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2012年3月

2012年3月26日 (月)

きものトータルマーチャンダイジングの必要性

先日の24日の土曜日は着物ファンに大人気となっているUstreamの番組「あづまやきものひろばてれびじょん」にゲスト出演させて頂いた。いわゆるインターネット上でのテレビだが、毎週沢山の視聴者がSNSを使って出演者と対話しながら番組を進めていく形で、私はきものビジネスコンサルタントとしてきものの流通やこれからのきものの展望などを出来るだけわかり易くお話しさせて頂いたが果たしてどうだったか、これは大いに不安であることは間違いない。

そして翌日その流れで愛知キモノジャックに参加させて頂いた。

キモノジャックは京都が発祥で、「きものを着て様々な場所を歩ききものを着ること自体を各々が楽しむというゆるく、そして楽しいきものイベント」である。
そこには商業的な要素は全く無く、シンプルに着物ファンが自分なりの着方や工夫をして楽しんでおり、今では全国だけでなく、世界中に広まりつつあるイベントである。

昨日参加した愛知キモノジャックは名古屋城で行われ、不安定な天気と低温で寒い中ながら参加者が過去最高の120名越えとなりもの凄い盛り上がりとなった。
実は私自体はキモノジャックに参加するのはこれが初めてであり、京都キモノジャックが第1回目を始める準備をしている時に実際にそのメンバーとお会いしてお話を色々伺ってきたが、なかなかスケジュールが合わず参加出来なかったこともあり、陰ながら応援だけしていたという次第だ。

実際に参加して着物ファンの多様さや楽しむという本当の意味を理解出来たような気がする。
今までキモノジャックというイベントが様々なことをネット上で言われ続けてきているのはよく知っている。もちろん、着物の楽しみ方は人それぞれであり、1人で楽しもうが大勢で楽しもうが、あるいは着ないでも持つだけの楽しみ方など楽しみ方の決まった形は存在しない。ただ、「あんなのは着物の啓蒙にはならない」とか「結局呉服関連業者が絡んでいるんだろう」などといった批判にはハッキリと否定させて頂きたい。

今全世界で行われているキモノジャックは商業的な要素や何かの利権が絡んでいることなどは一切無い。これは京都キモノジャック主宰者達が暖簾分けする際にキチンとした決まり事を作っている。その内容は本当に真摯なものである。

また着物の啓蒙活動にならないなどという意見に対してはこう答えたい。
キモノジャックは着物の啓蒙活動などを意識していない。純粋にそしてシンプルに「着物を着ることを通して楽しむことを共有をしている」だけに過ぎないのだ。
考えてみて欲しい。たとえば、テニスが好き人達のサークルはテニスの啓蒙活動をしているだろうか?同じ車種の車に乗っている人たちの集まりはその車の宣伝や啓蒙活動をしているだろうか?
そんなことは絶対に考えていない。ただ単に楽しむことを目的としていることだけだ。もちろんそのサークルなどの集団をまとめる存在が必要であり、呼びかけたり、内容を考えたりする人達がいるからこそイベントとして成り立つことは言うまでもない。

キモノジャックは着物を楽しむ為のイベントであり、それ以上でもそれ以下でもない。それを今回業界の人間として参加してはっきりと理解出来たことである。そして私が業界の人間であろうとそうでなかろうと全く関係ないことでもあるのだ。何故なら「着物着ることを楽しむイベント」であるからだ。

一方で私は参加して様々な着物ファンと接しながら、様々な気付きを得た。
着物ファン達は着物を楽しむ為の工夫を互いに刺激し合い、あるいは教えてもらったり、褒め合ったり、憧れたりと多種多様な価値観を持った人達が着物という共通する楽しみを元に情報交換をして何かを作ったり、次に購入するヒントにしたり、お店の紹介をし合ったりしていた。

これはある意味でのマーチャンダイジングであると改めて感じた。

私も着物ファン達に色々と教えてもらい、改めて欲しいものが出来たり、なるほどこういものがあれば欲しくなるななどということが山のようにあったからだ。本当に着てみなければ、そして参加してみなければわからない事が沢山発見出来た事だけでも楽しいし、私の職業上勉強になる事ばかりだ。

あづまやきものひろばてれびじょんでも話したが、呉服業界の流通は川の流れのごときものである。生産者という源流からメーカーや問屋、そして川下の小売店へ流れていく仕組みである。これには良い面も悪い面もあると申し上げた。そして今は悪い面ばかりは目立ってしまっている。

