ファッション・アクセサリ

2019年4月18日 (木)

パッケージの重要性

パッケージの重要性は商品のデザイン性や品質と同じくらいに消費者にとっては重要なものである。身近なところで言えばApple製品などはシンプル且つ商品自体に対面する前のワクワク感をそそるようなパッケージになっている。ビックメゾンと言われる高級ブランドなどもペーパーバッグ含めたパッケージへのデザイン追求にも手を抜いていない。Youtubeでも商品の開封動画などが人気であり、パッケージの紹介から開けるまでのワクワク感が視聴者と共有する部分でもあるのだ。

小売店で言えば百貨店などはそれぞれに特徴を持たせ、どの百貨店で買ったかが一目でわかるよう各社が差別化しており、贈答品においてもどこどこの百貨店で買ったとわかるような包装紙や紙袋によって自己顕示欲と贈り主の気持ちをそこに乗せていると言っても過言ではない。

 

着物業界に目を向けると、着物を包むたとう紙や納品箱に対してそう言ったこだわりを持っている店は非常に少ないように感じる。数十万もするような着物も数千円で買える浴衣とおなじたとう紙を使っていることが多い。多くの店主はたとう紙はできるだけコストを抑えられれば良いというようなスタンスで和紙風のパルプ紙製だったりすることも少なくない。

 

納品箱においてもそうだ。出来上がり納品は一昔前までは呉服店の係がお客様宅まで持って行ったが、現在はお客様に店まで来ていただいて納品するため納品箱に入れてお持ち帰りいただく形が多くなったのだが、その箱においてもデザイン性や品質などにほとんど気を使わないので、お客様の反応としては「家では邪魔になるもの」という印象が強くなっているようだ。

 

パッケージは商品を価値付けるために実は非常に重要なアイテムであって、絶対に軽視してはいけないものである。ましてや着物のようなある意味他と比べて高価なものなら尚更である。

 

マーケティング的にパッケージの効果をいうと、パッケージがもたらす提供価値は4つに分類され、機能としての「合理的側面」と心理的な「情緒的側面」があり、それをさらに購買場面と使用場面という項目に掛け合わせる形で分析されるが、ここでいうパッケージはどちらかというと情緒的側面の効果によって中身の商品が見えなくてもその商品を視覚的に価値付けることが出来、それがまた消費意思決定や消費意欲につながると思われる。またそれを売っている店やメーカーのブランド認知度として大きな役割を示すこととなることは明らかである。故にこの業界においてパッケージをただの納品処理物として考えてしまい、そこに投資しないことは自ら製品価値を初めから落としていることになるやもしれない。

 

唯一この業界で素晴らしいと思えるパッケージを採用しているのはY&Sonsというきものやまとが運営している男物専門店のパッケージだ。ある意味合理的側面と情緒的側面をしっかりと考慮した上でパッケージをデザインしている。なによりかっこいいし、もしかすると多くの人がそこに着物が入っているとはほとんど思わないだろう。写真は著作権の問題あるのでそれらを紹介されているサイトのURLを貼っておくがやはり流石の着眼点だと感じる。

https://storgram.com/post/BrwouG_ng6l

 

いま着物業界でも若い店主やメーカーが色々と努力しながら着物を広げようと努力している。着物をファッションとして確立したいと頑張っている。であるならば、消費者に対してもっとカッコいい、おしゃれなパッケージも同時に考え提案すべきではないか?と考える。そして「お金があるから出来る」とか「大きな企業だからそこまで出来る」なんて考えることを放棄したような言い訳ではなく、消費者が「カッコいい!」「欲しい!」と思ってもらえる商品とパッケージの両面から自らの商品や店自体をブランディングして欲しいと願っている。

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2019年1月 1日 (火)

年頭所感

年頭所感

あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりありがとうございました。本年は亥年ということで文字通り猪突猛進にて頑張りますので何卒よろしくお願いいたします。
昨年は1月の成人式の日にいきなり業界の信用を失墜させるような大変な事件が起こりました。当事者は逮捕起訴され、現在裁判中ということですが、被害に遭われた方々の怒りはもちろんですが、全国の和装業界や関連業種への影響も計り知れないものとなりました。すでに経産省の和装振興協議会でも成人式関連の商取引についての指針を出し、業界のコンプライアンスの強化と信頼回復に努めてはいるものの一度失った信用はそう簡単に取り戻すことはできないと思います。

その後昨年の振袖ビジネスは多くの小売店や流通に非常に厳しい現実をもたらしました。それだけでなく、振袖以外の本来の呉服店の営業も並行して非常に厳しい現実をもたらしました。その時は私も含め多くの人が1月の事件の影響によるものという考えが巡りました。
ですが、冷静に様々な分析をするとそうではないことに気づきました。

確かに1月の事件の影響は2月3月に顕著に現れ、特に振袖のお客様の動きの変化や契約により慎重になったこと、クレジット会社などを含めた取引先が振袖はもとより着物業界への取引の考え方が大きく変化したことなどがありました。しかしながらその後の業界の厳しい現実はあの事件がもたらした影響と考えるのはあまりにも他責的な考え方であると気づきました。

呉服業界という小宇宙の中で考えれば確かに大きな出来事でしたが、もっと広い社会に目を向けるとそれ以上の大きさとスピードで変わっているのです。

それは「消費の変化」です。

小売とテクノロジーは今や密接な関係にあり、消費動機、消費価値観、消費欲求などの多くはネット上から取得し、企業の情報発信も各企業HP、SNS、リスティング広告やYoutuber、インフルエンサーなどネット上の影響力の強い人を使うなど、消費者の情報取得の仕方の変化のスピードがテクノロジーの進化によってより早まり、昨年は更に加速したように思えます。
またフィンテックの進化も止まることなく、昨年はPayPayやLINEPayなどがより浸透しキャッシュレスのライフスタイルが進みつつあることも現実です。

海外ではAmazonの時価総額が1兆ドル(約100兆円強)に達し、中国のアリババは独身の日の売上がたった1日で3兆円を突破するなど、世界のECの売上規模の拡大はとどまることなく大きくなっていっています。

呉服業界の小売店はどうでしょう?多くの店が店頭は開店休業状態で、新しいお客様を迎える場ではなく、催事の準備や作業をする場になっており、月の売上は催事で売上をとる体質となり、毎回同じ顧客に売上を依存し、顧客は枯渇し、結果的に売上を落とし続けるという状況です。
また、ナショナルチェーンやローカルチェーンといった大規模小売店も店頭の大切さは感じつつも、月々の予算達成を意識するあまり現場はインショップという利点がありながらも、既存顧客によって催事売上の確保を常に注視するというマネジメントに陥っています。またその一方でネットショップを併用し絶対的な販管費率の低さや収益率の高さに気づいており、ショッピングセンターなどへの出店における固定費や人件費を考えると今後は店舗数の縮小などで特にナショナルチェーンがローカルチェーンに変化することも考えられるだろうと思います。現に大手5社と言われたナショナルチェーンのうち4社の規模はいまやローカルチェーンといって良いほどの規模に縮小しています。

