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2014年3月

2014年3月 9日 (日)

正義の味方は最後に正義も滅ぼす?

人間はどうしても自己都合で動く生き物です。
高い知能と言語を持ち、社会性を兼ね備え、人間が人間のために生きやすい環境を作ることが出来ます。そして豊かな感情によって人間同士が助け合い、愛しあい、共存共栄の道を作ることも出来ます。
またより豊かな生き方ができるように「経済」という概念を人間の歴史の中で人間が作ってきました。

すべて人間による人間のための世界に人間の考えによってすべてを創りあげてきました。人間はすごい生き物です。

でもその人間の良かれと思う常識や概念は時にとても大切なモノをなくす結果を招いたりもします。

奄美大島でハブとマングースの有名な話があります。

猛毒であるハブは沖縄諸島や奄美諸島などに広く生息し、昔から人間や家畜に対して大きな被害をもたらしてきました。
特に奄美大島はその生息数が多く深刻な問題でした。島民をはじめ行政もあいまっていろいろな対策を打ったそうです。

例えば、イタチを2500頭以上放ったりしましたが、ハブの前には敵ではなくあえなく全滅。次の手として毒薬を散布したそうですが、結果的にそれが海に流れ出し海洋生物に影響を与え中止。そして最後の正義の味方としてマングースに至ったそうです。

1979年に30匹ほどのマングースを島に放ちましたが、島民が期待した正義の味方マングースはハブではなく、奄美の大切な天然記念物である動物たちを次々に狙ったそうです。
奄美大島は日本のガラパゴスといわれるほど、世界的にも貴重な動植物が存在する日本の宝の島の1つです。数百万年もかけて創造されてきた貴重な楽園であったはずが、人間が人間のために良かれと思ってやったことが、結果的に長い年月をかけて作り上げてきたものを破壊する結果を招くという現実が起こってしまったのです。

いまでは奄美大島には自然繁殖によって膨大に増えたマングースが約1万匹いると言われ、正義の味方として人間が投入したマングースは奄美大島の悪の化身として扱われ、同じ人間が1頭残らず撲滅する方向で捕殺作戦を繰り返しているようです。

人間が人間の常識で考えたことが大切なものを滅ぼす結果になることは他の事例でも山ほどあります。しかしながらどうしても私達は目先の幸福感や盛り上がりなどで、深い議論や検証をせずに走ってしまうことは多々あります。
そしてその結果大切なモノを失くす後悔をしてしまうのです。

着物文化もモノづくりの文化と着装文化と伝統文化という側面を持っています。受け継がねばいけないことや進化しなければいけないことや、護らねばいけないことなどそれぞれに観点や方法論が異なってきます。

人間が創りあげたものは残念ながら人間がどうにかしなければなりません。
だからこそ目の前の正義や考えは本当にそうであるのか?を色々な目を持って判断しなければいけないのだと思います。

私にはなんの力も大した影響力もありません。
ですが正義だと信じたものが正義まで滅ぼすような結果だけは避けたい。
そう心から思っていますし願っています。



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自由を制約すると基本も崩れる

昨日、着物を世界無形文化遺産にする意味が見出せないという話をしました。ユーザーや異業種、若手の業界従事者から共感いただいた反面、反対意見やお叱り、誹謗中傷まで幅広くご意見を頂きました。これに関しても感謝しておりますし、全くもって考えにブレはありません。

私は業界の先とその先を想像し、どの流れを見出していくことが着物業界にとって、ユーザーにとってベストなのかを考えることが仕事だと自負しています。
誤解していただきたくないのは、世界無形文化遺産であれ、国指定重要無形文化財であれを否定しているわけではありません。

ではなぜそれに対して否定的なのか?です。

今の着物の着装方法はご存知の通り、江戸末期から明治時代以降にかけて徐々に確立されてきた意外にも歴史は新しい着装です。これは封建制が終演を迎え、ある意味自由の中から形づいてきたものといえる着装文化の変遷です。

これが洋装が庶民にも浸透し始め、だんだんと和と洋が混じっていく中で、昭和中期ごろまでは着物自体もかなり自由度の高い着方が広がり、それに対しての商品が開発されたり、当時は自分で作ったりすることがごく普通のことでした。創刊間もない頃(約55年前)の「美しいキモノ」をみるといまの20代〜30代女性でも全く抵抗なく楽しめるデザインのものばかりで、今のほうが大人しいくらいです。

それが時代が高度成長期時代を迎え、日本改造計画という大掛かりな近代化への進化とともに普段着的な着物よりも冠婚葬祭やセレモニーなどのフォーマルが主流になり、きもの屋での商品構成は客数が減っても売上単価が高く利の取れやすい訪問着や留袖などのフォーマル主体になってきました。

当時はまだ結婚の時の「嫁入り道具」という感覚が残っていましたし、昭和30年台後期に「成人式に振袖」という新たな慣習を確立した呉服業界は振袖から結婚するまでの嫁入り道具としての着物提案というこれもまたフォーマル主体の販売方法が確立し、こんにちまで続いているのが現状です。
また高度成長期のフォーマル主体へ移行した呉服店の販売によって着付け学校が出現し、これまた1つのビジネスモデルに成長し今に至っています。

これらの変遷はビジネスとしては着物を無くさないための当時の最善の策であり、現にこのビジネスモデルによって産地から小売までが時には潤い、時には生き延びることができた形ですから否定する気持ちはありません。ある意味業界の必死の努力と変化への対応と言っても良いのかもしれません。だから私達はこの時代があって生き延びられていることも事実ですから感謝せねばいけないとも思っています。