しかしながらこういった多段階流通は、各段階が交わることで世界でも類を見ないほどの高度な技術を誕生させて、日本にしか出来ないモノを作り上げることが出来た源であることもある。

だから今こそ「トータルマーチャンダイジング」いわゆる各カテゴリの融合によるモノ作り。いやもの作りだけでなく「着物ファン作り」が必要になってくると感じる。

昨日のキモノジャックでも大島紬大好きの人が大島紬コーディネートをし、京友禅など染物好きのいわゆる「垂れもの派」と古着好きの「リサイクル派」と着物談義をしながら、「それいただき!」とか「私もこうやって試してみよう」などと言いながら、各カテゴリ派の人がそれぞれに自分の楽しみ方をより拡げる為の情報交換をし、新たなものを生み出そうとしているのだ。

一方で業界としてはどうか?多段階流通の良い面ではなく、悪い面だけでしかビジネスが行われていない。

いまの小売店のほとんどが問屋に対して、あるいはメーカーに対して「こういうもの作りをして欲しい」などといった提案はほとんどなく、「どんな企画が売れているの?」とか「何が売れているの?」などといったよく恥ずかしくないなと思われるくらいの言葉が飛び交っている。着物を着る楽しさを語れない受け売り知識の押し付けをするだけの販売をする所が多すぎる。だから、一部の消費者に「着物屋なんて商売は誰でも出来る」と笑われてしまうのだ。

問屋も「いくら儲かるか」が先に立ち、「こういうもの作りが絶対に小売店(消費者)から望まれる」などという提案がメーカーに対して何も無い。だからいまでは現物商品をキチンと扱う問屋自体が数少なくなってしまった。そして現物売りをしなくなると、着物自体を知る力もなくなる。まさにメーカー企画代理店としてのカテゴリになってしまう。

昨年度、ある大手NCチェーンが遂に問屋からの取引を事実上辞めた。ほぼ完全なメーカー直接取引だ。背景としては当然粗利益率の更なる改善が大きいが、それ以上に「商品開発能力のない問屋とは取引する意味が見出せない」ということを聞いている。

結果的に3年前に提言したことがやはり本当になってしまった。だからこそ問屋と小売店の協業が必要だと言った事がいよいよ現実味を帯びてきた形となった。

私は何といわれようと業界の為には問屋自体の存在は必要と考えている。もちろん今のままでは多くの問屋が淘汰される危険性にある事は周知の通りだが、問屋は小売店にとって営業企画的な要素もあれば、大きな役割であるクレジット機能も兼ね備えている。特にこれはメーカーには出来ない事だ。

しかしながらこのNCの流れが広がってくるとメーカーにとっても非常に危険なことが起きる。なぜならメーカーも問屋機能が必要になってくるからだ。メーカー直取引はコスト面でメリットはあるものの、小売と取引するには長期手形サイト、在庫ストックなど問屋機能が必要になるからだ。メーカー直取引になったからといって委託よりも買取比率が高くなるなどということは恐らく無いからだ。経費も山のように増えてくる。

このように問屋を飛ばす事はメーカーにとっても小売店にとってもそして結果的に消費者にとっても決して全てがいい方向に向く訳ではないのだ。

これからの流通はカテゴリを越えてトータルでマーチャンダイジングしていく流通構造と意識が大切になってくると私見だがそう考えている。解釈は違えども、1つの情報や現象に対して各カテゴリの垣根を越えて情報共有と情報解釈をし、そしてそれぞれの役割のものとでモノ作りや提案をしていくという流通の形が必要なってくるのではないかと感じる。アパレルのSPAはまさにトータルマーチャンダイジングの典型例であり、それを流通に落とし込むにはどうすべきか?ということを業界全体で考えていかねばならないと思っている。

実は私が主宰する呉服業界若手経営者の会はまさにトータルマーチャンダイジングの形が作れないかいう思いで参加を呼びかけたのが本来の理由だ。それが今、だんだんではあるが参加者それぞれから新たな形が生まれつつある。

長くなったが、逸品といわれる本物はもちろんあり続けなければいけないし、変に敷居を下げる必要はない。「憧れ」であってほしい。そして敷居を下げるための着物もより一層必要だ。そして着物ファンから疑われるような売り方はもうやめて欲しい。そしてメーカーも問屋も絶対的に必要であり重要だ。
その為にはカテゴリに拘らない情報共有が必要である。私の思う未来図である「きものトータルマーチャンダイジング」とはそういうことである。