冷めた言い方をすれば呉服小売店は商品の性格上稼働顧客の一定量を保てるか否かが重要なビジネスです。ですが、これまであまりにも閉鎖的な顧客管理をしてきたことから、顧客の増減率のバランスが非常に悪い業種であることも事実です。それほど新規顧客獲得は難しく、またそこから固定顧客化することに根気が必要なのです。それを長い間怠ってきたことで変化への対応力の低さや旧態然とした経験則からのマネジメント、厳しい時の他責的概念を持つなどが蔓延してきたのではないかと思います。それが結果的に昨年の「消費の変化のさらなる加速」にいよいよ対応することができなくなってきたのではないかと考えざるを得ないのです。

私は仕事上海外へ出張することが多いのですが、ニューヨークやシンガポールなどの小売はすでにECとリアルショップの闘いが激化してきています。特に前述したAmazonを仮想敵としてリアルショップは様々な工夫をしています。
全米に店舗を持つ百貨店メーシーズは以前までの戦略である低価格戦略を改め、体験型、体感型店舗への変換をし、客数を増やしています。また世界最大の小売店と言われているウォルマートは全米上位のEC企業を買収し、ネット販売効率と売上拡大の戦略強化を図っています。またニューヨークで人気の雑貨店である「ザ・ストーリー」はARなど駆使して、好きな雑貨やインテリア家具を仮想空間でそれらを使用する体感が出来るオペレーションを組み込んで客数と客の滞在時間を長くし売上を向上させています。IKEAもARを駆使したアプリを開発し、店に行く前にお目当ての家具が自分の部屋に合うかどうかをサイズも含め確認できるようにして売上効率と客単価の向上を図っています。

これらは企業の資金力の有無に関わらず、リアルショップがいかにして顧客に支持されるかを常に考え、そこに投資しチャレンジするという姿勢なのです。もちろんEC企業も競争は熾烈ですから常に変化への対応するために努力しています。
これから5Gという次世代通信インフラが整います。それによって今の何倍ものデータ送信量が可能になり、ライフスタイルがさらなるテクノロジーの進化によって変わってきます。

新しい年を迎え、私たち呉服業界は本当の意味でどの道を進んでいくか?を選択せねばならない岐路に立たされました。

小売店はリアルショップにしかできない「コト」とは何かをすぐに考え実行していくことをしなければなりません。店はお客様のためにあります。商品置いてある倉庫ではありません。そしてこれからの店は「売り買いする場」だけでは誰も振り向いてくれません。売り買いするだけならば便利なECに顧客は向かってしまいます。
顧客にとってこれからはリアルショップは「楽しめて」「発見できて」「学べる」という【遊び場】でなくてはいけないと思います。そういう店づくりが重要になってくると思います。そして新規顧客の開拓はそんな綺麗事ではなくある意味泥臭いものです。スマートな顧客づくりなどはなく、入口を広げ、出会いを大切にし、買った金額によって差別せず、その後のフォローをコツコツと積み重ねることが大切です。それがリアルの店経営であることをぜひ理解していただきたいと思います。

中間流通である問屋は今までの在庫機能、販促機能、金融機能、ディストリビューター機能に加えてモノづくり機能、マーケティング機能、プロモーション機能、コストコントロール機能という新たな役割に投資していくことが必要です。小売と協業することと同時にメーカーや生産者との協業も非常に重要になってくると思います。メーカーや生産者はテクノロジーの進化によって消費者と関係性を持つことができました。その中でこれからの問屋の役割は大きく変わってくるということです。そして間違いなく問屋としての新しい役割が重要となってきます。問屋は今の中間流通という立ち位置から商品に命を吹き込む「付加価値創造企業」という役割に進化することが求められていると思います。

メーカーと産地、生産者は恐らく委託中心の商品の流れにさらに苦しい状況に直面していると思います。生糸価格も含めた原材料の高騰、取引業社の廃業、価格を値上げ出来ないジレンマ、委託しても歩留まりが少なく、商品価値だけが下がっていく状況、次の商品を作るに作れないと言った状況。それによって次世代従事者がいない、家内操業における後継者の不在など負の連鎖が高まっていることも多いのでないかと思います。とてもじゃないですが、綺麗ごとを言ってる場合ではありませんし、夢のようなことを語っている場合でもないと思います。ですが敢えてそれでも前向きな話を言わせていただきます。
メーカーや産地、あるいは職人の強みはその商品はその企業またはその人にしか出来ないということです。自社の商品を何故知って欲しいのか?何故提案したいのか?着てくれる人にどんな事を味わって欲しいのか?などをどうやって知ってもらえるか?を考えることです。「知られないことは存在しないこと」ということを私は業界のすべてのカテゴリに言い続けてきました。この時代になって私たちはその「知ってもらうこと」への方法を手に入れています。だからこそ「私たち」と「私たちの商品」をどのようにして知ってもらうか?をもう一度考えてみてはいかがでしょうか?そしてそれを継続することで必ず何かの成果が出ると思っています。

消費の変化はこれから更に大きくなっていくと思われます。今年一年はそれをより実感することになるかもしれません。変えなければいけないことと変えてはいけないこと、チャレンジすることと守っていくことなど線引きもより重要になっていくことでしょう。
私としても次の若い人たちが色々な繋がりを持ってチャレンジしようしていることを嬉しく思いますし、私個人としては別のステージで次の時代を開いていけるような新しいチャレンジをしていきたいと思っています。

あらためまして今年は今上天皇陛下の御譲位と新天皇陛下の御即位に伴う新元号への改暦、消費税増税など色々なことが起きる一年となるかもしれません。そんな新しい激動の一年の始まりですが、何卒よろしくお願いいたします。

K.D.CPlanning 代表 石崎 功

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2018年2月16日 (金)

男のきものに必要な提案

今朝、最近お知り合いになった方からメール頂き、「男きものはきもの活性化にイノベーションを起こすのではないか?」という言葉を投げ掛けられた。

確かに男きものは多くの既存呉服店では扱いが極端に少なく、呉服店の販売オペレーションは99%と言って良いほど女性物を想定したものになっている。

それ以上に多くの呉服店は総合和装品扱い状態であり、「販売店」ではあるが「提案店」ではない状態であることが、きものに興味がある消費者さえも遠ざけている状態であることは否めない。

その中で確かに男きものという市場は伸びしろがあると言って良いのかもしれない。

私が知る限り、男きもの専門店というと男物に早くから着目されていた「銀座もとじ」、早坂伊織さんが経営する「イオリスク」、やまとが運営している「Y&SONS」、浅草の藤木屋、日本和装の「SAMURAI」、京都では「えいたろう屋」、そして専門ではないが、きめ細かい品揃え、そして圧倒的に男性きものファンが多い、ご存知「あづまや」などが頭に思い浮かぶ。

もちろん他にもあるのだろうがすぐ出てくるのはこのくらいだろう。

男きものは着付けはすぐ覚えられるくらい簡単であり、素材も組み合わせもバラエティであるので、楽しみ方は女性同様無限大である。また、窮屈感があまりなく、着物でよく聞かれる着付けによる苦しさなどは皆無と言って良い。

私も頻繁に着るが、こんなに人相の悪い私でも多少は好感度が上がるほど変身しやすい(笑)

そう言った意味で、確かに男きものは老若問わず全ての男性に自信を持ってオススメしたい。

一方で男きものを提案するというビジネスの観点から見てみると、確かにファッションとして提案していることが多いのだが、どんなにセンスが良くてもあくまできもの自体に関心がある人向けのプレゼンテーションになっており、そこへのアプローチが局部的であることが多い。

