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2016年5月28日 (土)

入口と気づき

今日は宮崎で太物サミット。
今まさに行われている最中。私はどうしてもスケジュール調整ができず誠に残念ながら不参加となりましたが、おそらく大々的に開催されていることでしょう。
主催者の染織こだまの児玉健作氏はずっと一貫して太物を通して普段から着物を楽しむことで着物が持つ多様性を引き出し、日常的な衣服としての定着を目指してきました。
また地元宮崎の活性化を精力的になさる中で、着物を通した地方創生の可能性も模索していらっしゃいます。
私も児玉さんとは付き合いが長くなりましたが、彼のすごいところはその考えがずっとブレずに一貫しており、しかも積極的に行動するところだと思いますし、敬服しております。

確かに着物は徐々に社会に顕在化しつつありますが、現実的にはまだ我々呉服業界や着物ファンが考えているほどの浸透度ではありません。まだまだごく一部であると考えたほうがいいでしょう。根拠はその市場規模は依然萎んでいる状況にあるからです。

ですが、これから着物が社会に再びより顕在化していくためにはもっと多くの「入口と気づき」が必要となると思います。
敷居を低くするという意味での「入口」はどんどん増えていますが、普段着やフォーマル着、あるいはそこから派生する様々な着方や楽しみ方などをユーザーが認識できるセグメント化が必要でしょう。

これはすでにインターネット上の店舗はどんどんセングメント化が進んできており、市場シェアは唯一広がってきています。ところがリアルショップはそのセグメント化がまだまだ出来ておらずそのシェアは依然年々縮小傾向にあります。そういったセグメント化という入口をより意識をしていかねばならないと感じています。

「気づき」はあらゆる着方を受け入れ、その中で自由と規制を明確にすることで、着物の多様化は正しく進んでいくような気がします。
ものごとには「常識」「非常識」「不常識」という3つの常と識があると考えます。常識はT.P.Oと言われる着方やそれを場面によって選択するモラルなどを指し、非常識はその壁を打ち破る自由であると考えます。ですから非常識は決して悪いことではないと考えます。しかしながら「非常識」は進化や想像の種にもなりますが、文化や社会規律を乱す恐れもあるもろ刃の剣ですから、やはりそこには最低限のモラルは必要になるのかもしれません。

もうひとつの「不常識」は触れてはいけない神の領域です。そこに触れてしまうともはや着物の多様化どころか、着物とは全く関係のないものになってしまい、また社会的な視点で言えば排除対象になるようなものです。この領域に我々は踏み入れてはいけないし、それを伝えてはいけないとも思います。

「入口と気づき」というキーワードは着物に様々な可能性をこれからもたらすものと考えています。

今日行われている太物サミットが各地で行われるようになり、太物というセグメントが新たな入口と新たな気づきをもたらす大きなきっかけとなればと心から思っています。 太物サミットHP

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