そしてその前に、消費者を知る為には売上動向も重要だが、いろはの「い」である「着物を着る」ということが最も大切であると考える。
提唱している室町きものテーマパーク化構想も今年の5/29に成り立つ事はすぐには難しいかもしれないが、まずは月初売出しなりなんなりから業界全体が着物を着ることをして欲しい。

そんなことを昨日の愛知キモノジャックに参加して、強く思った事である。

そして最後に業界の方々に言いたい。
「着物ファンは業界の皆さんの何倍も着物を楽しむ事を知っている。」

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2012年3月 2日 (金)

室町きものテーマパーク構想への想い

先の2月14日に行われた第2回呉服業界若手経営者の会は主催者の私が驚く程の内容の濃いものになった。Ust中継をご覧になった方々は非公開部分が多くあるため、もしかしたら「あれで?」という思いを持たれるかもしれないが、流通の壁を越えたディスカッションや業界への提案などは様々な意見もあるだろうが、その意見を声として出しあえたことが大きい。

さてその若手経営者の会の中で特別講演なさったきくちいまさんは開口一番業界人がきものを着ていなくてどうする!という言葉を投げかけたことはかなりのインパクトになったことは言うまでもないし、ぐうの音も出ない。
これの考え方に対して外からは色々な反応や批判があるのも認識している。
「幼稚な考え方」とも批判されている。
しかしながら私はこの時代だからこそあえて非常に大切なことだと思っている。

それは何故か?をここで話したい。

今日までの呉服ビジネスの変遷は3つある。
1つは戦前から戦後、しかも昭和の30年代までの時期。

洋装主流になっていたとは言え「きもの」というものがまだ生活の中に多少なりともあった時代だ。
しかしながら、戦争というものと高度成長期の入口の時代は呉服産業の復興期にあたる。
もちろん普段のきものも当たり前のように存在していた。絹はもちろんのこと、太物と呼ばれた綿物も麻もウールもあった。ただ戦争を境にそれまであった日本の経済システムが崩壊し、呉服産業としても戦争によって大打撃を受け、一時的にきもの自体を作る、売るが出来なくなっていた。
それから高度成長期を迎え、急激な近代化の流れの中で呉服産業が時代に合わせて成長するための大きな方向性を作った。それが「フォーマルきものビジネス」の確立である。

高度成長における近代化はある意味、衣食住文化の欧米化であったため、生活スタイルが変化していった時代でもある。創刊間もない「美しいきもの」を見るとコート1つとっても洋装コートのデザインが多く取り入られているものが非常に多い。
その中でその時代でまだ根付いていたのが「冠婚葬祭」というセレモニーだ。成人式の振袖着用文化はまだその時代にはなかったが、祝儀、不祝儀などは家ごとにまだまだきちんとやっていた。
だからこそ私達の大先輩は呉服産業の復興のために「フォーマル中心のビジネスモデル」を根付かせた。それによって呉服産業は活性化したことは事実であり、今日までの礎を作ったこと間違いない。私はその世代を第一次変革世代と勝手に名付けている。

2つめはそのその後の世代。私達からすると1つ前の世代は40年代から平成のつい再最近まで活躍した世代である。もちろんまだ現役で頑張っている方々も多くいらっしゃる世代だ。この方達はもっともいい時代を過ごした。私も駆け出しの頃にはその恩恵に預かった経験がある。
先人達が作り上げたビジネスモデルを維持しながら伸ばしてきた。80年代前半には1兆8000億円までの市場に押し上げた。
ところが売れている時はどうしても新しいことがし難いというか受け入れ難い。実は好調時は不調への入口であるのだが、殆どがそれに気づかない。だから「新しい売り方」という断片的なものは生まれるが、次世代に受け継ぐ為の思い切った改革が出来ないという弱点もある。
ただし、売れることによって要求が強まり、もの作りの方は新しいものが生まれたり、一般的に「いいもの」や「本物」が消費された面もあるので悪いことばかりではない。ただその反面コスト削減とそれに量が動いた時代だけに高効率大量生産の為の仕組みが伝統技術の妨げになった面もあることは周知の通りだ。