確かに男性はスペックが好きなのだが、男きもののお店はどこか専門的で、ある程度の勉強をしてこないと、店員が言うことは理解できないかもしれない。

男性のファッション観は大きく変わってきているようで、おしゃれという概念の中に「格好良さ」に加えて「美しさ」を意識するようになってきているようだ。

調査会社の調べによると、20~30代男性への調査で、身の回りのケア、美容などに興味があるか?という質問に47.3%があると答え、特に気にしている部分は「頭髪」が53.5%、その次になんと「肌」と答えた人が52.8%もいる。

また身の回りのケアや美容などで行っていることの質問で一番多かったのは「化粧水をつけている」で26.1%だった。

また別の調査会社では年代として美容に関心がある男性は20代と40代が一番多く、ファッションは自己表現と同時に自分磨きでもあるということも調査によって顕著に現れていた。

それに照らし合わせたときに、男性消費者に男きものという存在を気づいてもらうためにはどうしたら良いか?を考えたときに、こだわりのライフスタイルの選択肢という観点をどう持ってもらうか?ということが考えられる。

私たちは毎日欠かさずすることを特別視はしていない。例えば「髭剃り」は出かける前の身だしなみとして行うが、エブリディのルーティンであるがゆえに、髭剃りは手動であれ、電動であれ、素早くそしてよく剃れるものを選択しており、多く場合そこにはファッション性は求めていない。

だが、そのルーティンを改めてこだわりのライフスタイルという形で捉えると、電動よりも手動の方がかっこいいとか、カミソリやそれを使って剃る自分の姿が格好良く、美しいなど別の動作として感じることができるかもしれない。もしかするとシェービングクリームもかなりこだわるかもしれない。

それはいつしか「髭剃り」が「グルーミング」という表現に変わる瞬間とも言える。

ニューヨークセントラルパーク正面横のタイムワーナーセンターの中にあるザ・アートオブシェービングという店はグルーミングもさることながら、カミソリ、髭剃り、研ぎ石、シェービングクリームはもちろんのこと、シェービングのコンサルティングもするという店であり、この店に入ると毎日のルーティンだった「髭剃り」はいつしか「ホビー」になるほど価値観が変わってしまうのだ。

バーニーズニューヨーク横浜店の4Fのメンズアイテムを集めたフロアは、そのワンフロアで伊勢丹メンズ館や阪急メンズ館の全館を凌ぐほどの魅力的であり、家具、アクセサリー、シューズやバッグといったライフスタイルを満たすアイテムが並ぶ中、バーニーズバーバーショップ といういわゆる理髪店が軒を並べている。男性のライフスタイルの中にある美意識を包括的に捉えているのだ。確かにそのフロアへ行くと、全く今まで興味がなかった商品が魅力的に感じたり、意識を奪われたりする。

もしかすると男きものの提案もそうあるべきではないかと感じる。多くは男きものとそれにコーディネイトする商品といったMDがされているのが一般的だが、男きものという選択肢に気づくような「着物を取り巻くライフスタイルオペレーション」というMDがもしかすると、着物に全く興味がなかった人に気づきを与えるのではないかと感じる。

そういった男きもの、あるいは女性物きものも含めた店や売り場はまだ見たことがない。

そんなことを考えると、きもの屋はまだまだやることがたくさんある。

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2018年1月15日 (月)

新たな、そして勇気ある破壊と創造の必要性

1月8日のはれのひ事件は社会に大きなインパクトを与えてしまった。絶対にあってはいけない、してはいけないことであり、卑劣としか言いようのない事件だ。当たり前であるがこういうことが起きればそれに関わる業界、業者に対する世論の印象や見る目が正視しづらくなることも致し方ないことは理解せざるを得ない。

私たち呉服業界は過去に数回の危機にあっている。1度目は社会情勢、2度目は経済情勢、そして今回危機になるかもしれない信用問題と法的要因である。

第1の危機は昭和15年のことである。

それまでの日中戦争が長期化することによって日本国内の物資が不足する一方で、戦争好景気という決して好ましくない景気が軍需成金を生み、高級品が好調な売れ行きを示した。その結果一般庶民の反感が高まりそれを抑えるために「奢侈品等製造販売規則」が生まれた。江戸時代中期頃に幕府が制定した「奢侈禁止令」と同じことが太平洋戦争直前に施行されたことは今となってはご存知の方は極端に少ないだろう。昭和15年7月7日に施行されたことからこれを「7.7禁令」と当時呼ばれていた。

当然のことながら絹織物や染物自体も制限されたことで呉服産業は大きな危機を迎えることになり、翌年第二次世界大戦が勃発したため、この法律は終戦の昭和20年まで続いた。

終戦後この7.7禁令は解除されたものの、当時はアメリカの占領下であったため、占領軍からの食料等の物資援助の見返りのための輸出に使用するため生糸と絹織物の自由な生産は制限されたのである。また戦時中は織機も鉄製であったために国への供出を強制されていたため、各産地においては一部木製織機を使用していた産地以外は生産再開までに長い時間を要した。

特に丹後産地、小松、福井産地などの生地等の絹織物産地は戦時下金属供出によって約6割強の織機を損出していたために昭和30年代になってからの本格的な生産となっている。

そんな中、昭和21年に行われた現在の成人式の前身である青年祭が実施され、それがきっかけで翌々年の昭和23年に成人の日の祝日制定となった。おそらく当時の呉服業界はその成人の日に未婚女性の正装である中振袖を何とか祝いの日の晴れ着として着てもらう事は出来ないだろうかと考え始めていたかもしれない。だがその時はまだ絹織物の生産制限やそれ以上に各産地がまともに生産できない状況であったため叶わぬ夢であったが、復興の機会を探っていたに違いないと感じる。

それが昭和30年代に入って生地生産が軌道に乗り始め、京都の染色業も活気付き、一般の着物同様振袖も数多く生産された事で、成人の日に振袖を着る人が徐々に増え始めていったと推測される。

成人式に振袖着用を決定づけたのは十日町産地の染物生産への大転換だと感じる。それまでは越後上布、小千谷縮などで知られるように麻織物を中心とした産地であったが江戸後期に西陣の職工であった宮本茂十郎が十日町に訪れ、絹縮や米沢織が考案した透綾を伝え、十日町は絹織物産地へと変換したと言われている。

そこから更に時代は進み昭和39年の東京オリンピックでの女性プレゼンターの振袖姿が話題になり、また第一次ベビーブームが昭和40年代に成人を迎えるというマーケット戦略からそれまで京都の独壇場であった友禅をはじめとした染物の生産に着手するという英断とも言える大転換を図った。それも京都のものづくりは分業であり、友禅をはじめとした染物は当時も現在以上に高価であったが、十日町の生産体制の特徴である「一貫生産」を染色に取り入れる事でコストダウンを図れ、購買客層の拡大が図れるという明確な戦略があった。もちろん一朝一夕で作れるはずもなく、数年の時間を要したが努力と熱意で現在のような染め、織共に着物業界にとって重要な一大生産地としての地位を確立したのである。

それによって一気に成人式に振袖という慣習が根付いたと言えるのではないだろうか。

こういった流れで戦後壊滅的になっていた呉服業界を情熱と希望を持った方々のおかげで完全に復興することができたのである。

第2の危機は1973年と79年(昭和48年と54年)に起こったオイルショックである。

私もこの時にうる覚えであるが、世間が大パニックになったことを覚えている。第四次中東戦争が引き金となってアラブ石油輸出国機構が段階的な生産削減を決定し、ニュースで石油価格が7割もアップすると噂されていた。日本も消費者物価指数が上昇し公定歩合の引き上げによる高度成長期後初めてマイナス成長率となったことでいわゆるトイレットペーパー騒動などが起きた事は記憶されている方もいらっしゃるだろう。ただこの時は日銀の判断ミスで起こった成長率の低下と言われており、ある意味経済的な風評被害のような状況であったようだ。