ですが周知の通り、気が付くと「自由に着る」という感覚がなくなり、それどころか「着物を着る機会がない」という感覚が当たり前の着物観が一般的になってしまったのも事実です。そしてライフスタイルがものすごいスピードで変化して続けている現在、「自由に着る」という感覚が、「きちんと着る」という基本さえもなくなるという総崩れ状態になってしまったように思います。

しかしながら、ここに来て「自由に着る」という流れが大きくなり始め、それによって「きちんと着る」という部分も少しずつですが復活してきています。
着物は「ファッションとして着方も組み合わせも自由に楽しむ」という側面と「日本の伝統文化を重んじてきちんと着る」という側面があると思いますし、どちらも大切で素晴らしいことだと思います。

私が世界無形文化遺産認定に危惧する部分は、私達の常識の範囲内で「着物に興味を持ってもらうきっかけになる」「着物着るきっかけになる」といったことに端的に当てはめているのではないかと思うのです。

もし私達の常識がそうであっても、全く着物に興味が無い人にとっては「ファッションとしての着物」に気づく前に「伝統的な世界遺産になったもの」として捉えられてしまうのではないかと思います。実際に若い方を含め今日出会ったお客様にも聞いてみると、答えはこうです。

「すごーい!伝統って感じ」

「世界遺産になったら日本人としてきちんと着ないと恥ずかしいですね〜」

まず出てくるのはやはり「伝統」。そして「日本人としてちゃんと着る」という言葉です。

もちろん大多数に聞いたわけではないのでそれが全てとは言いませんが、やはりそこに視点が行くのかもしれません。

残念ながら現時点で着物に興味が無い多くの人にとってまだまだ着物は「ファッション」としての印象ではなく「日本の民族衣装」「日本の伝統文化」としての側面が強く、遠い存在にあることも事実です。

それが世界無形文化遺産になったとしたらその意識はより高まるのではないかと思えて仕方ありません。

私が全て正しい訳ではありません。もしかしたら間違っているかもしれません。しかしながら、私の思うこととしては「せっかく再び芽生え始めてきた自由に楽しく着る着物」というものを損なってはいけないと思うのです。

そしてそれは「結果的に伝統文化を護ること」にもつながり、きちんと着ることを基本とするならばそれもすべて護ることに繋がると信じて疑いません。

起源と同じ作り方を守り続けているものや、なんとか無くならないように地道に努力しているものは、確かに出来るなら国の保護や今回のような世界無形文化遺産的な形での力添えは良いと思います。
ですが着物のそのものの着装文化をそういう観点でみることは、反って自由を制約する結果となり、基本や伝統までがその結果弱体化するキッカケになるように思えてなりません。

自由を結果的に制約してはいけない。制約することによって文化の成熟は止まり、基本までも崩れ去る。
これが私の真意です。

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妻の質問に考えさせられたこと

先ほど妻から鋭い意見を聞かれました。

「着物が世界無形文化遺産になったとしたら、どんな意味があるのか?」

私は即答しました。

「なんの意味もない」

着物文化という意味ですでに本場結城紬や小千谷縮、越後上布がすでに登録されています。もちろんそれぞれに日本の宝である織物文化であり失くしてはいけない技術であり表現であると思います。

ですが世界無形文化遺産になって何が変わったのでしょうか?

一部の業者が世界無形文化遺産という言葉を傘に法外な値をつけたり、売るための方法として使われれたりと本来の世界無形文化遺産の定義とはかけ離れた結果になっているのが現状です。これは文化庁指定の重要無形文化財指定においての捉え方も同様です。

未だに「無形文化」の意味自体を理解していない人が大多数でもあり、それが現実です。

もし仮に着物が世界無形文化遺産に認定されるとしたら、全てのものが分け隔てなく判断されるのでしょうか?
たとえその意味が「着物」という着装文化を指すものであっても、「無形文化」を意味を捉えられない状況ではすべてが一緒くたんにされることは目に見えてますし、とてもこれからの着物文化や着物自体の啓蒙につながっていくようには思えません。

同じく世界無形文化遺産に早くから認定されている文楽は国立文楽劇場まで存続が危ぶまれるような状況にあります。日本のかけがえのない文化の1つである文楽でさえその状況です。

そんな世界無形文化遺産になんの意味があるのかを私は若輩者で知恵も経験も浅い人間であるがゆえかもしれませんが全く理解できません。

だから現実の中でその状況を考えた場合に、売るためセールストークになることしか想像できません。

なので前述した妻への答えとして「なんの意味もない」にもう1つ付け加えました。

「世界無形文化遺産認定を仕掛けた人たちの自己満足や箔をつけることになるだろうけど・・・」

私はこれから着物を無くさないために尽力している若手の人たちと色々な取り組みや活動を通して、少しずつ少しずつでも針のような光を「見える光」にする道筋が見えてきている状況になってきています。
それらを通して思うことは「根本的なことを地道に積み上げる」という大切さを改めて痛感しています。
確かにものづくりの現状は厳しいものであり、継続するための方策を考えることは急務であることは間違いありません。ですが、世界無形文化遺産認定がそれらの解決の糸口になるとは少なくとも私には全く思えませんし理解できません。

私は毎日、この業界の川上から川中、そして川下の現実の中で仕事をしています。そして全くもって現状に対してネガティブではありません。いえ、バカみたいにポジティブです。
ですからその現実の中で、あくまでも私見として「着物が世界無形文化遺産認定になることの意味」が見いだせません。

だから「何も意味が無い」と答えた次第です。

そして私達が着物を本当に無くさないために、もっとしなければならないことが山ほどあると思っています。

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