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2014年3月 9日 (日)

自由を制約すると基本も崩れる

昨日、着物を世界無形文化遺産にする意味が見出せないという話をしました。ユーザーや異業種、若手の業界従事者から共感いただいた反面、反対意見やお叱り、誹謗中傷まで幅広くご意見を頂きました。これに関しても感謝しておりますし、全くもって考えにブレはありません。

私は業界の先とその先を想像し、どの流れを見出していくことが着物業界にとって、ユーザーにとってベストなのかを考えることが仕事だと自負しています。
誤解していただきたくないのは、世界無形文化遺産であれ、国指定重要無形文化財であれを否定しているわけではありません。

ではなぜそれに対して否定的なのか?です。

今の着物の着装方法はご存知の通り、江戸末期から明治時代以降にかけて徐々に確立されてきた意外にも歴史は新しい着装です。これは封建制が終演を迎え、ある意味自由の中から形づいてきたものといえる着装文化の変遷です。

これが洋装が庶民にも浸透し始め、だんだんと和と洋が混じっていく中で、昭和中期ごろまでは着物自体もかなり自由度の高い着方が広がり、それに対しての商品が開発されたり、当時は自分で作ったりすることがごく普通のことでした。創刊間もない頃(約55年前)の「美しいキモノ」をみるといまの20代〜30代女性でも全く抵抗なく楽しめるデザインのものばかりで、今のほうが大人しいくらいです。

それが時代が高度成長期時代を迎え、日本改造計画という大掛かりな近代化への進化とともに普段着的な着物よりも冠婚葬祭やセレモニーなどのフォーマルが主流になり、きもの屋での商品構成は客数が減っても売上単価が高く利の取れやすい訪問着や留袖などのフォーマル主体になってきました。

当時はまだ結婚の時の「嫁入り道具」という感覚が残っていましたし、昭和30年台後期に「成人式に振袖」という新たな慣習を確立した呉服業界は振袖から結婚するまでの嫁入り道具としての着物提案というこれもまたフォーマル主体の販売方法が確立し、こんにちまで続いているのが現状です。
また高度成長期のフォーマル主体へ移行した呉服店の販売によって着付け学校が出現し、これまた1つのビジネスモデルに成長し今に至っています。

これらの変遷はビジネスとしては着物を無くさないための当時の最善の策であり、現にこのビジネスモデルによって産地から小売までが時には潤い、時には生き延びることができた形ですから否定する気持ちはありません。ある意味業界の必死の努力と変化への対応と言っても良いのかもしれません。だから私達はこの時代があって生き延びられていることも事実ですから感謝せねばいけないとも思っています。

ですが周知の通り、気が付くと「自由に着る」という感覚がなくなり、それどころか「着物を着る機会がない」という感覚が当たり前の着物観が一般的になってしまったのも事実です。そしてライフスタイルがものすごいスピードで変化して続けている現在、「自由に着る」という感覚が、「きちんと着る」という基本さえもなくなるという総崩れ状態になってしまったように思います。

しかしながら、ここに来て「自由に着る」という流れが大きくなり始め、それによって「きちんと着る」という部分も少しずつですが復活してきています。
着物は「ファッションとして着方も組み合わせも自由に楽しむ」という側面と「日本の伝統文化を重んじてきちんと着る」という側面があると思いますし、どちらも大切で素晴らしいことだと思います。

私が世界無形文化遺産認定に危惧する部分は、私達の常識の範囲内で「着物に興味を持ってもらうきっかけになる」「着物着るきっかけになる」といったことに端的に当てはめているのではないかと思うのです。

もし私達の常識がそうであっても、全く着物に興味が無い人にとっては「ファッションとしての着物」に気づく前に「伝統的な世界遺産になったもの」として捉えられてしまうのではないかと思います。実際に若い方を含め今日出会ったお客様にも聞いてみると、答えはこうです。

「すごーい!伝統って感じ」

「世界遺産になったら日本人としてきちんと着ないと恥ずかしいですね〜」

まず出てくるのはやはり「伝統」。そして「日本人としてちゃんと着る」という言葉です。

もちろん大多数に聞いたわけではないのでそれが全てとは言いませんが、やはりそこに視点が行くのかもしれません。

残念ながら現時点で着物に興味が無い多くの人にとってまだまだ着物は「ファッション」としての印象ではなく「日本の民族衣装」「日本の伝統文化」としての側面が強く、遠い存在にあることも事実です。

それが世界無形文化遺産になったとしたらその意識はより高まるのではないかと思えて仕方ありません。

私が全て正しい訳ではありません。もしかしたら間違っているかもしれません。しかしながら、私の思うこととしては「せっかく再び芽生え始めてきた自由に楽しく着る着物」というものを損なってはいけないと思うのです。

そしてそれは「結果的に伝統文化を護ること」にもつながり、きちんと着ることを基本とするならばそれもすべて護ることに繋がると信じて疑いません。

起源と同じ作り方を守り続けているものや、なんとか無くならないように地道に努力しているものは、確かに出来るなら国の保護や今回のような世界無形文化遺産的な形での力添えは良いと思います。
ですが着物のそのものの着装文化をそういう観点でみることは、反って自由を制約する結果となり、基本や伝統までがその結果弱体化するキッカケになるように思えてなりません。

自由を結果的に制約してはいけない。制約することによって文化の成熟は止まり、基本までも崩れ去る。
これが私の真意です。

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コメント

石埼さん

全然心配されることはありませんよ。

自由にキモノを着たいという人は確実にこれからも増えていきますよ、
その動きはもう後戻りすることは無いと思います。ご指摘の通り、自由に着ることから伝統的な着方もまた同様に増えていくでしょう。

まったくの杞憂だと私は考えます。

それよりも心配なのは本物のものづくりです。

インクジェットであろうがなんであろうがキモノという文化がなくなることは絶対ありませんが、その文化の質が落ちていくことだけは確実です。

モノづくりの危機をどうするかということが今の最大の課題です。

まあ無形文化遺産に登録されることは無いと思いますがね。

投稿: 高橋泰三 | 2014年3月13日 (木) 17時41分

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投稿: Kayla | 2014年4月 1日 (火) 04時42分

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