当然絹織物についても生糸相場の暴騰、物価高による売上低下などが起こりどちらかというと産地に大きな打撃があったようである。この時も全国の産地が「危機突破大会」と称して集まり、互いに情報交換し、助け合いながら危機打開のために取り組んだと聞いている。

結果的に救世主となったのはNHKの朝の連続テレビ小説「鳩子の海」が大ヒットとなり、産地問屋の奥順がロケ地に使われたことから、結城紬をはじめとした紬が一大ブームとなり第2の危機の打開に一躍買ったと言われている。

何れにしても産地の人々の危機に対する真剣な取り組みがまたしても危機を乗り越えることができた原動力となったのは間違いない。

そして今、売り方や経営姿勢などを問われる信用不信による第3の危機が訪れている。第1、第2の危機とは性質が異なる事は理解しているが、これに関しては社会変化や価値観の変化が以前では考えられないようなスピードとなっているため、変化への対応が遅れてきた業界は本当の意味での大改革、いや表現的には大改善をしなければ存続は難しいと考えて良いだろう。


しかしながら何もしてこなかったわけではない。ここ10年強で次世代の業界従事者が様々なチャレンジをしてきている。きものやまとの矢嶋孝敏会長が1988年にきもの21世紀構想を掲げ、浴衣の大パラダイム転換と言われるエイトカラーゆかたで若者のゆかた着用のキッカケを作り、銀座もとじの泉二弘明社長が男きものに対する価値観を変え、森田空美氏がシンプルモダンという美しい着物スタイルを確立した。

また東京山喜の中村社長が問屋業からリサイクル着物の大転換をし、着物への入口を大きく広げ、池田重子氏のコレクションとして伊勢丹新宿店のギャラリーで初めて行われた「日本のおしゃれ展」は着物のファッション化を大きく顕在化させるキッカケになり、アンティーク着物という分野を作った。またそれによって長羽織という明治から昭和初期に流行したスタイルが確立し、それは現在も継続しており、羽尺というコート専用の規格の長さの反物が市場から実質上消えることになった。

またより着物ファンを増やしたのがエッセイストのきくちいま氏であり、誰でも着物を身近に楽しめることを自身の生活と着物観をイラストや本として広め、普段着のカリスマとも呼ばれるようになった。また京都の呉服商である赤木商店の赤木南洋氏が誰もが気軽に着物を着て楽しむイベントであるキモノdeジャックを有志と始め、着る楽しさを共有する場を作った。今ではそのイベントは世界に広がっている。それと同時期に三河の小さな呉服店の店主であるあづまや呉服店の柴川義英氏はその普段着着物の楽しさをUstreamやyoutubeライブ、ニコ生動画などのライブメディアで発信し続け、普段着という言葉を本当の意味で確立させた。

また伝統工芸技術として埋もれていた有松鳴海絞の技術の1つであった雪花絞を藤井絞の藤井浩一社長は自社開発の綿麻生地に施し、着物としても着れる上質な浴衣としてリブランディングし、自社のブランディングとともに夏の着物の楽しみ方をより広げることで着物は1年中楽しめるファッションの選択肢の1つとして少しずつ認知し始めていっている。そして2016年2月には京都の若手の作り手の組織であるきものアルチザン京都が世界で初めて世界の四大ファッションショーであるニューヨークコレクションに本格的な着物を出展して話題となった。

そんな中での水を差すような、そして消費者の信用を失墜させるような事件と今国会で提出されることがいよいよ決定した成人年齢の引き下げという第3の危機が訪れようとしている。

私は7年前に業界で初めて全国の産地から小売店、問屋、メーカー、生産地、悉皆業、着付け師、和裁業など業界分け隔てなく情報交換し、交流の場を作るべく次世代が主体の「呉服業界若手経営者の会」を開いた。今までに全9回開催しているが、初めは呉服業界という村社会で訳の分からない馬の骨が出しゃばり目立ったことをしたことで様々なところで沢山叩かれた。しかしながら第1回目に私が参加者の前で申し上げた理想は今でも思い続けている。それは

「株式会社呉服業界の精神を持とうではないか!」という考え方である。

小売店は営業部、問屋は営業企画部、メーカーは商品企画部、産地は商品生産部、悉皆はメンテナンス部、和裁はオーダー部、着付け師やスタイリストは普及促進部とそれぞれが一体となって、そして協業と競争をバランスよく連動し合う業界であるが1つの連携組織でもあると唱えた。その意識は今でも変わっていないし、そうすることで三方よしの論理も、そして何より着物ユーザーが着物を人生の中のファッションという部分での選択肢に入れてもらえるようになるのではないかという希望と理想を参加者と共有した。それはいまの様々な繋がりの中で一つも変わっていない。もちろん今年何処かのタイミングで第10回目を開かねばならないと思っている。

これまで上記で述べたような未曾有の危機を私たちの大先輩たちは時に立場を超えて団結し、時にはそれぞれの自助努力で乗り越えてきた。

私たちの世代に新たな危機が訪れているが、今こそ本当の意味で「新たなる、そして勇気ある破壊と創造」が必要なのではないかと強く思っている。

そして必ず呉服業界が今と次世代の力によって新たな時代が築けると確信している。

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2017年11月16日 (木)

和装振興協議会公表資料から思うこと

経済産業省の会議体となっている和装振興協議会の議事録および資料等が同省HPにて公表された。

現在この協議会で注力されているのが「商慣行の是正」であり、ある一定の方向性が出された時点で、各業界団体に賛否を問うアンケートを行ったところ、多くの川上、川中の業界団体が賛同する形となったが、唯一川下の最大の小売団体である日本きもの連盟が「一部賛同」というスタンスを取ってきたようだ。またその理由も文面にて公表されていたので熟読したがどうも腑に落ちない部分が多く私のなりの疑問をブログに書いてみようと思った。

今回の私見を述べる前に経産省の和装振興協議会とその会議の中で出された「和装の持続的発展のための商慣行のあり方について」の概要を簡単に説明したいと思う。 まず和装振興協議会は、前身の和装振興研究会から始まり、私自身もその研究会の委員であったが、研究会は業界の若手中心の川上、川中、川上の業者の他、経済学者、和装教育関連、プロデューサー、消費者代表などで構成されたものであった。そこからより省内での位置付けを明確にし、継続的に和装振興に関して議論し、改善及び発展していく目的と実行のために、各段階での業界団体の代表レベルで構成された会議体として和装振興協議会が発足された。またその下部組織として分科会も発足されより現場に近い人たちの意見を吸い上げたのち、今後の和装振興において必要且つ現実的な流れを作っていけるような形を作った。

その中で、今まで再三問題視されてきた商慣行のあり方について、初めてメスを入れる形となった。特に呉服業界の流通は多段階流通であり、長い歴史の中で慣習化されてきただけに、今まで幾度となく問題視されてきたが、それぞれの段階の事情(いわゆる商売上の大人の事情)によって異なる立場の団体の代表レベルが議論する場がなかっただけに非常に良い機会だと個人的には考えている。

