多かった。
また古着市場の成長の要因は価格が手軽でありまさにリアルクローズであること。そしてスタイリングをイメージして安心して楽しく選べるということも大きい。


それから非常に参考になるのは黒紋付、いわゆる喪服と呼ばれるものの古着が普段着として着られていたり、黒紋羽織がおしゃれアイテムとしてコーディネイトされていたり、付け下げや訪問着を遊びっぽく着られていたりといわゆるフォーマルと呼ばれるものの着方が多様化されていることだ。


これからの着物を考えるとここから学ぶことは数多くあると思う。
まずは今、呉服屋では訪問着や留袖、黒紋付といったフォーマルの売上げは非常に厳しい。振袖においては購入する人よりもレンタルする人の方が圧倒的に多い。これは非常に残念なことではあるが、年に何回か或は一生に一度といったセレモニーに着るための着物を持つという考え方が大きく薄れてきたと言える。なのに着物販売はフォーマル中心の売り方というまったく消費者の感覚とズレているから余計に着物そのものから離れていく。

「着るモノである着物」が「売るものである着物」としか見られていない。これは本当に悲しいことである。


私はフォーマルを否定する訳でなく、フォーマルに適した着物という生態系を守っていくためにも、様々な性質を持つ幅広く「着ること自体」を楽しめるような多様性きものを生み出していく努力が必要なのではないかと思う。ここでいう「多様性」先に述べた「生物多様性」とは解釈が異なるかと思うが、様々な性質を兼ね備えたという意味での「多様性きもの」という考え方がリアルクローズとしての着物には必要なのではないかと思っている。


ではそれがどういうものなのかは残念ながら答えがない。そこからはメーカーの仕事だと思う。しかし今まで考えられてきた「兼用できる」という中途半端なものではない。一枚の着物がそのコーディネイトの組み合わせやスタイリングの変化によって様々な着方を楽しめる。こういうものがまだ着物を着たことのない絶対多数の入り口になるのではないかと思う。


その裾野を広げていくことによって、その中からより高みをめざす着物ファンが生まれ、結果的にフォーマルやカジュアルといったすべての着物の生態系を維持出来るのではないかと考えるのである。

今のライフスタイルに合う柔軟性を持ち、スタイリングの幅が広く、他のアパレルと価格的に遜色がなく、様々な性質を兼ね備えた「多様性きもの」というものに勝手に期待を膨らませているのは私だけだろうか?


生物は様々な進化を遂げ地球環境の変化に対応してきた。

着物というものを生物に例えるならば、消費者のライフスタイルという環境の変化に対応する変化をしなければ生きることは出来ないところまで来ているのではないかと感じる。

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