ただ売れることによって様々な潤いが業界に生まれたことは間違いないし、まだ業界として機能出来るだけの状況を努力して作った世代である。ただ残念ながら明確な次の一手を創りだすことが出来なかった時代である。
その世代を私は大変失礼だが「売上至上主義世代」と言っている。もちろん私見だ。

そして3つめである次の世代を含む私達の世代がどうしていくべきなのか?
このままでは何も出来ず「業界崩壊世代」」と呼ばれかねない。

「情報化社会」という言葉が死語になるほど恐ろしいスピードで時間が流れている。そして冠婚葬祭はより簡素化しフォーマル着物はレンタル市場へと移行し始めている。
小売店の展示会でも始めに訪問着ありきの売り方が崩壊し始め、振袖自体もレンタル比率が過半数を超えている。そのうち振袖は呉服店ではなくフォトスタジオやブライダルの分野の商材となりかねないいう実感を現場にいると感じる。

これからのきものビジネスは「間口を広げて着る人をいかに増やすか?」という部分が重視されると考える。そのためには「着物の楽しさ」や「着物を持つ豊かさ」から提案していかねば未来は開けないとさえ考える。
であるならば、私達業界に携わる人間が着物の楽しさや着物を持つ豊かさを本当に語れるのだろうかという疑問を持たずにはいられない。

おそらく着物を着るという部分1つにしても業界従事者よりも着物消費者の方が意識レベルは遥か彼方にいるとしか思えない。非常に残念であるが現実だ。
ならば、これからのきものビジネスの肝がそこにあるならば、少なくとも業界人が着物を楽しむ意識を持ってもらうしか無いというのが私の考えであるし、幼稚と言われようと業界人に「着物を着よう」と投げ掛けることから始めねば何もコトが起こらないのだ。

私達がもし第2次変革世代ならばまずは自分の足元から革めていかねば、消費者からの信頼や支持どころか、着物ファンの間口はどんどん狭まっていくしかない。

この考え方に対して批判されようが何を言われようが構わない。
ただ、確実に「そこそこ世代」といわれる次世代顧客層が中心となる時代がやってくる。バブル経済崩壊後に生まれた世代はそこそこの暮らしが出来れば背伸びはしないという超堅実世代だ。
世界のトヨタが何億もかけて「免許を取ろう」というCMを流さないと車にでさえ関心を示さないような時代に呉服業界がどんなに素晴らしい過去の成功例を羅列しても通用しない時代がやってくるのだ。いやすでにもうやってきたのだ。

だからこそ私達はまず幼稚な発想と言われようが何だろうが私達からまず着物を着る、着物を楽しむ、着物を学ぶ、から始めねばという意識を業界従事者にもってもらうことが重要だと思っている。

そしてそのためにどうするか?に向けて動いている。
それが室町きものテーマパーク構想だ。
5/29を語呂よく呉服の日と呼びかけ、まずは室町界隈の呉服関連企業に着物着用を呼びかける。もちろん、関連組合団体、マスコミ、行政にも呼びかける。
理想は室町界隈の通りが「きもの通り」と言われるような着物にあふれた地区にしていきたいとも考えている。願わくば公共交通機関も区間限定で着物着用者はその日は無料などとかになれば、もっと盛り上がるかもしれない。

それから想像してみて欲しい。皆さんが5月29日に京都駅の新幹線ホームからエスカレーターを下がって構内にでると、沢山の着物が展示してあって着物都市京都を演出していたら、一気にムードは高まるだろう。そんなことも考えてみたりする。
とにかく業界人だけでなく観光客も着物を着て雰囲気を楽しめる通りでもあって欲しい。だからこそ業界従事者の着物姿でその空気を作ることが絶対的に必要なのだ。

私は毎日小売の現場にいて「店のスタッフが着物を着ている店は客数が増える」という現実を目の当たりにしている。これを大きく捉えれば、室町界隈に着物姿が溢れることで、少なくとも活気が出ることは間違いない。

こんな夢のようなことを描き、実際にどこまで出来るのかわからないが動いている。もしかしたらただの夢物語で終わるかもしれない。でも私は評論家ではないので、やらずにあきらめるよりやって失敗する方がまだマシだ。

色々と並びたてたが、ともかくまずは私達がすべきことは次世代の着物ファン作りである。そこから始めなければ何も始まらない。
そしてまずやってみる。結果的にどうであれそこから何かが導きだされる。
少なくとも私はそう信じて動いている。

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