本年の5月に出された商慣行のあり方についてまとめたものを見ると

①「サプライチェーン全体での付加価値の向上」 ②「取引対価の決定」 ③「取引の書面化」 ④「代金の支払」 ⑤「歩引き取引・延べ払いの廃止」 ⑥「不当なコスト負担」 ⑦「販売方式の決定」 ⑧「消費者本位の商品・サービスの提供」 ⑨「消費者にふさわしい商品の販売」 ⑩「消費者にわかりやすい説明」 11「産地等の明瞭な表示」 12「価格の適切な表示」 13「適切な販売手法」 と言った内容で、ある意味下請法と景品表示法、消費者契約法全般の法律の中で呉服業界の商慣行是正に必要なものをチョイスしてまとめたものといえばわかりやすいかもしれない。

ただし、②から⑥は下請法にて既に法的に定められてはいるものの、下請法の構成要件である、親会社と子会社の資本関係、製造委託、修理委託、情報成果物、役務提供等の取引に限られており、現在の呉服業界の多くの取引形態では下請法の構成要件としては成立しにくい事もあり、改めて業界全体でのコンプライアンスの方向性を定めていくための原則的な指針として作られたものである。

特に大原則である「サプライチェーン全体での付加価値の向上」は私も7年前に呉服業界若手経営者の会で提唱した「株式会社呉服業界」という精神と全く同じであり、「どの段階であっても取引は対等である」という考え方と全く同じであることは個人的に非常に支持するところである。 ここで今回のブログの本題に戻るが、この商慣行のあり方への賛否を各業界団体へアンケートという形をとったところ、ほとんどの川上、川中の業界団体及び組合・企業から同意賛成するとの回答があったが、一番肝心の小売の最大の団体である「日本きもの連盟」は一部賛同というある意味消極的な回答をしてきた。

その理由も公表されているのでわかりやすく説明すると、 


*各流通が適切に機能を発揮し、消費者の商品・サービス提供し、継続的な信頼関係を構築することで市場活性化と業界全体の発展の好循環を実現することを目的とすることは大いに賛成である。

*日本きもの連盟としても全日本きもの振興会と連携して各振興事業を積極的に行っている。

*その上で和装振興協議会が示した「商慣行のあり方」については、日本きもの連盟としては会則に基づき運営している関係上、会員個別企業の経営案件や取引条件を議論する場がない。

*受注業者の適正な利益を含む手形サイト90日、歩引きの廃止、製造者と販売業者の双方が協議して販売方法を決定する等の議論に当事外である日本きもの連盟が意見することはできない。

*日本きもの連盟の会員は製造業者との取引がほとんどなく、問屋との仕入れが大半であり、諸取引についての風聞以外の情報がないため取引の公正についてあれこれ意見を述べる立場にない。

*全ての商材の価格は和服小売の場合、その全ては、北は北海道から南は沖縄まで全小売店全て異なるのでこういう文言に違和感を感じる。

と言ったことが全て賛同ではなく一部賛同であることの理由だ。

簡単にいえば、日本きもの連盟として各小売店の商慣行に口を出す立場ではないという回答である。

ここからはあくまで私見として述べさせていただく。 私自身は小売出身であり、現在も小売店の経営支援等で規模の大小関わらず日々関係しているし、一方で産地から中間流通、あるいはその間に存在する悉皆、和裁、着付師、各業界団体に至るまで現場レベルでの仕事に携わっているので相対的な立場から意見できる。 その上で今回のこの日本きもの連盟の回答については腑に落ちない部分が多々ある。

はじめに申し上げておくと、日本きもの連盟がきものの日事業や和装教育等に尽力されていることは周知のとおりである。それ以外に様々なことに団体として努力されていることは承知の上での疑問であることを記しておく。

まずは「商慣行のあり方については、連盟の会則に基づいて運営している関係上個別企業の経営・取引条件等を議論する場がない」という回答だ。これはその次の手形サイト、歩引きなどの支払い条件についても同様の回答をしている。

日本きもの連盟の会則を見ると会の目的として【国民生活における和装生活の普及と和装文化の普及を目的として、この目的を達成するための和装市場の創造拡大施策の実施と本事業に参加 する会員店の経営発展活性化事業を推進する。】とあり、また事業4の2では【和装産業活性化と振興事業の強化充実を計るため、他和装諸団体との連携事業】、さらに事業4の3では【和装産業の諸問題を検討し、対応する事業】とある。 連盟の会則の中で目的や事業として定めている項目を見る限り、1つの団体で会として体をなしている以上、議論する場がないというのは理解に苦しむ。

和装産業活性化の強化を図ることを目的とするならば「商慣行」については総合的に見て根幹にあたる部分であり、避けては通れない。その議論を無くして「和装産業の活性化」は図れないと言っても過言ではないと思うがいかがだろうか?

確かに呉服業界の流通は長い時間をかけて構築してきた信頼関係が取引の大半を占めており、発注業者と受注業者間の取引条件が、たとえ一般論として納入業者に不利に思える条件であったとしても、長い間に築いた信頼関係によって相互了解のもとに決定した取引はどの法律にも抵触しなければ正当な取引であるという考え方である。 だが、時代は大きく変化し、どんなに今までの取引の正当性を訴えたとしても市場縮小が進み、従事者の激減、価格や取引に対しての不信感が大きくなってきている今、こう言った商慣習の是正を小売も本格的に取り組んでいかないと未来はないことは明白である。

その上で連盟が会員および呉服小売に対してものを申す立場にないというのであれば、一体日本きもの連盟は具体的に会則にある【和装産業活性化と振興事業の強化】をいかにして図っていくのかが全くわからない。

もう1つ考え方のスタンスとして「全ての商材の価格は呉服小売の場合、その全ては北は北海道から南は沖縄まで全小売店で異なる」というのは現実的には確かにそういう状態であることは否めないが、連盟としてそう言い切ってしまうこと自体が消費者の価格不信の根元につながるほか、全ての商材の価格と一括りにしてしまうこと自体、消費者の呉服小売店への不信感を払拭できない大きな要因になっているのかもしれない。こういう考え方にも大きな疑問を抱かずを得ない。

長々と記してきたが、私がどうこう言ったところで何かが動くわけでもないが、個人であるが業界に身を置き、業界を心底愛する気持ちは誰にも負けないという自負がある以上、個人的な意見としてはこう言った形で業界全体が変わっていこうという時にこういう連盟の姿勢はとても残念でならない。

これからの時代、間違いなく「呉服業界総小売時代」となると予測される。川上から川中までもが直接的に前に出て行くいう現象はすでに始まっている。これは情報化社会において当然の如く起こることであり、突き詰めて考えれば現在の商慣行がもう通用しないところまで来てしまったということに他ならない。適正な価格とは何か?付加価値の向上とは何か?消費者の信頼とは何か?を全面的に呉服業界をあげて改善する時が来たのではないかと思う。

和装振興協議会としても、呉服業界全体としても、本当にこれからの和装産業活性化を図って行くためには、大きな力を持つ人たちや団体が未来現実を考えた改革に取り組むべきであり、現行のままの既得権益を各段階の企業が守ろうとするのであれば、その先にあるのは利益ではなく、損失しかないと私は思う。現行のまま行き止まりの道を進むか?険しくも新たな道を開拓するか?の分岐点はとっくに来ていることだけは確かである。

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2017年5月26日 (金)

