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2011年2月10日 (木)

未知の領域へ

先日、私の尊敬する東レ経営研究所客員教授であり、日本テキスタイルデザイン協会副理事長でもある坂口昌章氏のセミナーに参加し、その後食事をしながら様々なエキスを吸収した。

テーマは「心に響くブランディング」

その中でまさに目から鱗の言葉が今でも頭から離れない。「ブランドは消費者の感情を揺さぶるようなものでなければいけない」

今まで商品とは何か?どういうものが消費者の支持を得るのか?或は私のいる業界で考えればどんな着物が、どんな色柄が、どんなスタイリングが消費者の支持を得るのか?ということを売上傾向や過去の推移、マーケットリサーチなどごく当たり前のロジックで考えていた。

しかしながらそれは単なる現象でしかないということをこの一言で気づかされた。もちろんメーカーやSPA型小売業などがMDする場合、上記の作業は当たり前のように行う。ある意味いろはのいだ。確かに商品企画開発は経営資源を費やす最も重要なファクターである以上数的根拠や過去の実績、マーケティングによる検証は絶対条件である。しかしながらそこには数字と予測にもとづいたハードが整っただけでしかない。消費行動を数字で表した検証というハードである。

残念ながらそこには何故消費したのか?というソフトが足りない。消費者の消費行動には様々な理由がある。「有名ブランドのものだから」「自分の好みにあうデザインだから」「必要だから」「安かったから」「一目惚れしたから」など消費する動機は無限に存在する。しかしその多くに共通することは一種の感情を揺さぶられたからだとも言える。

いま求められていることは何が売れているのかに「何故売れるのか?」と「消費者はなぜそれを買うのか?」を加えることなのかもしれない。

さて着物においての物作りはどうかと言えば、供給側はいまだにプロダクトアウトそのものである。それは商品も販売もである。
もちろん日本の着物産地の生産技術は世界的にみても類を見ないほどの高い技術である。だから心の底から残って欲しい。

ただそれを誰かに使ってもらう為には誰かに買ってもらわなければならない。伝統を守るということはモノ作りをビジネスとして成立させなければならない。伝統工芸を心から愛している人からすればこういう表現は味気ない、冷たい表現に聞こえるかもしれない。ただ、伝統工芸やそれを作る人達が消えていっているのはそこにビジネスが成り立っていないからとも言えるのだ。

日本人のほとんどは伝統文化は大切だと言う。京都市の京もの戦略的マーケティング調査結果でも多くの人が日本の伝統文化の継承を望んでいることがわかる。しかしながら、お金を出して購入したいかどうかという問いには購入し使ってみたいという割合が32.7%。着物に至ってはたったの17.7%でしかない。この割合は都内に住む団塊の世代を対象にした調査結果であるが、ある程度の貯蓄額を持ち、スローライフを楽しもうとしてる世代ですらそうであるなら、全ての年代層に対して調査をした場合はもっと低い割合になることは言うまでもないだろう。

そこには技術としての価値や認識はある程度あっても、買ってまで使うほどではないという個々の意識がある以上そこにビジネスモデルは存在せず、口ではいくら伝統文化保護を叫んでもどうにもならないのが現実である。

ここで私の立場で何が必要かなどというつもりはない。

しかしながらなにかコトを起こしていく為にはどうすべきかを考えたいと思っている。

これまた先日西陣のお召メーカーである「秦流舎」の野中社長にお声掛けを頂き食事しながら色々とお話しする機会があった。
秦流舎のお召はご存知の通り、シンプルかつスタイリング提案で年代を問わず人気がある。また、前進は野中織物として様々な織物を世に送り出した圧倒的な技術力があるため、専門的に見れば恐ろしく高い技術でありながらそれをあえて前面に出さず、着物としてのスタイリングやデザイン性の高さで着物ファンの感情を揺さぶり続けている。まさに「格好いい」という言葉がぴったりである。

そんな野中社長がいま世に送り出して着実に人気が高まってきているものがデニムの着物ブランド「でにむどす」だ。
http://www.yuzuki-net.jp/konoshimaya/

もちろん昨今デニム素材のきものは沢山出ており、有名どころでは斉藤上太郎ブランドやくるり、居内商店などなど着物素材としてはすでに珍しくなくなってきている。もちろんそれぞれに特徴はあるが、この「でにむどす」は「きものであるがデニムとして着る」という面白さと秦流舎特有の格好よさがある。

そのコンセプトやスタイリング、商品などの詳細は私が語ることで面白みがなくなると困るのでHPなどを見てそれぞれが把握して欲しい。

私が野中社長との話の中で共感したのは、もはやターゲットや囲い込みなどの考え方は完全に古いのだということである。
特定の着物ファンというようなミクロな考え方でなく、またわかるやつだけがわかればいいなどというようなものでもなく、完全に1つのファッションとして発信している。しいていえば形状が着物であるということだけだ。

野中社長の言葉で「今の着物はすべてお姫様ごっこだ。江戸時代やらその前の時代やら着物が普通に着られていたのはある程度の階級の人間だけ。東海道五十三次を見ればよくわかる。庶民の衣装なんてそれこそメチャクチャ。なんでもあり。ならばあえて着物として発信し、スタイリングは格好よければそれでいいじゃないか」というものに激しく共感した。

秦流舎ブランドのお召しは「着物」としてはいわゆる正統派である。何かに傾倒した考え方ではなく、ラグジュアリーであれ、リアルクローズであれ全てキチンと知り尽くした上での全く新しい挑戦であるといえる。

これからこの「でにむどす」を今後どうブランディングしていくかが大きな課題であろうと思われる。また期待したいのは、まったく着物など興味がない、魅力をいまいち感じない、着てみたいけどあまり欲しいとは思わないなどといった圧倒的多数の人々に「着物という格好いいファッション」をどう知らしめていくかが実に楽しみである。


私としても着物に関わる人間として日本の伝統文化はこれからも伝承され続けて欲しい。しかし現実問題いくら「和の心だ」「文化保護」「世界に誇る伝統技術だ」と叫んでみたところで何も変わらない。刻々と時代は流れていくだけである。


こういった着物に取って新たなブランディングへの挑戦が目的は全く違えど、結果的に伝統文化や技術の継承や発展に繋がるのなら、それも呉服業界にとって大きな道標の1つになると私は思う。

坂口さんのいう消費者の感情をゆさぶるようなブランド構築というブランディングの根幹、そして野中社長の新たなる未知の領域への挑戦。これに対して様々な角度から学び、時には協力することで自分をより磨いていきたいと思う。


何事も最後は「心に響く何か」が人を動かし、世界を動かすのだと痛感した2011年のスタートである。

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