年商2785億円の株式会社呉服業界という考え方

きものサローネ事務局からアンケートが来た。今年のサローネ会期中に「きもの未来会議」を再び開催するらしい。そういえばその第一回目は私がコーディネーターをしたような気がする。

アンケートの質問の中に新しいカジュアル市場への対応についてどのように考えるかとあった。
正直カジュアルきもの市場はこの6〜7年で大きく変化した。そして様々な企業や人が様々な取り組みやビジネスモデルをあらゆる形で構築してきたことで、ある意味「新しい市場」はすでに生まれていると私は感じているし、それこそ皆真剣に着物の振興やきものファン作りに努力していると感じる。

ただし、その新しい市場がきもの市場全体を押し上げた形になっているかというとそうではない。確かに一瞬だけ2015年のきもの市場は30年ぶりに前年を上回ったが翌年度から再度下降線をたどっている。

着物市場を押し下げている大きな原因の1つに50代の市場の落ち込みだ。昨年だけでも300億円強、きもの市場全体の11%もの割合を占める消費額を失っている。それだけ50代のきもの消費は市場の底支えをしてきたが50代を中心として60代、そして40代も市場減退の数的な要因となっている。
着物産業としては「工芸」と「ファッション」というカテゴリの両輪を回すことは、「ものづくり」と「消費」の両輪回すことに繋がることは間違い無いと思うが、その中で近年の新しいカジュアル市場の多様化はまさに変化への対応によって「所有から使用へ」の消費価値観を顕在化させた。 しかしながら市場の大きな構成要素である40代〜60代のきもの消費は、残念ながら市場創造すべき考えや変化が全く無いまま現在に至り、それらのターゲットからほぼ見放された状態にあると言っても過言では無い。 もちろんその中でも自社の方向性やターゲットが誰か?が明確で、そこからブレず、商品構成においても顧客作りにおいてもしっかりとした取り組みをしているところは、たとえ扱い商品が高額なものであっても、消費者の支持を得ながら堅調に業績を維持または向上させているが、残念ながらそういう企業は圧倒的少数である。 一方で新たなカジュアル市場がこのまま広がっていくかというと私にはどうもそうには思えない。例えばあくまで私見ではあるが、様々なイベントが開催されているが、残念ながらある一定のきものファンでの間でのものというイメージが徐々に強くなってきているように感じるのだ。
私の友人で最近着物に興味を持ち始めた人の何人かと話しても着物のイベントがあるということ自体を知らなかったり、知っていても「着物を着ていかないと相手にされなさそう」というイメージを持っているようだ。
なんの世界でもそうだが、1つのセグメントがある一定数の支持数を獲得すると志向性が同質化し、あるべき多様性を鈍化させる。私は近いうちにそれが起きるのではないかと感じ始めている。せっかく着物をより広めたいという強いビジョンを持った人たちが努力し、行動して動かし始めたのだから、ここからの新たな未来創造をいかにすべきかを考える段階に入ったと思われる。
業界全体の動きとして様々な問題提議が行政や業界団体などで行われているが、流通の問題、価格の問題、トレーサビリティの問題、販売方法問題などを議論しておきながら、結果的には世界遺産申請だの2020何とかだのと全くもってよくわからないランディングポイントを模索していて、現場と現実を本当にの意味で捉えられていないことが多く残念でならない。
まず大切なのは呉服小売市場は日本の小売市場規模全体のたった0.6%しかなく、さらに下降線をたどっているということを現実的に思えるかどうかだ。 私の以前からの持論であるが、「年商2785億円の株式会社呉服業界」という考え方を非常に難しいことではあるが各業界従事者、特に経営者が持てるかどうかだと思う(持てる訳ないと思えばそれまでだが 笑)。30年前は2兆円近くの年商があった企業が今や6分の1以下になったのだ。そんな状況の会社なのに、営業部だけの利益確保のために製造部や加工部を追い詰めるような会社組織は持つはずがないし、マーケットやターゲットを無視した商品政策や意味不明な価格設定が通用するわけがない。また選択と集中がより重要な時代に嗜好性の強い商品を扱う店がごった煮のような商品構成で売り上げと顧客を獲得できるわけがない。
今目の前の世界は小さな小さな小宇宙であって、その小宇宙は成長するためにどうすべきかを考え行動し続けなければ、飽和状態になったり、あるべき方向に進めず別の引力に引っ張られたり、あるいはブラックホールに飲み込まれたりする。 理想的なのはそれぞれの小宇宙が明確にセグメント化されていて、それらが異なる発展の仕方をしていくにしても互いが引力によって関連性が保たれるという形だ。 確かに都合の良い理想論かもしれないが何も理想を持たないより何千倍も良いし、自慢じゃないが今まで実際に色々とやってきた自負がある。 だからこそ次のギアを入れて自分の出来ることをしていこうと強く思うし、活動の場をさらに広げたいと思っている。

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2016年4月22日 (金)

次世代の裏方という使命

先日妻から言われた言葉にハッとした。
妻は現在不定期で友人の経営する飲食店に手伝いに行っているが、土地柄この業界の利用者が多く、その日も若い染織系の集まりらしき客が席を設けていたそうだ。
妻が断片的に耳にした内容として、何かのプロジェクトかイベントがあり、そのために大変な準備をしたが、とても不本意な結果だったようで、その反省会兼打ち上げ的な食事会だったようだ。
「作家とはなにか?」「ものづくりに対しての不理解と誤解」などなどどうやらイベント主催者との温度差やプロモーション不足などが主な議論になっていたそうだ。

その話を聞かされた私は、
「そんなのは甘いよ。自分たちの努力不足でしょ。俺たちなんて…」
と無意識に自分たちが同様のことを何度も経験し、そこで何をしてきたかなどの経験という言葉を並べてしまった。

そのあとの妻の言葉にハッとさせられた。
「その人たちの商品が何気に置いてあったけどすごく良かったよ。だけどこの業界は上が詰まりすぎているよね。重鎮と言われる年齢の人たちが未だ現役で、その下にあなた達のようなドンドン考えたことを実行できる人達がいる。そのさらに下の世代の人たちはそういう意味では大変だよね。失敗すれば色々言われるだろうし、新しい事をやろうとするとまずは経験の長い人達から斜めから見られるだろうしね。」

この言葉を聞いて、以前自分が将来なってはいけない、なりたくない姿にもしかすると向かっているのではないかという嫌悪感に襲われた。

経験と過去の売れていた時代にやってきたことが正しいと思いこむ大先輩達に反発し、和装業界を変えてやると意気込んでやってきた自分だが、いつの間にか次の世代の頑張っていてまだ燻っている人達に対して無意識に「甘い」「俺たちの時は」という何の意味もない上から目線になっていた。

特に私の立場は小売でも、流通でもものづくりでもない。そして和装業界を変えてやると思ったのなら、次の世代に繋げる、あるいはそれこそ自己の経験を活かして次世代の頑張っている人たちの好機をいかにして作るか?が私のこれからの役目でないのか?と思ったである。

自分の経験や実績を上から目線で見下ろすような態度は、ただの害である。なんの啓蒙にもならないし、ましてや振興にも繋がらない。
いかにして次の世代に輝いてもらうか?今年50歳になる自分にとって絶対的に課された使命だと思って、「次世代の裏方」という考えを強く持って行こうと思った次第だ。

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2016年1月 4日 (月)

2016年頭所感

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。 2016年が到来し、21世紀に入ってからちょうど15年がたった計算になります。 もうそんなに経つのかという感覚の方が多いかと思いますが、そのたった15年で呉服業界も大きく変わりました。

2001年当時の呉服小売市場は約6400億円ありましたが、2015年度は2895億円(矢野経済研究所予測値)と半分以下の市場にたった15年でなってしまいました。 15年前、私はNCのバイヤーでしたが、呉服小売市場は当時から「ピークの半分まで落ち込んだ」と言われていましたし、当時から色々な業界の方々がこうすべきだなどというもっともらしい意見が飛び交っていましたが15年経った結果はそこから更に半分まで落ち込むという状況になっています。

しかしながら、15年前と異なる兆しも見え始めています。それは素材別小売規模推移が正絹と綿、合繊、麻などの正絹以外の素材の割合が15年前の2001年は8:2だったのが、現在6:4まで急激に変化してきています。 これは浴衣の1990年代以降の普及による伸びが要因と言えますが、ここ数年はきもの消費の仕方が変化してきて、「所有」から「使用」へ大きく変わってきていることからその傾向は更に強まっています。

「きものを着たい」と思っている人たちは様々な情報を様々な手段で取得し、様々な形でその欲求を満たそうとします。それによって消費者によって選択されるもの、選択される価格、それに加えて創りだされる表現が出てくることでいわゆる新たな価値が創造されて文化が変革されていきます。

いまあらためて「きもの」が少しずつですが再び認識されてきているという現象はその入口の幅が広がってきていることでもあると思います。その答えが2013年の市場規模がわずかながら30数年ぶりに前年比を超えたということだと思います。2014年度は増税反動減で再び減少しましたが、2015年度はたった1.4%ですが回復傾向にあると予測されています。大切なのはここで我々の世代がいかにすべきか?ということだと思います。

ビジネスの根底には客数✕客単価という絶対定義があり、正絹素材の消費が正絹以外の素材消費と拮抗すれば、絶対購買数という客数が必要になります。いままで呉服業界は市場を保つために正絹素材中心の商品供給をしてきました。それによって客単価を保持し、客数減少をカバーしてきました。ですが、売上が減少する前に客数が落ちるということに気づかず、どんどん減っていく客数に対してさらなる客単価を追求し、商品と価格の整合性という「価格の信用」を呉服業界は1990年代後半から2000年にかけて失っていきました。

また、いつの間にか売場は商品を売る場所ではなく、減った客数を何とか集客するための場となり、きものと全く関係のないもので釣るような集客手法が蔓延していき、愛知のあづまやの柴川さんの言葉を借りれば「呉服店は怖い場所」になり、「売り方の信用」まで失うことで新たな顧客獲得も困難になっていきました。 それによって呉服店は「背に腹は代えられない」から「店を維持するため」、「生きていくため」の考え方により強くなっていき、消費者不在の状況がより強くなることで、いつしかその必死の商売が死に至るための商売になっていってしまったのは皆さんがよく知っていることだと思います。

当然その結果ものづくりは更に疲弊し、手頃な価格で購入できる正絹商品の供給が出来なくなることで流通在庫の鮮度は落ち、絶対流通量も確保できなくなり、呉服小売店の催事販売も減少の一途をたどっています。 きものを着たいという消費者がリサイクルや手頃に求められる正絹以外の素材に目が行くことは当然のことですし、それをしっかりと販売できる小売店に客数が集中することは当り前のことです。また呉服屋が魅力がなければ今の時代ネットショップを利用する方に行くのが自然な流れであり、ネットショップの絶対数の増加とネットショップの呉服小売市場構成比がきもの専門店シェアに追いつき、追い越すのは時間の問題でしょう。

暗い話を振り返るようにたどりましたが、ここからが前向きな姿勢を示したいと思います。 とはいえ、上記のような流れがあってもここ数年できものを着たいという人がどんどん増え続けています。またそういう人たちがどういうウォンツを持ち、どういう店を利用したいのか?ということを我々供給側がしっかりと把握して提案していかねばなりません。 そこで小売店に最も必要なことはセグメント化だと思います。簡単にいえば自分はどんな着物屋であるか?ということです。
すべての商品やそれを司るビジネスにセグメント化は存在します。 小売のカテゴリもSC(ショッピングセンター)、SS(スペシャリティストア)、 DS(ディスカウントストア)、Dpt(デパートメントストア)などにわかれていますし、それぞれの特徴に応じて消費者が選択をします。これはアパレルでもファニチャーでも食品などもそれぞれのカテゴリで同じです。 ですが、まだ呉服店はほとんどセグメント化されていません。高級呉服店と普段着呉服店とどう違いが出せているのか?それをどう消費者にプレゼンテーションできているのか?まったくもってわかりません。消費者はたださえわかりにくいと思っている着物を更にわからない小売店に行ったり利用するわけがありません。

これから小売店は自分の店はこうですということをしっかりと位置づけて、それに沿った品揃えとプレゼンテーション、そして知識を身につけ、販売という技術も含め構築していかねば絶対に淘汰されていくことでしょう。 高級なものは売れない?そうではありません。高級なものは売れます。自店に見合った商品を責任ある仕入れで品揃えした上で適正価格を付け、日々知識を修得しきちんとした販売をする。そういう店がまた売れてきています。私もクライアントと一緒に数店舗そういう店を作ってきています。それは経営者がしっかりとその意志を持ち、覚悟を決めることで現実に出来ることなのです。 小売店は絶対に変われます。但しすぐには変われない分、早いうちから革めなければなりません。平成29年4月1日の増税から我々のような業界の消費者からの大選別は大きく変わることでしょう。それまでにどうすべきかを今から考えるべきだと思います。

モノづくりに関しても今年からより一層取り組んでいきます。 職人の高齢化と後継者不足の問題は周知の通り深刻さを増してきています。何故そうなったかは様々な事由がありますが、売りは売りで変えていく必要があるとして、後継者がいないのではなく、後継者を作れないような環境や慣習になっているのではないかと考えています。 これに関しては伝統技術といわれる分野においては染織のみならずでしょうが、若い人でいわゆる伝統技術と言われるモノづくりをしたいという人は山ほどいます。なのに後継者不足が叫ばれるということはどこかに大きなギャップがあると思います。

そういう問題に対し、藤井絞の藤井社長と以前から何回も議論を重ねており、今後行政と民間が連動した染織の未来を考える協議会を作っていくことを検討しており、また日本が現在誇る先進技術の分野での次世代育成の仕方のオペレーションも学び、良い部分を取り入れていきたいと思っています。 また呉服業界への新しく若い人材登用の強化をいかに進めていくかを、全国の和装事業者と各教育機関、きもの専門学校などと連携し、以前から少しずつ進んできている「きものハローワーク構想」をより強化して行きたいと思っています。

そしてそれと同時にきものも含め、日本の染織技術(伝統技術と先進技術の両面)を使用して世界に日本のモノづくりの良さをPRすべく、世界市場創出にも注力していく予定です。 まずはきものアルチザン京都のニューヨークファッションウィークへの世界初のきもの出展、同じくアルチザンのシンガポールデコールショーでの染織技術を使用したテーブルコーディネートによる世界市場ニーズのリサーチ及びビジネス創出、そして今後ヨーロッパでの市場創出に向けての活動も積極的にしていきます。

色々と年頭から長く書きましたが、今まで何度も言ってきたように、現在の情報化社会の中での市場創出は、呉服業界のように村社会的な対策の建て方では何も変わりません。 また今後色々と動けば動くほど抵抗勢力も出てくるでしょうし、大先輩たちからの批判もたくさん受けるでしょう。ですが結果的に業界が良い時に何もしてこなかったツケが回ってきたわけですから、それを「我々の世代が背負って立つ」くらいの気概がなければ何も出来ませんし、何も変われません。幸いなことに素晴らしい仲間に恵まれ、そして素晴らしい応援団がたくさん出来ています。その期待に応えるべく、2015年のキッカケの1年から2016年の実行の年にしていきたいと思います。

小さな業界で真剣にもがく姿をどうぞ笑いながら見守って頂ければ幸いです。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2015年12月31日 (木)

様々なキッカケになった1年

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今日は12月31日大晦日。早いもので2015年が終わろうとしています。
私にとって今年1年は様々ことで「キッカケ」になったことが多い年でした。
小売店のコンサルティングにおいては今年も多くの新しいお店との出会いと取り組みが増えました。

またクライアント先の中で幾つかの周年があり、そのプロデュースもさせていただき結果を出させて頂きました。そういった意味でイベントとビジネスの連動をこれからの時代にいかにすべきか?という部分での新しいキッカケ作りにもなりました。
新ブランドのマーケティングディレクションとしてはきくちいまさんと季織苑工房(粟野商事)のコラボレートブランドである「いまのいろ 〜skala」を担当し、キャラクターと産地の連動というブランディングをするキッカケになりました。現在は扱い店舗も増え、粟野社長の本来の意向であった「米沢織の新たな魅力発信」という目的にも貢献できたと思います。

きもの振興という面では、経済産業省の和装振興研究会に委員として招聘され、国レベルのきもの振興というキッカケになり、1つの方向性として「きものの日」を提唱し、官庁もその日はきものを着て出勤しようということを発表した日は店頭公開株の和装関連上場企業の株価が一斉に上がったという現象まで起きました。

また3月にはきものアルチザン京都主催、経済産業省、京都府、京都市後援の「きものシンポジウム」のプロデュースもさせていただき、京都が琳派400周年ということもあり、何と建仁寺の本坊方丈にて開催という形になり、パネラーにアートアクアリウムの木村英智さん、経済産業省大臣官房審議官、京都府商工労働観光部長、京都市産業観光局長、着物スタイリストの浅井広海さん、マリア書房の高野明子さん、立命館大学経営学部准教授の吉田満梨さん、そしてきものアルチザン京都理事長の藤井浩一さんを迎え、きもの振興、ものづくり、世界発信、ビジネスなど様々な観点から有意義な意見が出て、私にとってもこういった場をコーディネートする大きなキッカケとなりました。

そして、きものや染織の世界市場創出ということで、きものアルチザン京都が世界で初めて4大ファッションウィークの1つである「ニューヨークファッションウィーク」にきものを出展させるプロジェクトやミラノできものを紹介するきものエキシビションルームの設置、そして来年3月にはシンガポールデコールショーという見本市にアルチザンとして初めて出展することなど、世界市場に挑戦する大きなキッカケとなりました。そしてまた、ヨーロッパからのオファーも頂き、数珠つなぎのように繋がり始めています。
今年はこれらのいくつも大きな「キッカケ」を頂き、そして経験し、来年はいよいよそれらの「キッカケ」を形にする年だと今から緊張に包まれています。そして今まであまりこの業界で重視されていなかった「マーケティング」という活動が少しずつですが意識し始められてきていることは私の仕事柄非常に嬉しく思っています。
また、来年はどんな「キッカケ」と出会えるのか?にも今からワクワクしています。

今年大変お世話になった方々にはこの場を借りて心から感謝を致しますし、引き続きよろしくお願いいたします。
そしていま、NYとマイアミを行き来し、ニューヨークファッションウィークを成功させるべく想像を絶する重圧とストレスの中で取り組んでいる統括プロデューサーの浅井広海さんに心から感謝したいと思います。ありがとうございます。

そしてみなさま、良いお年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。

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2015年9月 9日 (水)

いま私が考えていること

きものがSNSを中心に情報が表面化してきて、若い人たちや色々なグループが新たな動きをしたりと風が吹き始めていると感じる。恐らくここ5年の急激な流れの変化だ。

個性的な企業やショップが出現したり、新たなビジネスモデルやヒット商品がどんどん情報として流れたりとネットの力もそれを後押ししている。

とても良いことだし、もっともっと盛り上がって欲しい。

ただ、気になるのは「なぜ市場の絶対額が伸びないのか?」である。前年は伸びるどころか更に縮小している。もちろん経済状況もある。2014年度は増税の反動減も影響したといわれ前年比94.7%であった。今期は回復傾向とあるが、増税の反動減で約7%市場が下がり、今期回復傾向といいながら1%しか回復しない予測。

30年ぶりに市場が前年を上回った2013年も前年に比べて1%の増だったことを考えると、2013年の3010億円に戻るためには、単純に7年もかかるということだ。もちろん今以上のきものに対する市場開拓を続けたとしての前提だ。

また市場が上下する中でも着実にその構成比を伸ばしているのがネット小売だ。2014年度は18.9%と一般専門店のシェア22.1%に迫ってきている。10年前のネット小売は5.6%、5年前は15.7%と伸ばしてきている。もちろんネット小売店舗数の増加もあるが、一般専門店のシェアは10年間で約10%もシェアを落とし、現在も減り続けている。

市場はGDP(国内総生産)の原理と同様に絶対市場人口に比例する。特にニッチ市場は高齢化した既存顧客商売になっている一般専門店と潜在需要客を含め絶対数にアプローチできるネット小売とではこれからどんどん差が出てくる。そのためリアル店舗はネット小売との連動としてオムニチャネル化を意識するのだが、経営者や従業員の世代交代や顧客の世代交代が出来ていない多くの一般小売店はそこに着手することは現実的に難しいし、跡継ぎがいない、または跡継ぎをしないということになれば金融機関からの資金融資も難しくなり、時代の変化への対応はできずいずれ店を畳むことになるというのが私が危惧している未来現実の1つだ。すでにそれが始まっていることも現実である。

この状況が続けば間違いなく近いうちに一般専門店とネット小売の売上構成比は逆転する。そう考えるときものの価格に対する概念と流通に求められることは大きく変わるだろう。

ただ、前述したとおり、こんなに近年きものの情報が表面化してきて、色々な動きが出てきているのに、絶対市場が伸びず、販売チャネルの構成比だけが変化しているという状況は、実は大して全体には広がっていない内輪ウケ状態なのではないかということを感じる。

いわゆる「きもの脳を持っている人」を刺激しているだけで、まだ「きもの脳になっていない人」にはまったく届いていないということなのかもしれない。

市場の拡大は「潜在意識の顕在化」と同時に「新しい価値創造と主体性」によって成り立つと言われているが、「きもの脳を持っていない絶対数」に対して今の流れをいかにアプローチしていくかが、市場を広げる大きな鍵となるのではないかと考えている。

再来年4月には消費税が10%になる。更なる消費価値観による消費の選別が始まる。だからこそ経営資源の投資の仕方のパラダイム転換がいよいよ必要になってきたと考える。

要するにまだまだ我々は「お茶を濁す程度」の段階であるということをもっと自覚せねばならない。

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